夏 休 み 未 来 教 室
春 野 夢 男
34
『拙い! 視線がびしびし当って来る!』
そう感じて、困っていると、
「林果さんに会いに来たの?」
スッと寄って来て、何気無い振りをしてスーパーの従業員の霧矢部エリが囁いた。
「うん、そうだけど、何か雰囲気、変だね……」
昇も小声で言った。
「生憎だけど、林果さん、ここを辞めたのよ、昨日限りでね。今朝連絡があったのよ」
「ええ、ど、どうして?」
「貴方との事もあるけど、身分がばれちゃって居辛くなったのよ。ここのスーパーとも関連する大会社の社長令
嬢である事がね。
ビックリしたわ。それからというもの、皆気を使っちゃって、私もだけど、仕事にならないのよね。だって粗相
(そそう)があったら、首が飛ぶもの。辞めてくれて正直言ってホッとしたわ」
「そ、そうなんだ。だけど、どうして分かったのかな? 秘密にしていたと思うけど」
「彼女の友達の久米原香澄っていう女の人を知ってる?」
「ああ、知り合いだけど、顔を知っている程度のね」
昇は単なる知り合いである事を強調した。
「彼女がおとといここに来て、買い物していたんだけど、林果さんと大きな声で話をしていたのよ。て、言うか、
その香澄さんが大声で言っていたんだけど、林果さんの正体をね。
林果さんは何とか止めさせようとしたみたいだったけど、一通りの事を言うまでは止めなかったのよ。それで
すっかり正体がばれちゃったっていう訳なのよ。
ああ、いけない、喋り過ぎたわね。えっと、昇さん、フラワーグループのスーパーに居るんでしょう? 梅ノ木店
の方の?」
「ああ、そうだけど。今日は深夜番だから、まだ時間があるから……」
「うふふふふ、分かったわ。じゃあね!」
結構お喋りをしてからエリは仕事に戻って行った。
『仕方が無い。戻るか……』
戻ろうとした所へ現れたのは、上野岡銀次郎だった。
「空戻りするのか? ちっとは世話になったスーパーなんだぜ。商品の一つや二つは買って帰るのが、礼儀って
いうもんじゃないのか」
そう、嫌味ったらしく言った。
「ああ、じゃあ、買って帰るよ」
昇は即答した。話をして楽しい相手ではない。
「逃げる事はねえだろう? おめえの噂は聞いてるぞ、女垂らしなんだってな。……女を泣かせるのがそんなに
楽しいのか! 持てるからって、いい気になるんじゃねえぞ!!」
最後は大声で怒鳴った。
「用事があるから……」
そう言い残すと、昇はほうほうの体でスーパーから逃げ出した。
『ちょっとは当っているから、下手に反論すると薮蛇になるかも知れないからな』
そう感じながら小走りに当ても無く歩き出して、気が付いてみると、山の方へ向かっていた。本来なら林果の
住むマンションに行けば良さそうなものだったが、
『小姫が居るかも知れない!』
そのイメージだけでもう駄目だった。自然とそこからは離れる方向へ向かっていたのだ。
『まだそのままなんだな。でも近い内に取り壊しそうだけどね。重機を積んだ車が来ているし、ああ、多分今日
辺りから取り壊すのかな?』
昇が暫く働いた事のある潰れたコンビニの建物がまだあった。買い手が付かなくてそのまま放置されていたら
しかったが、どうやら解体する様である。
『ああ、小学校の跡地に住宅が作られているぞ。宝本先生の名講義のあった場所は、跡形も無く消えてしまった
んだな……』
昇は頗る残念だったが、何をする事も出来ない悔しさだけを感じて、更に山を登って行った。
『来た序(つい)でだ、スーハー教の教会でも見物してから帰りますか。もっとも、景色を見るんだけどね。しかし
親玉の金森田大先生とかがいるのかな?
まあ、多分会えるとも思わないし、会った所でどうにもならないしね。まあ、それは考えないことにしておこう。
山の良い空気を吸って、良い景色を見てから下山すれば、丁度お昼だ。美味しい昼食を取って、それから一旦
風呂にでも入って、改めて梅ノ木スーパーに行こう』
そんな算段をして、更に山を登り続けた。
昇が山を登るのには、もう一つの理由がある。それは体力の増強の為であった。
『ちょっとは引き締めないとね。だぶだぶの体じゃ林果に申し訳ない。だけど医者の言う極端に過激な運動はし
ない様にって、どの位の事なんだろうね?
まあ、フルマラソンとかだろうね。やる訳無いけどね。そう言えば、随分体が丈夫になって来た様に感じる。
退院して間も無くの頃は本当に弱かったからな。疲れ易くて直ぐ熱とか出したからな。
でもここの所、余り風邪も引かなくなったし、何かこう体に力がみなぎって来た気がするな。ははは、まあ、気
のせいだろうけどね」
山に登り始めてから、およそ一時間で山の中腹にあるスーハー教地域本部教会に到着した。
「えええええっ!!」
昇は驚いてしまった。前に来た時とは比べ物にならないほど大きく立派な建物、西洋のお城の様な豪華絢爛
(ごうかけんらん)な建物がそこにはあった。
大型連休の初日、四月二十九日、日曜日のせいなのか、観光客でごった返していた。大きな駐車場が有り、
何十台ものバスが来ていたし自家用車も百台以上は留っているだろう。
昇の様に歩いて登る者はごく僅かで、殆どの者が、車で来ていたのだ。昇が大勢の人を予想出来なかったの
はその為だった。
『へえーーーーっ! たまげたね。教会と言うよりは、一大観光スポットみたいなものなんだな。ふうん、金森田
という男の正体が何と無く分かった気がして来たぞ』
昇はますます金森田玄斎という男に疑わしさを感じたのだが、
『どうにも出来ないんだよな……』
結局虚しさだけが募って来ただけだった。
『ふん、この感じだと、お城の、いや、教会の中も、観光用にアレンジか何かしてあるんだろうな。覗いてみる
か? ふうむ、この感じだと中にレストラン位は有りそうだな。
もうかれこれ二時間近く歩いているから、足もくたびれたし、まだ十一時過ぎたばっかりだけど、朝飯(あさめし)
を食ってないせいか腹が減って来たよな。
良し、参考までに中に入ってみるか。……待てよ誰でも入れるのかな? 教会関係者だけしか入れないのか
な? それとも……』
昇は入り口らしい所に行ってみた。
『どなたでも入れます。どうぞご自由にお入り下さい、か。やっぱりな』
昇は、金儲け主義者だったらそうするだろうと思っていたのだが、その通りだった。もっとも別に金儲け主義
でなくても大抵は自由なのだが、中に入ってみると、そう確信出来た。
各種のグッズの販売に相当に力を入れているし、レストラン等も充実している。そしてどれもこれも市価より
かなりの割高だった。
『ふうん、スーハー教を表す<SH>をアレンジしたマークが付いていて、ご利益があると言うところか。買って
もしょうがないよな。まあレストランでカレーでも食べて行くか、ええっ!』
レストランの入り口の所に有るサンプルを見て、その値段に汗が出た。
『普通のカレーが二千円! ビール大瓶一本が千円! あ、呆れた! 話にならないな。カレーだったらまだ特
別な香辛料を使っているかも知れないって考えれば納得だけど、ビールは市販のビール瓶に<SH>のシール
を貼ってあるだけじゃないか。何だかどっと疲れが出て来たな。休憩だけして帰ろう』
昇はそう思って案内板を見ると、少し行った所に、正に大広間のような休憩所があって、休める様になってい
る。ただ宗教上の建物らしく、全館全面禁煙だった。
休憩はしてもタバコは吸えない様である。タバコの苦手な昇にとっては、少なくともそれだけは確かに有難い
事だった。
『休憩所でも、三十分幾らとかお金を取るのかな?』
そう勘ぐったが、入り口の所に、無料休憩所と書いてあるので安心して中に入った。中は通路に比べるとや
や暗く、沢山ソファーが置いてあって、ざっと百人位が三々五々小さな塊を造って座っている。
しかし良く見ると、あっちでもこっちでも、如何にも宗教者風なローブを着た数十人の、男女が、しきりに何か
休んでいる人達に声を掛けている。特に一人で来ている者に対してそうしている様だった。
『ここにも来るかな?』
昇の予想通りやって来たのは二人一組になっている若い女性だった。
『ははーん、男には女性が、女には男性が何かの勧誘をしているんじゃないのかな? それと年代も大体合わ
せている』
昇はチラッとあちこち確認の為に見渡してみると、確かにそうなのだ。年代まで合わせているとなると、これは
もう犯罪者の手口に近い。スパイ等が良く使う手だと言われているのだ。
「何か悩み事がおありなのでは有りませんか?」
幸か不幸か二人ともかなりの美形である。しかしこれは彼女達の失敗だったかも知れない。
『正直言って美人恐怖症になりそうなんだよね。小姫さんだって、あれでなかなかの美人なんだよね。俺の周辺
には美人だけど怖いお姉さんが沢山居て、もうアップアップなんだけどねえ……』
昇が、
「悩みは有るけど、自分で解消したいので、……」
と、そこまで言った時、
「恋の悩みなのでしょう?」
もう一人の女性が優しげに言った。
「ま、まあね……」
言い当てられて、ちょっと断りにくくなった。
「複数の女性と、関係がおありでは無いのでしょうか?」
「ええっ、そ、そうですけど……」
また言い当てられてしまった。しかも言い方は丁寧で実に優しい。
「神のみ前で何もかもお話しなさい。気持がとても楽になりますわ。その後で私共ともう一度お話し致しましょう。
きっと力になって差し上げますわ。
私達は貴方の味方です。それと一切お金は必要御座いません。寄付金なども頂きませんので、安心して良い
のですよ」
「さあ、どうぞこちらへ……」
二人の女達は言葉巧みに昇に誘いを掛ける。
「そ、それじゃあ……」
昇も何と無くその気になって、立ち上がった。二人に先導されて、その後を付いて行く。その先の方から癒し
系のBGMが流れて来て、しかも心誘われる様な何か心地良い香りがして来る。
廊下の向こうの方は広間より明るくなっている。その先は更に明るい。まるで罠なんか何もありませんよ、と
言わんばかりの巧みな演出である。その様な演出こそが最も危険である事を、昇は知っていた筈なのだが、
今はすっかり忘れていた。