夏 休 み 未 来 教 室
春 野 夢 男
32
今日は土曜日。ゴールデンウィーク直前の土曜日である。大きなチラシが新聞に沢山入る。各スーパーの稼
ぎ時である。
連休の時はその直前辺りが稼ぎ時になる。休み期間中の買い物を済ませて置こうという客達でごった返すの
だ。この地域では日曜祝日の開店が午前九時から、それ以外の日は午前十時開店の所が多い。
昇の勤める、通称梅ノ木スーパーでも同様だった。閉店時間はかなり遅く、これは恐らくコンビにとの競争と、
万田屋梅ノ木店との競合の為であろうと考えられるのだが、毎年少しずつ遅くなって、とうとう午前零時閉店とい
う事になった。
「お早う御座います!」
「お早う!」
心なしかチェッカー達の声に気合が入っているようだ。気拙い朝食を父と共に取った昇だったが、気分一新、
既に開店前から行列の出来ている入り口付近を見て、気持を引き締めた。
「お早う御座います。午前十時。開店で御座います」
店内で開店のアナウンスが流れ、BGMが始まって、行列を作っていたお客達がどっと入って来る。幾つかの
目玉商品と、ここのスーパー独自のサービスとして、先着二百名様までの限定で、三千円以上お買い上げの方
に外れ無しの福引券が進呈されるのである。
一等は一万円の商品券。二等は三千円。最下位の三等でも五百円の商品券が必ず当る。早く来れば二巡、
三巡、して商品券を沢山貰える事もあるので、我先にと詰め掛けて来る。
これは噂だったが、二回回って二回とも一等が当った事があるという。真偽の程は定かでないのだが、兎に角
客寄せに絶大な効果がある事は確かなようである。
五台あるレジはフル稼働するが、それでも客を捌き切れなくて、一つのレジに二人ずつ付いて回転を良くして
いるのだが、一つのレジに多い時で十五人位ずつ並ぶ。
その状態は一時間半位続く。その間レジを打つチェッカー達は一心不乱ひたすらレジを打ち続ける。誰も席を
外す事が出来ない状態がお昼近くまで続くのである。
「ふう、やっとピークが過ぎたな」
昇は思わず小声で呟いた。お昼を過ぎると急に客足が落ちて来る。今度は交替で昼食休憩の時間である。
昇は今日は午後一時からの休憩である。
お客の減少と共に二人一組のレジは、通常の一人に戻り、更に二人は昼食休憩に入る。
『結構、足が痛いな。殆ど動けないから、その点がきついんだな』
昇はコンビニとの違いを痛感していた。ここまでの長蛇の列はコンビニでは出来ない。それにコンビニだった
ら、もう少し動けるのだが、スーパーで混雑している場合には殆ど同じ位置から動けないので、その分足が痛く
なる様である。
「じゃあ、後、宜しく!」
昇は交代のアルバイトのおばさんに笑顔を見せながら、休憩時間に入る。今日の休憩は、幸か不幸か、昇に
反感を持っているらしい、大沢木雪見と一緒だった。ただ昇は雪美の反感を知らなかった。
何時もの様に、昇はスーパーの弁当を買って食べていた。休憩室には他にも十数人、他の部門の連中がそれ
ぞれ二、三人ずつ固まりになって昼食を食べていた。
何時もよりずっと人が多いのは、今日が稼ぎ時の日であるからだろう。四つあるテーブルがほぼ満席状態だっ
た。
『それにしても喋らない人だな。俺に全く関心が無いんだろうな』
一人黙々とやはりスーパーの店内で買った弁当を食べながら、雪美は昇を無視し続けた。しかし昇はそうい
う状態が実は好きでもあった。
『何も言わないんだったら、かえって気が楽だな』
高校時代何度か落第しているうちに、クラスの中で殆ど孤立状態だった。ほんの数年の年代の差なのに、考
え方が大きく違っていて、話をしてもかみ合わなかったのである。無理に合わせて話をするよりも、会話ゼロの
方がむしろ良い。
『ああ、何だか高校時代に戻った様な気がするな……』
そんな、ノスタルジックな感傷に浸りながら、昼食を食べ終り、自販機で買ったペットボトルのお茶を飲んでい
た。
『しかしキラ星が黙っているかな?』
昇は昨日のキラ星の、性行為時の激しい喜び様が尋常でない様に思えて仕方が無かった。
『抱き締めただけで、行ってしまった様な感じだったよな。正直言ってちょっと怖い位だった。今日も待っている
なんて事にならなきゃ良いけどな』
昇はキラ星の事を考えると、どうも憂鬱になるので、軽く頭を振って、気持ちを切り替えた。それから得意の
昼寝に入った。
『三十分眠ろう』
そう思ってテーブルに突っ伏して、眠ってしまった。ほぼ予定通り三十分で目覚めた。午後二時、レジ打ちの
仕事再開である。しかしやって来たお客を見てドキリとした。相変わらずのミニスカート姿の久米原香澄だった。
「お久し振りね。驚いた?」
「あ、はい、どうしてここが分かったんですか?」
昇はキラ星を除けば特に誰にも言っていない筈である。
「私には忠実な僕(しもべ)達がいるのよ。彼らに命令すれば、大抵の事は分かるわ。自宅がこの近所だって事
もね」
「ああ、そうですか。その、ポイントカードはお持ちですか?」
昇はなるべく平静さを保ちながら義務的に言った。
「いいえ、支払いはこのケータイでお願いするわね」
「はい、かしこまりました。ええとチョコレート百九十八円」
香澄が買ったのはチョコレート一個だけだった。携帯電話による支払いサービスをここのスーパーでも最近始
めたのだった。
通信機能を利用して、クレジット決済をするのだが、結構面倒である。専用の機器を操作し、ケータイに埋め
込まれた専用のチップを読み込ませる。
それだけなら良いのだが、面倒なのは本人を確認する事である。盗んだ携帯で支払いされては困るので、そ
ういう作業が必要らしい。
最終的に作業が終了するまでに、数分掛るのだ。現金だったら一分とは掛らないのにである。混んでいる時
にはちょっと困ったものになる。
『混んでいる時でなくて良かったな』
昇はそう思った。
「ところで、明後日の月曜日はお休みよね」
「は、はい」
昇は香澄の情報網の確かさに驚きを感じた。
「林果さんがお話があると言っているのですけど、来てくれます? 『デ・アリータ』の最上階のレストラン『ジュピ
ター』なんだけど」
「えっ! 林果が? ほ、本当なのか?」
「勿論よ。午前十一時。お昼のお食事をしながら話したいらしいわ。ちなみに彼女もその日はお休みらしいわよ。
十一時というのは少し早い気もするんですけど、レストランが混む前に席に着きたいらしいのよね。それと、沢
山お話があるらしいわよ。お分かりになった?」
「ああ、月曜日、午前十一時、『デ・アリータ』の最上階のレストラン『ジュピター』だよね」
「ふふふふ、良く出来ました。じゃあ、確かに伝えたわよ。失礼するわね」
香澄は要件を済ませたとばかりに、さっさと店を出て行ったが、彼女の少し後ろを二人の男達が即かず離れ
ず歩いて行った。
『ごつい体の連中だな。ははーん、ボディガードか。……相当人に恨まれているんじゃないのか?』
昇にはピンと来た。ただ、香澄の後姿にちょっと見とれた。
『敵ながら見事なバディだな。しかし、敵は敵だからな!』
昇にとって、林果の敵は自分の敵なのだった。
「ねえ今の人誰?」
隣のレジにいた主任の鮎原メグミが聞いて来た。
「知り合いです」
「へえー、ただの知り合い?」
メグミはちょっと勘ぐった。
「モデルさんみたいに綺麗な人ね。名前とか知っているの?」
今度は総合食品部門の小池多美がスッと走り寄って来て、聞いた。
「はい、香澄さんって言うんですけど」
昇は言い難そうに言った。
「さっき林果さんとか言っていたわよね? その人が彼女なんでしょう?」
「……、ま、まあね」
多美の問い掛けに昇は更に答え難そうに言った。
「へえー、林果さんか。あれえ、どっかで聞いた様な名前だわね。珍しい名前だから記憶していたんだけど、えー
と、そうだ! 確か大学入試の模擬試験で女子ナンバーワンになった人だったと思うけど、違う?」
誰にも得意な事の一つ位はあるもので、多美はこの種の情報の記憶力は抜群だったのだ。
「ああ、そ、そうです、良く覚えていましたね」
昇は本心で感心した。しかし何かと都合も悪い。
「へえー、昇ちゃんもやるわね。強力なライバルの出現だ。うかうかしていられないわ!」
多美はそこまで言うと走って持ち場に戻り、本来の仕事、商品の品揃えや、販売状況のチェックなどを始めた。
「悪い人にばれちゃったわね。多美ちゃんは口が軽いから、明日になったらスーパー中の噂になっているわよ。
それに、もう一人付き合っている人が居るんじゃないの? すっかり評判になっているわよ。
それから男の焼き餅は結構怖いから、気を付けた方が良いわ。特に万田屋スーパー梅ノ木店の上野岡さん、
貴方知ってる?」
「あ、はい、一応。でも、ここと関係ないと思うんですけど……」
昇はメグミが上野岡銀次郎を知っている事が意外だった。
「貴方と逆なのよ。彼は男女関係の問題があって、ここを首になった人なのよ。大きな声じゃ言えないけど……」
メグミは急に声を潜めて言った。
「雪美ちゃんにちょっかいを出して、レイプし掛けたのよ。未遂だったけど」
「ええっ、それは酷いですね」
「そうなのよ。それに嫉妬心も強くて、ここに来れた義理じゃ無いんだけど、たまに来て彼女に男が居るかどう
か探りに来るのよ。本当にしつこい男だわ。まあ、彼は未だに合意の上だったって言っているんだけど、貴方は
彼を知っているんでしょう?」
「ま、まあ、ちょっとだけですけど……」
メグミの言葉は十分に昇に警戒心を起させた。
『畜生、良い女と見れば見境無しの男なのか。ふうむ、喧嘩しても勝てそうも無いしな。向こうのスーパーだった
ら、小姫さんが居るから、大丈夫だと思うけど、こっちに来たり、どこか別の場所で林果と一緒のところでばった
り出会ったりしたら危ないかも知れないな……』
昇はまた頭痛の種が出来てしまったと、憂鬱になったのだった。