夏 休 み 未 来 教 室
春 野 夢 男
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「唯一性についての理解を、より深めて貰いたいと思ったのです。つまり、先ほど言った認識、より具体的
には『痛み』を感じるということは、どういうことかという事なのです。
多重人格と言う事を考えれば、場合によっては『痛み』の共有もあるかも知れません。しかし、たとえ何人
で共有したとしても、その『痛み』を感じているのは、ただ一人自分だということなのです。
これは実はかなり分かり難い。例えば今私が顔を殴られて痛いとしましょう。全く同時に、キャシャーンさ
んも同じ場所を同じ様に殴られて痛いとします。
この場合、痛いのは二人です。しかし私達が双子だとすると少しややこしくなる。例えば全く同時に痛くな
り、痛み具合も、その場所も同じで尚且つ、痛みの治まり具合も同じだとするとどうでしょうか?」
「でも、二人に違いないわよ」
相変わらず、ララの反応は早い。
「はい、普通に考えれば。しかし私達が常に、一人しか見えていなければどうでしょうか? 双子なのにいつ
も人前では一人しか出て来ないとすればどうでしょうか?」
「どんなに一人しかいなくても、二人は二人でしょう?」
キャシャーンはチャーリーの考え方の意図を掴みかねていた。
「はい、それは私達が彼等が双子である事を知っているからです。ところが誰もそれを知らないとすればど
うでしょうか?
更に、彼ら自身も、もう一人の自分に気が付かないとすればどうでしょうか? しかも今はクローン人間さ
え可能になった時代です。
双子以上に良く似ていて、区別が付けられません。一人だと思っていた人が実は三つ子というか、クロー
ンが五人も六人もいるとするのです。
さっき言った様に、誰も自分のクローンが何人も居る事を知らないとすればどうか? この場合、痛みが
ただ一つであると考えても、複数あると考えても同じ事になります」
「一体それがどうしたというのですか?」
ゲルクも理解不能であることを表明した。チャーリーは委細構わず更に話を進める。
「さて、そうしておいて、今度はそのクローン達を一人ずつ殺して行くのです。勿論これは仮想の話ですから、
お間違えの無いように。そうした場合何が起りますか?」
「別に何も。例えば自分の他に五人のクローンがいたとして、その五人が全員殺されても、自分が生き残っ
ていれば、どうという事は無い訳だし、まあ、自分が殺されては堪りませんけどね」
信念はやはりチャーリーの思考について行けなくて、常識的な判断を示した。
「そこですよ! 今言ったそれ、信念さんが言ったそれこそが、唯一性の概念のもっとも重要な部分なのです。
今話に出て来たクローンとは実は他存在のことであり、また、同一性の概念の事でもあります。
区別の付かない、A、B、C、D、E、Fの六人が居たとしても、そのどれかが自分であること。自分であるが
ゆえに、ただ一つしかない事、それがこの宇宙を貫く絶対の真理なのですよ」
チャーリーは強調したが、それでも誰にも理解出来ていない様だった。
「まだ意味が良く分からないんですけど。そんな風に言わなくても、それは分かりきった事じゃないんでしょ
うか? 自分がただ一人しか居ない事は明確な事でしょう?」
林果さえも首をひねって言った。
「ところが、そうではないのですよ。くどいようですがもう一押しですので、良く聞いて下さい。さっきのクローン
殺害を考えてみましょう。
皆さんがそのクローンの一人だとして、一人だけ生き残ると知らされたらどうしますか? まあ、こういう例
は余り好ましくありませんが、分かり易さの為に敢えて仮想の実験、逆ロシアンルーレットをやってみます」
「逆ロシアンルーレット?」
正美が首をひねった。チャーリーの発想がさっぱり理解出来ないのだ。
「つまり、ロシアンルーレットの場合、六連発銃に、弾は一発だけですが、今回は五発入っているものとしま
す。最初に一回だけ弾倉(だんそう)をぐるぐる回して、順にこめかみに銃口を当てて一回ずつ引き金を引
くのです。
世にも恐ろしいルーレットですが、仮想の世界なので何でもありなのです。普通誰も死にたくはありません
から自分は助かりたいと願うでしょう。しかし助かるのはただ一人。
この時、世界は二者択一になります。自分が死ぬか、或いは生き残るか、二つに一つです。ところが第三
者から見ると、おや不思議、誰が助かり誰が死んでも同じ事になるのです。
何しろクローン人間です。生き残った一人に対する態度は全く同じと言っても良いでしょう。しかしそれば
かりではありません。生き残った一人にとっても、その状況は全く同じなのです」
「あのう、それがどうしたのでしょうか? さっきから同じようなことを何度も手を変え品を変えて言っている
だけに思えますけど?」
キャシャーンは少し苛立って言った。
「お待ち下さい。たった今分かります。さて、さっきまで言ったことの中で、違いは何処でしたか?」
チャーリーはそう言うと、周りを見回した。少し考えてから、
「あのう、ええと、死んだ人は、ロシアンルーレットの後の事を知りません。生き残った人と、死んだ人との違
いがあります」
林果が自信無さそうに言った。
「そうです。では、死んだのは何人ですか?」
「はははは、五人に決っているというと思うでしょうが、これは引っ掛けね。うーん、多分一人よ。五人死んだ
と分かるのは生き残った人だけだし、チャーリーの考えそうな結論はきっと一人なのよ!」
ララは勢い良く言った。
「はははは、その通り。本当に死ぬのは自分一人であるというのが今回の落ちなんですよ。しかしララさん、
良く見破りましたね」
「えっへん、私とチャーリーとは一心同体なんですから、分かって当然よ。でもどうして?」
「あちゃ、さっきのは当てずっぽうだったのか。まあ良いけどね。この場合、何も言っていませんでしたが、ロ
シアンルーレットは第三者が拳銃を渡したと考えるのです。
他にクローンが居るかいないかは私は言っていませんでした。敢て言わなかったのですよ。こちらの趣旨
に気が付けば、そういう設定も有り得ると分かる筈ですからね。
気が付かないとすればこちらの趣旨からかけ離れた考えをしていたことになります。さて、いよいよ、大詰
めです。
ここまで、くどくどとやって来たのは、死ぬのはただ一人であり、それゆえ、それこそが生命の定義になっ
ているからなのです」
「生命の定義?」
何人かがそう思って口に出した。
「はい、生命の定義です。現在、生物学的な生命の定義はまだ定まっていないと聞きます。それは当然な
のです。生命の定義は同時に死の定義でもある。
それらの定義には自分自身の死、自存在の死、従って唯一性の概念が絡んで来るのです。しかも、甚だ
厄介な事に、広義の自存在そのものは無くなる事がありません。
つまり私達は、生物学的に死ぬ事はあっても、自分自身の元となる、広い意味での自存在、唯一性を持
つ、自分自身は消滅する事がありません。
簡単に言ってしまえば私達は永遠に不滅であるという事なのです。前にも言いましたが、存在する物は、
変化はしても、消滅は有り得ません。しいて言うならば、人間の様な高度な生命体は、唯一性が際立ってい
ます。先程はクローンは全部完全に同じなように言いましたが、実際には良く見れば見分けられる程度の
違いはあるでしょう。
逆に生命に至らない物質は唯一性が薄れて、同一性が目立って来ます。さっき言ったクローン達は実際
相当同じ行動をするでしょう。
もし一人が野球の選手なら他の者もそうなるでしょうし、一人がピアニストなら他の者もピアニストになる
でしょう。
これが極微の物質、素粒子のレベルだともっと甚だしい事になります。全く同じ性質を持つ同時に発生し
た素粒子は、この宇宙の何処に発生しても同じ動きをすることが知られています。
素粒子の動きは若干の制約があるものの一般的にランダムであると言われていますが、ランダムである
筈にも関わらず同一の動きを示すのです。
そこいら辺から考えて、一つ分かるのは、進化というのは、実は唯一性が際立って来る事だと考えられ
るのです。
人間は首が消失すればそれで死にますが、プラナリアという原始的な生き物は首と言うか、頭の部分が
千切れても再生します。これは私流に言えば、唯一性の度合いが少ない、ということになります。
その唯一性の度合いを、唯一化、或いは逆の同一性の度合いを同一化と呼んでいます。ふう、やっと、
唯一化と同一化について言いましたが、詳しい事はまた何時の日にか致しましょう」
チャーリーは一応の目標だった唯一化概念について多少なりとも話せたので、一応満足した。その時だった。
「ドオオオオーーーンッ!!」
頭上から凄い音が響いて来た。どうやらミサイル攻撃の第二派がやって来たようである。爆破音が近い
のはより強力なミサイルか、地中深くを攻撃する特殊なミサイルが使われた為らしい。
「キャーーーッ!!」
大きな声でララが叫んだ。音が凄くてもまだかなり距離がありそうなので、他の者達は割合平然としていた
が、さすがに顔色は青くなった。
「もう二、三発食ったら、ここも危ないですね。じゃあ、今日の講義はここまでにして、脱出しましょう!」
会議室から皆一斉に飛び出したのだった。