夏 休 み 未 来 教 室
春 野 夢 男
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『眠れ、眠れ、私の可愛い子、今夜はもう遅い、お休みなさい、……』
それが夢なのか、それとも現実なのか、割合はっきりと、歌声が聞こえて来た。歌詞から想像すると、子
守唄なのだろう。
奇麗なソプラノの歌声だった。ちゃんとオーケストラの伴奏まで聞こえて来る。このリアルさは、むしろ夢に
違いないとチャーリーは、いや、昇は確信した。
『あああ、やっぱり夢か。高校時代に重い病気をした時も、こんなリアルな夢を見たよな。特に恐怖感の強
い夢だったけど、後で考えてみると、不思議に何時も音楽が流れていた。
ビートルズの様な流行物(はやりもの)にひたすら背を向けていた。クラシック音楽ばかり聞いていた時期
があったな。誰とも理解し合えずに恐ろしい位孤独だった。
青春何とか、というテレビドラマもあった。『嘘っぱちだ!』そう確信していたよな。まあ、その確信は当たっ
ていたけどね。でも、ますます孤独になって行ったよな。
誰とも分かり合えないのは辛い事だったけど、しかし結局は自分の考え方は正しかった。ただ、時代を
先取りし過ぎていた。
もう五十年遅く生まれていたら良かったのに。何度も何度もそう思った。勿論それは、夢、幻に過ぎない
事だって分かっちゃいるけどね……』
悶々とした日々を過ごしていた高校時代の事を一しきり思い出すと、後はお風呂から上がると同時に、
奇麗さっぱりと忘れたのだった。
「コン、コン、コン」
風呂から上がり体を乾かし服を着て間も無く、絶妙のタイミングでドアがノックされた。
「はい、どうぞ、開いていますよ」
チャーリーは元々鍵は掛けていなかった。
「失礼します、ケッペル先生からお聞きと思いますが、変装用の小道具をお持ち致しました。ああ、あのう、
私は暫くの間、貴方様とご一緒する予定の、ハルクと申します。
アーノルド司令の部下ですがケッペル先生付の任務を頂いております。今はケッペル先生の指示で、
チャーリー様のお世話をさせて頂くことになりました。ほんの四、五日の事で御座いますが、宜しくお願い
致します」
ハルクは何とも慇懃(いんぎん)に言った。
「ああ、そうですか、チャーリーです宜しく。係りは君一人ですか?」
「ふふふふ、私もよ、チャーリー、良からぬ遊びをしない様に見張りませんとねえ」
ドアの陰から現れたのは正美だった。
「ええっ! 正美さんは確か……」
「言いたい事は分かるけど、これには色々と事情があるのよ。それは後々お話しするとして、先ずさっさと
変装致しましょう。さあ、イスに腰掛けて大人しくしていなさい」
正美は有無を言わせない感じだった。
「ああ、分かった。どうぞ好きなようにしてくれ」
チャーリーは観念した様にイスに座った。そこで早速ハルクと正美とで、髪型を直すやら、ヒゲを貼り付け
たりするやらして、忙しそうにチャーリーの顔をいじっていたが、三十分ほどで変装は終了した。
半球型の帽子を被り、あごひげをつけ、サングラスを掛けた。夏らしく半袖のTシャツを着たが、その上に
薄地の絹の光沢のあるジャンパーを羽織った。ズボンは穴などの無いGパン。関節部分にはゴムなどを付
けて軽快に動ける様に配慮してある。
「貴方の名前は、ロサンゼルスに着くまでは、特に飛行機内ではサンダー・ホーストよ。一応アメリカ空軍
に所属している事になっている。
ただし、特命行動中だから、余計な事は言う必要が無いわ。何かあったら私達がカバーしますからね。
それにしても人相が悪いわね。でも暫くの辛抱よ。それじゃあ、飛行場までゴーよ!」
そこに来た時も慌しかったが、出る時も結構慌しい。ハルクの運転で三人はオーランドの飛行場へ向
かった。
速度制限の無いスーパーハイウェーを時速二百キロ以上のスピードで突っ走っても二時間以上掛る。
その間、チャーリーと後部座席に一緒に座った正美は、色々な事情とやらを話してくれたのだった。
「ララもキャシャーンもなんだけど、私達、貴方と林果さんの話を、御免なさい、盗み聞きしてたの。わ、悪
く思わないでね、恋する女の、切羽詰った行為だったのよ」
「ふーん、仕方が無いね。それで?」
「林果さんとの関係は、薄々知ってはいたけど、本当だと分かって大ショックだった。そこまでは分かるで
しょう?」
正美は如何にも辛そうに言った。
「ああ、それは良く理解出来る。しかし俺達は別れたんだぜ。問題は無いんじゃないのか?」
「分かって無いわね、いざとなったら子供を武器に使うのに決まっているわ。それが女心と言うものなのよ。
愛する男の為には狂ってしまうものなのよ。分かるでしょう?」
「ま、まさか、林果に限ってそれは無いだろう?」
「もし息子さんの昇一君が誘拐されたら?」
「えっ、それは、何が何でも助けに行く」
「ほら、それじゃあ、別れた事になっていないのよ。もし林果さんと昇一君の両方が拉致されたらすっ飛ん
で行くでしょう?」
「うっ、それは確かにそうだけど。それは特別な場合だから……」
チャーリーは痛い所を突かれたと思った。
「もう、全然気持ちが切れていないのよね。昇一君が無事で林果さんだけが誘拐されたらどうします?」
「わ、分かった。もう言わなくて良い。確かに林果と昇一とは自分の命と同じ位大切な事は認めるよ。それ
でそれがどうかしたのか?」
「だから今、林果さんは、それと昇一君もだけど、アメリカ空軍の護衛を受けているのよ。勿論全ては極秘
ですわよ。
ただ、キャシャーンやゲルクやララさんは知らないことなのよ、そこまでされていることはね。それと林果
さん自身も知らない筈よ。
ケッペルさんに説明を受けたと思いますけど、全ては秘密裏に行われているのよ。今回のゴールドマン・
ジュニア将軍の、いいえ、元将軍の事件以後はね」
「ふーむ、随分用心深くなったね。まあ、その方が安心だけどね」
チャーリーは大いに安心した。
『アメリカ空軍が力を入れて、林果と昇一を守ってくれるんだったら、まあ、大船に乗った気分だな』
そんな風に感じたのだった。
「それでご存知でしょうけど、私は貴方の体を良く知っているサイボーグの研究員よ。貴方は今回の事件で
相当に体を酷使しているのよ。
ですから、私がまあ、看護師の役割を担っているのよね。特に、あっちの、いいえ、何でも無いわ。私が
仰せ付かったのは貴方が暴走しない様にということなのよ。
勿論暴走はしないでしょうけど、万一の為なの、分かるでしょう? 私の気持ちも分かっているでしょう?
あああ、チャーリー、……」
そこまで言うと、正美は目を瞑ってキスを求めたのだった。
「ええと、その、暴走はしないようにということだったから、今は脱線というか暴走はしませんよ。その、一つ
聞いても良いかな?」
チャーリーは正美の性的攻勢をさらりとかわして、自分の仕事について聞いたのだった。
「ああ、もう、はあーっ、わ、分かったわ、どうぞ、質問して下さい、ああん、チャーリー」
理屈では分かっているのだが、本能が正美を揺り動かしていた。チャーリーの質問に答えながら、とうと
う抱き付いたのだった。
「まあ、その、ロサンゼルスに行った後のことなんだけど、何処へ行くのかな? 私の偽物は何処に現れ
るんだ?」
チャーリーは正美を軽く抱擁しながら、しかしその気が無い事を暗示した。如何にも仕事的な聞き方をし
たのである。
「それは見当が付いているわ。ああ、チャーリー、せめてキスだけでも、お願い、もう狂いそうだわ……」
正美は今が最大のチャンスとばかりにじっくりとキスを求めたのだった。
『参ったな。別に嫌いな女性じゃない。いや、むしろかなり好きな女性だ。うーむ、どうしようか? しかし、
セックスが始まったら止められない。
運転手が気の毒というか、安全運転に支障をきたすかも知れない。やっぱり拙い。はっきりと断ろう。ま
あ、キスだけにしておこうか』
チャーリーの方針は決った。
「正美は好きだけど、ここじゃ拙いよ。キス以上は駄目だ。分かるよね?」
「はあん、了解したわ。あああ、燃える様なキスをお願いよ……」
正美は直ぐに舌を絡めた濃厚なキスを仕掛けて来た。チャーリーは止む無く応じた。無論数分で終った。
チャーリーはチラッと運転しているハルクの方を見た。ちょっと見た目には平然としている様だったので一
応安心はしたが、
『申し訳ない。何とか安全運転お願いします!』
心の中でそう祈っていたのである。
「ああん、チャーリーは冷たいのね。でもそういう所も大好きなのよ。キャシャーンやララさんはもう貴方に
ついて行けない感じになっているのよ。
まして貴方の手術を見たら腰を抜かすわね。うふふふふ、その点私は全然平気よ。次の手術も私はアド
バイザーとして参加するのよ。宜しくお願いするわね」
「へえ、アドバイザーね。ああ、そうそう、次の手術は一体どうなるんだ? 私は何も聞かされていないけ
どね」
チャーリーは次回の手術が相当大掛かりなものになるとは聞かされていたが、その内容については何も
聞かされていなかったのである。
「も、もう一度キスして。そ、そうしたら教えて差し上げるわ。ねえん、良いでしょう? 私がどれだけ貴方を
愛しているか、分かっているでしょう?」
正美は情報の提供の見返りに更にキスを求めたのだった。