夏 休 み 未 来 教 室
春 野 夢 男
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『昇、ご飯よ!』
「は、はい!」
母親に起されたと思って、ハッとして目覚めた。
「ああ、済みませんな。ビックリさせてしまいましたか。ああ、その、食事の支度が出来ましたからね、軽く起
した積りだったんだが、その……」
「いいえ、ついうとうとしてしまって。はははは、ずっと昔、母親に起された夢と重なりました。うううっ、ああ、
いや、何でもありません」
チャーリーは不意に自分の両親と妹の事を思い出して、涙を零しそうになった。自分の家族の事はとっく
に記憶の彼方に捨て去った積りだったのだが、突然思い出してしまったのである。
『ふう、林谷昇はもう死んだんだ。今更何を考えているんだ!』
自分を叱咤すると、
「ああ、美味しそうな赤ワインですね、それじゃあ乾杯しましょう、乾杯!」
そう言って、家族の事は記憶の彼方にもう一度捨て去ったのだった。
「乾杯! ワインのお代わりは幾らでもありますからな、遠慮されずに飲んだら良い。それに摘みもまだ何
種類かあるし、今夜だけは邪魔者もいない。ゆっくりと語り明かしましょう」
ケッペルは何故か上機嫌だった。
「はははは、ご機嫌ですね、何か良い事でも御座いましたか?」
「なあにね、ノアシティで二人して遊びに行った時の事を思い出したのですよ。あの時は後が拙かったが、
その前は、まあまあ楽しかった。
今夜は怪しげな連中に邪魔される訳でも無いから、安心して飲めるし、チーズも生ハムも極上の物なん
ですよ。ああ、それとここにもう一つ、ソーセージもありますよ。これも私好みの奴でしてね」
ケッペルは如何にも美味しそうに、チーズや生ハム、ソーセージを食べ、遠慮なくワインを飲んだ。チャー
リーも調子を合わせて飲んだ。
『しかし、少し解せないのは確か、随分急いでいたのではなかったのかな?』
チャーリーも美味そうに食べたり飲んだりしていたが、ふとそんな疑問を感じたのである。
「ああ、少し怪訝な顔をされている。大急ぎでここに連れて来た割にはのんびりしていると思っているのじゃ
ろう?」
「ええ、まあ、そうなのですが」
「そろそろ本当の事を申しましょう。車の中では兵士達の手前、詳しく話せませんでしたが、実は明日から、
チャーリー・クラストファーの偽者退治をして頂きたいのですよ」
「偽物退治?」
「はい、私達を取り調べた兵士も言っていたと思うのですが、このところ貴方の名を騙って、各地でしたい
放題の連中が出没しているのです。
貴方が怖いのか、東海岸では全くその事例はありませんが、西海岸、特にロサンゼルスとサンフランシ
スコで複数の偽物が現れて困っているそうです。
一人か数人のグループで、マジックを使って、それこそ空を飛んで見せたり、コインを曲げたり、中には拳
銃で撃たせてみたりして、信用させ、豪遊したり、大金を強引に借りるなどしているようです。
うそ臭いと思いながらも、怖くて警察にも訴えられずにいるようです。早速明日にでも、先ずロスアンゼル
スに行って退治して貰いたいのですが、宜しいでしょうか?」
ケッペルは低姿勢で言った。
「はははは、じゃあ、四、五日のんびりして頂きたいと言ったのは、一種のカムフラージュですか?」
「あはははは、じ、実はそうなのですよ。最近我々も用心深くなりました。今回のジュニアの事件以来、仲間
を百パーセント信用出来なくなったのです。
悲しいことではありますが、背に腹はかえられません。ザッとの計画は話しても詳しい話はしない、そうい
う態度を貫く事にしたのですよ。
従って、今後は、そんな話は聞いて無いぞ、というような事があるかも知れません。しかし怒らないで頂き
たい。全てはこの地球の為に、この地球の未来の為です。
少しの嘘には目を瞑って欲しいのですよ。今回の様な事が二度と起らない様にする為にね。というような
訳で、何事も直前にならないと、本当の事は分からない様なシステムになります。了承して頂けますでしょ
うか?」
ケッペルはかなり慎重である。気持ちの裏にチャーリーに対する恐怖心が隠れていた。
「はははは、ケッペル先生、そんなに慎重にならなくても。良く分かりました。全て了承致します。とすると、
明日の朝、ロサンゼルスに行く事は本当なのですか?」
「はい、偽者退治は全く本当の事です。明日の朝早く、朝食も取らずに行って頂きます。朝食は機内食とい
う事になります。
それと、今ではすっかり有名になった貴方のその顔では、何かと差し障りがあるので、朝一番に変装して
頂きます」
「そんなに有名なんですかね?」
「はい、今、テレビでは貴方の出演するコマーシャル、自動ドアのコマーシャルが大変な話題になっていま
すし、テレビの特番でも凄い視聴率を稼いだと聞いております。
アメリカだけではなく世界中で大変な話題になっているのですよ。あれ? ご存じなかったのですか?
えっと、テレビは見ないのですか?」
「ああ、そうだったんですか。全然知りませんでした。確かコマーシャルやテレビの特番はまだ少し先の事
だと思っていましたけどね」
チャーリーはそう記憶していた。
「ああ、そのことでしたら、テレビのワイドショーでも言っていたのですが、貴方の人気が凄いので、テレビ
放映を前倒ししてやっていると聞きましたよ。
兎に角、貴方の顔がテレビに出ない日が無いのですよ。まあ、というような訳で変装、と言っても、簡単な
ものです。サングラスと帽子とヒゲ位ですからね。その、了承して頂けるんですね?」
ケッペルは改めて確認した。
「はい、全面的に協力します。偽者は殺す訳にはいかないですよね?」
「あああ、その、なるべく穏便に。まあ、多少は痛めつけた方が良いと思いますがね。ですが、殺害だけは
しないで頂きたい。
チャーリー・クラストファーは偽物を許さない、その様な姿勢がアメリカ中に伝われば良いのですからね。
くれぐれも殺害だけはしないで頂きたい。お願いします!」
ケッペルは本気で懇願したのだった。
「はい、分かりました。ふう、大分遅くなりました。そろそろお開きにしませんか?」
「ああ、もう午前零時を回りましたか。それでは貴方の部屋にご案内致しましょう。どうぞこちらへ、何ね、
隣の部屋なんですよ」
ケッペルはかなり酔っているのかふらつきながら、部屋を出て、隣の部屋のドアを開けた。鍵などは掛っ
ていない様である。
「鍵は内鍵になっています。中に人がいない時には鍵は掛っていません。その位で十分でしょうね?」
「はい、ああ、そのお休みなさい。あの、ご馳走様でした」
「ああ、お休み。いや、今日は良く食った。明日は私は貴方とは別行動ですので、ロスには別の者が案内
する事になっておりますからな。
じゃあ、暫くは、と言っても、四、五日したらまたここで会うことになると思うがそれまでは、さようなら!」
「さよなら!」
廊下で別れを告げて、二人は銘々の部屋に入った。山中のせいか、虫の声や蛙の鳴き声が聞こえる程
度でいたって静かな夜だった。
「はあーっ!」
チャーリーは一人になると、先ずは大きく溜息を吐いた。今日一日の、並の人間だったら、耐えられない
様な出来事、少ないとは言っても数十人は殺した事、瀕死の重傷者も百人はいただろう事を考えると、や
りきれない気分だった。
『さあ、何時もの様に、沈み風呂だな。ああ、一応トイレに行ってさっきまで食べた物を出しておこう』
トイレで大便風な物を出し、小便風な物も出して、気分良く風呂に入った。
『日本風な風呂だと良いんだけどねえ。ああ、やはりちょっと無理だったか。まあ、兎に角入ろう』
日本風な風呂を思い出しながら、しかし、やっぱり洋風な風呂だったので、少しがっかりして裸になって
入った。何時もの様にお湯をたっぷり入れて、底に沈んだ。
『まあ、多少不満はあるけど、やっぱり風呂は良いね。……俺が殺したのは建物に入り込もうとした連中
だったんだよな。
何が何でも、仲間は守る。特に林果はこの命に代えても守る気だったからね。一切手加減はしなかった。
ああ、しかし、人間の首の骨が簡単に折れてしまう。
そりゃそうだろう、銃身が簡単に曲がる位だからね。だけど、出来れば殺したくなかった。あの連中が逃
げてくれる事を祈ったけど、一人も逃げなかったな。
やっぱり宗教は怖い。『宗教は心のアヘンだ!』という言葉を聞いた事があったけど、本当だと言わざる
を得ないな』
しばし沈黙した。ただ、ケッペルの部屋でほんの短い時間だったが眠ったせいなのか、直ぐには寝付け
なかった。
『うーむ、過去の事を考えるのはもう止めよう。それより明日の事だ。ロサンゼルスで偽者退治だって?
偽者が横行しているって事か。
マジックを使って、空を飛んで見せたりするってか? へえ、凄いねそりゃ。しかし嘘はいけない。ああ、
しかしちょっと怖いね。
素直に謝罪してくれれば乱暴はしないんだが、何処までも突っぱねたり、ましてやナイフや銃を使ったり
すると瀕死の重傷を負わせてしまいそうだぞ。
……仕方があるまい。簡単に許したりしたら、付け上がって来る恐れがあるからな。厳しくお灸を据え
なければね。……厳しく、しかし死なない程度に。ふう、眠くなって来た』
結局チャーリーはそのまま眠ってしまったのだった。