夏 休 み 未 来 教 室
春 野 夢 男
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「管制官との連絡はついた。状況を詳しく報告してくれ」
機長はこの様な場合の特別回線の電話で客室乗務員の一人と話し合う。コックピット内全体のスピーカー
で副操縦士や機関士なども聞ける様になっている。
「はい、未だに混乱が続いておりますが、どうやら、少し落ち着いて来た模様です。数人の客室乗務員の話
を総合しますと、犯人の一人は顔中包帯を巻いている男らしいです」
「えっ! 顔中包帯だって! 火傷か何かか?」
「詳しくは分かりませんが、搭乗の前の聞き取りでは顔に大怪我をしていると聞いております。他二名は、通
常の状態の男女です」
「ふーむ、それで要求は?」
「現状では何もありません。私が直接聞いて参りましょうか?」
「ひょっとすると、愉快犯というのか、ハイジャックそのものが目的かも知れない。……分かった、犯人をくれ
ぐれも刺激しない様に頼む。
ハイジャックされた旨は犯人の要求がなされた時点で放送する事にしよう。今現在は鎮静化に向かってい
るんだね?」
「はい、徐々に静まりつつありますから、犯人達も落ち着いて来たものと思われます。では行って参ります」
「了解した。健闘を祈る」
電話をしたのは客室乗務員のベテランのチーフだった。コックピット内では祈る様な気持ちではあったが
相当の信頼もしていた。
「だから言わないこっちゃない。ふう、正美さん、包帯はこれで大丈夫かな?」
「はい、OKよ。ああ、でも、この人どうしましょうか?」
「困りましたね、具合の悪い人が多くて、乗務員の手が足りないのでしょうね。中々引取りに来ないですね」
ハルクも直ぐ側で失神したままになっている客室乗務員の介抱をしたものかどうか迷っていた。チャーリー
の側には誰も寄りつかないのだ。
「ああ、モニアさん、うっ、き、貴様ら、この人に何をしたんだ!」
チャーリー達をハイジャック犯と信じているチーフは穏やかに要求を聞きに来たのだったが、失神した
ままになって通路に倒れているモニアを見て、切れてしまったのである。
「別に何もしていませんよ。どうしても包帯の下の顔を見たいというので、仕方無しに見せただけですよ。私
の顔を見て失神してしまったのですよ。物凄い傷ですからね、まあ頭蓋骨が露出しているのでね。
それよりも早く介抱されたらどうですか? 少し離れた所に居る、男性とかが好奇の目で見ていますよ。
それでも良いのですか?」
チャーリーはやや厳しい口調で言った。自分が彼女を抱き上げて運ぶのは造作の無いことだが、目を覚
ました途端に、また気絶してしまいそうなので、遠慮していたのである。
同様に正美もハルクもミイラ男の仲間では気持ちが悪かろうと思って、やはり遠慮していたのだ。もう少し
遅くなれば、仕方無しに自分達が運んで行こうと思っても居たのである。
「あ、そうですか、分かりました。君達、早くモニアさんを運んで医務室に連れて行ってくれ。まあ、医務室は
満員だから、近くの通路に毛布でも敷いて寝かせて置いてくれないか?」
チーフは奇妙に思いながらも部下の客室乗務員に指示を出したのだった。少ししてタンカでモニアは運ば
れて行ったのである。
「あのう、それであなた方の要求は何ですか?」
何とか気を持ち直してチーフは言った。
「要求? 何の要求ですか?」
チャーリーには何の事だか分からない。
「そ、そのう、ハ、ハイジャックしたんですよね?」
チーフは小声で確認した。
「えっ? ハイジャック? まさか、有り得ないでしょう?」
チャーリーは呆れた。
「何か思い違いしているんじゃないの? 気絶したり嘔吐したのはこちらのサンダーさんの顔を見たからで
あって、別にハイジャックなんかじゃないのよ!」
正美はかなりの大声で叫んでしまった。それがまた拙かった。ハイジャックで無いと否定したのにも拘ら
ず、少し離れた所では、ハイジャックされたと思い違いされたのである。
『さっきまでの騒ぎはやっぱりハイジャックだったんだ!』
数百人はそう信じた。それが逆に幸いした。少なくともパニックは避けられたのである。機内はシーンと静
まり返った。その緊張感は機内中に広がって、異様なムードになりつつあった。
唯一の救いは、後三十分ほどでスーパージャンボ旅客機がオーランド空港に到着することである。『着陸
してしまえば大丈夫!』そんな気持ちが乗客の多数派になりつつあった。
「そうなんですか?」
「はい、第一私達は武器を持っていませんし。搭乗の時に調べたでしょう?」
ハルクは呆れ気味に言った。
「た、確かに。えええっ! それでは思い違いに過ぎなかったんですね?」
「はい。パーフェクトにそうです。もう直着陸する準備に入るんじゃないんですか? どうぞ仕事をして下さ
い。まあ、私の顔が酷いから、包帯していただけなんですけど、どうして信じて貰えませんかねえ。
お陰で大騒ぎになってしまった。客室乗務員の教育をもっとしっかりお願いしますよ。乗る前にちゃんと了
承されている訳ですからね」
チャーリーはやや憤慨して言ったが、それは少し拙かったかも知れない。何しろ、口が全くと言って良い
ほど動いていなかったからである。
「し、失礼しました。それでは、着陸の準備に掛らせて頂きます。どうも申し訳御座いませんでした」
チーフは頭を下げながらも、何か疑問を感じてその場を去って行ったのだった。その後姿は多くの乗客に
不安を与えたのだが、そのことに彼は全く気が付いていなかったのである。
「お、思い違いだったようです!」
チーフの機長への第一声はそれだった。
「思い違い? ハイジャックじゃないのか?」
「はい、犯人と思われた三人が三人とも否定しましたし、武器も所持していません。騒ぎは彼の顔を見たか
らだそうです。
顔中包帯だらけの男はサンダーと言いましたが、大怪我をしているので、包帯していただけだそうです。
それをモニアが強引に見た所、まあ、その、失神したらしいのです。しかしちょっと妙な所もあります」
「妙な所?」
「はい、幾らなんでもそれだけで気絶するとも思えません。彼女は気の強い女性ですからね。一つ気になっ
た事があります」
「気になった事?」
「はい。その包帯だらけの男は、全く口を動かさずに話をしました。何だか言っては悪いのですが、まるで
ミイラ男と話をした様な気分でした。
まさかとは思いますが、本当に生きた人間だったかどうか、モニアが失神したのはそれを知ったからで
はないのでしょうか?」
「そう言えば、他にも数人失神したり、十人以上が嘔吐したと聞いている。うーん、信じ難い話だが、ひょっ
とするとそうかも知れないね」
チーフと機長の話はしばし沈黙の中断をした。
「機長、そろそろ着陸準備をしませんと」
副操縦士が促した。
「ああ、そうだったね。それじゃあ、ハイジャックは誤報だったと管制官に連絡して置くよ。それで機内も落
ち着いている様だし、これから着陸準備に取り掛かる事にする、君達も何時もの様にやってくれたまえ」
「了解しました」
全ては何とか上手く収まったかに思えた。
「こちらは機長です。本機は予定通り午後九時半にオーランド国際空港に到着致します。これから降下致
しますが若干の揺れが御座いますので、シートベルトは必ずお締め下さい。
尚、お降りの際はゆっくりと落ち着いて降りて下さいます様にお願い致します。それでは機長からの連絡
はこれで終了です。有り難う御座いました」
機長は何時もの通りに締め括りの放送をした積りだった。やがて機はほぼ予定通り午後九時半にオー
ランド国際空港に到着した。
「ウワーーッ! 到着したぞ!」
何人かがそう叫んで我先に降り始めたのである。その様子を見た他の乗客も一秒でも早くとばかりに出
口に殺到した。
チャーリーの後ろの席に居た者達は、なるべく早く逃げようと必死になって前に詰めて行ったのだった。
チャーリーから少しでも離れたかったのだ。パニックになったのである。
「おいおい、俺を怖がっているのか?」
チャーリーは乗客達の様子からそれを察した。
「ああ、全く、何て言ったら良いの?」
正美はただ呆れた。
「何もしていないんですがねえ」
ハルクも呆れて言った。
「仕方が無い、ゆっくり降りましょう。怪我人が出なければ良いのですがねえ」
チャーリー達はその事が気掛かりだったが、出口付近では恐れていた事が起きていたのである。死者三
名、重軽傷者五十数名の大惨事となってしまったのだった。
「はーっ、どうしてこうなっちゃうのですかねえ」
ハルクは警官に取り囲まれた時に、思わずそう呟いたのだった。三人は警察の事情聴取を長時間受け
るはめになり、その夜は警察署の一室で明かすことになってしまったのである。
軽微な事件だったらアメリカ空軍のご威光で簡単に済ませられたのだが、死者が出たとなるとそうも行か
なかった。
事情聴取は一人ずつ別個に行われ、五時間を越える長時間に亘ったのである。一番長かったのはやは
り顔中包帯だらけのチャーリーだった。
「事の発端は貴方だと聞いておりますが?」
取調室でチャーリーはベテランらしい刑事にそう聞かれた。
「はははは、困りましたねえ。何度も言っていますが、私の顔が凄い事になっているから、包帯しているの
ですよ。それを無理に解く事自体、客室乗務員の方に問題があると思うのですがねえ」
「貴方は、今私も確認したのですが、口を動かさずに話をしている。貴方は本物のミイラ男なのですか?」
そう聞かれてチャーリーは返事に窮したのだった。