夏 休 み 未 来 教 室 


                                              春 野 夢 男

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「ああ、それでは私のケータイを使いましょうか?」
 信念がケータイ電話を取り出して提案した。
「録画が出来るのですか?」
「まあ、録画も出来ますが、録音だったら二時間位はバッチリ出来ますよ。集音力も良いし、こういうちょっと
した集会用に作られた機能を持っているタイプなので、一番適していると思います。まあ、同じ機種をお持ち
の方があればそれを使っても宜しいのですが」
「バッテリーの方は大丈夫ですか?」
 チャーリーは自分自身も時々充電の必要があるので気になって聞いてみた。

「はい、今朝早くに充電したばかりですから、途中でバッテリー切れは無いと思います」
「じゃあ、お願いしましょう。それでは皆さん、たった今から録音されますので、ご了承下さい。良いですよね?」
「異議ありません。そのララさんは大丈夫かしら?」
 キャシャーンが多少からかい気味に言った。

「ふん、バッチリOKよ。それより私以外の女性の皆さん、私ばかり目だって、御免なさい。何しろ太陽のよう
に明るいキャラなので、それは仕方の無いことね、オホホホホッ!」
 ララは尚更明るく大きな声で笑いながら言った。無論少し小ばかにしたキャシャーンに反撃する意味を込
めていた。

「えーと、ララさん、声が大き過ぎます。もうちょっぴりだけ声のトーンをさげて下さい。お願いしますよ」
 チャーリーがそう言うのを待っていましたとばかりに、
「うっふん、チャーリーがそう言うのだったら、控えめにしますわ。二人は一心同体なのですからね。あっち
の方は物凄かったし……」
 などと悩ましげに二人の濃厚な関係を自慢して言った。

「オッホン! さあ、午後の部を始めましょう。今度はどんなお話でしょうかな、チャーリーさん」
 咳払いでララを黙らせて、信念は直ぐ講義を始めるように促した。
「はい。それでは行きましょう。ああ、その、一つ皆さんをテストいたしましょう。と言っても、別に計算問題を
出したり、文章を書かせたりする訳ではありません。
 問題を一つ出します。その答えを皆さんに言って頂きます。しかしその答えは多分皆さん同じだと思うの
ですが、こんな場合はどうしますか?」
 チャーリーは一人一人の顔を見ながら話し始めた。

「今皆さんは湖のほとりにやって来ました。ところが少し離れた所で二人の少年が溺れていたとします。皆
さんにはロープの付いた浮き輪が何個かあって、二人を助ける事は容易だとしましょう。
 ただA少年は神の存在を信じる少年であることが分かっています。もう一人のB少年は日頃から神の存在
を信じない少年だと分かっているとしましょう。
 この場合、皆さんはこの二人の少年を助けますか? まさか二人とも見捨てる人はいないと思いますが、
一人だけを助けますか? それとも二人を助けますか?」
 ほぼ全員がちょっと拍子抜けした感じだった。もっと難しい問題かと思っていたからである。

「言うには及びませんわ、勿論二人とも助けます」
 ララは相変わらずの高いテンションで即座に答えた。
「考えがどうであろうと、私は絶対に二人とも助けます。神を信じる信じないはまた別の問題でしょう」
 次にゲルクが言った。疑いを一切持っていないようである。

「私も当然二人とも助けるわね」
「勿論私も」
「この問題にどういう意味があるか知れませんが、私は一児の母親です。少し言い難いのですが、どちらか
が我が子だったらそちらを優先して助けます。
 次にもう一人の少年を助けます。神を信じる信じないは二の次ですわ。あのう、信念さんは考え込んでお
られますけど、一人だけを助けるのですか? それとも……」
 正美、キャシャーンがゲルクに同調したし、林果は更に具体的に言った。しかし意外に思われたが、信念
は中々助けると言わなかった。

「信念さんは助けませんか?」
 チャーリーは信念が何に拘っているのか想像が付いた。
「いいえ、勿論、お二人とも助けます。しかし妙な事になることに気が付きました。はあ、チャーリーさん、貴
方は深い、正に真理が見えていますね」
 信念はじっと考えながら、自分の言葉を噛み締めつつ言った。

「どうやらお気付きになったようですね。今の事は午前の部のおさらいみたいなものです。信念さんが気が
付いた事は多分これでしょう。
 つまり助けられる少年の側から考えるのです。この場合、少年AとBは神を信じる者と信じない者です。で
すが、普通は今のような場合はどちらも助かるのです。
 信じるものは救われると言いますが、それは嘘です。全くこの逆、誰も近くにいなければ、二人とも溺れ死
ぬでしょう。
 神を信じれば助かるなどとは大嘘なのですよ。その様に都合の良い神は存在しないのです。そこのところ
を良く考えて頂きたい。それでは次に移ります。
 本来はここで『遠未来論』を展開するのですが、私には何か嫌な予感があります。私の本能はこの場をな
るべく早く去れと言っています。
 全く物音がしないことがかえって不気味なのですよ。ですから今一つだけ課題をこなしてから、すぐ地上に
戻る事に致しましょう。
 その一つの課題とは我々の目に見えるこの世界、今目に見えている直ぐ近くの情景。そこに自分がいて
動いたり考えたり色々な事をしている。
 そのありふれた事の中に深い深い真理が潜んでいるということを、そのことに気が付いて欲しいのです。
ここで私は今手を動かします。
 この自分の意志によって動くということ、いや、ただ動くということ、それだけでも科学的に説明する事が
頗る難しいのだということに気が付いて欲しいと思っているのです」
 チャーリーは課題を絞る事にした。
『どうも、今までの経験からして、何か妙なんだよね。静か過ぎるというのが……』
 考え過ぎかも知れないと思いながらも、気持ちが落ち着かないのだった。

「別に不思議は無いわよ。私がここで話をしているけど、それが不思議だと言うのかしら? もしそうだとす
ると、私達の世界は不思議だらけになって大変よ」
 ララは常識的なことを言った。

「今、ララさんが言った様にこの世の中は実は不思議だらけなんですよ。私達は誰しも認識という不思議を
持っています。
 この認識という奴は実に厄介です。科学的に説明は殆ど出来ていません。例えば音がある事は分かっ
ていても、音とは何かという根本は全く分からないのです。
 ただ事実として音はあるし、その根本が分からなくても、私達は音を利用出来ます。その代表例が言葉で
す。言葉がどうしてこのようなものなのかは分からないのですが、それでも私達はそれをかなり自由に駆使
出来るのです」
「そうよねえ、話しは簡単に出来るわ。でもそれの何処が問題なの? 何が分からないというのか、私には
それが分からないわ」
 ララはいたって正直に言った。他の者達も本当はララの様に余り良く分からなかった。

「それではララさんのお言葉を受けて、もう少し説明致しましょう。そうですね、こう言えば宜しいでしょうか。
例えば認識には自分があります。自分の無い認識は存在しません。
 それから認識という言葉は分かり辛いでしょうから、『痛み』と言っておきましょう。『痛み』は分かりますよ
ね、ララさん」
「そりゃ分かるわ。痛みの分からない人なんて、普通いないわよ」
 ララは次第に自分がチャーリーの講義の中心に居る様な気がして来て気分が良かった。口はますます軽
くなって行った。

「では、他人は痛いのでしょうか?」
「他人の痛みは即ち『他存在』ですわね?」
 そこは林果が言った。以前話し合ったところでもある。
「はい、他存在なのです。ところが厄介な場合がある。多重人格をご存知と思います。この場合はどうなので
しょうか?」
「それは、脳の中に複数の人格が存在するのでしょう?」
 正美が言った。しかしチャーリーの意図までは分からなかった。

「うーん、正美さん、脳の中に複数の人格が存在するってどういうことですか? 別人が何人も居るのです
か?」
「ええと、微妙に違うと思うのですが、その、本来一人の人の筈が、二人になったり三人になったり、或いは
それ以上になることもあるようです」
 正美はかなり苦し紛れな言い方をした。

「じゃあ、具体的に言いましょう。認識は、いや『痛み』はその多重人格の全員が感じるのですか? それと
も一人だけですか?」
「えっと、それは一応一人だけだと思います。一人の人格が現れた時、他の者は眠っている事が多いから
です」
「ふうむ、だとすると、多重人格は全くの別人ですか? 痛みの共有は無いのですね?」
「はい、つまり、本来は一人の体に一人の人の心が住んでいますが、分裂して二人以上になると、眠りと目
覚めを交互に繰り返して、一人の記憶がもう一人には無い場合も少なくありません。
 ただ、優位に立つ人格があって、その人格は別の人格の行動やら何やらを冷静にみている事もあるよう
です。詳しい事はあまり良く分かりません」
 正美は脳外科の研究員でもあるので、脳に関することは一通り知っているのだが、多重人格は心理学の
領域であって専門外なのである。

「はい、それだけ分かれば十分です。私が言いたかったのは、自分というものに複数の者の融合が有り得
るということでした。
 しかし物事には限度があります。十数人の多重人格者もいるということを聞いた事がありますが、千人や
二千人は無いと思います。
 ただこのように私達の世界には、複数のものの統合、極微の世界で言うのならば融合という現象がある
のではないかと考えているのです」
「あのう、一体何を言いたいのでしょうか?」
 キャシャーンは首を傾げながら聞いた。

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