夏 休 み 未 来 教 室
春 野 夢 男
343
夢の世界ではかなり淫らな行為に及んでいた筈なのだが、やはりどこかおかしい。
『変だな、絶頂に達しないぞ。やっぱり夢なのだな。随分リアルな夢なのにね。でも、幾ら見ようとしても、相
手の顔が見えない時があるし、複数の女達と情を交わしていることもある。俺的には有り得ないよ。
だけど何時の間にかするすると状況は変貌して行って、全然別の事をしている事が良くあるよな。しかし
幸いなのはここ数年、テストの夢は完全に見なくなったという事だ』
昇はいまや高校時代の最も嫌な体験、テストの夢から完全に解放された様である。
『いらっしゃい!』
『ここのラーメン屋が美味しいって評判なんだよ。ここの席が良さそうだな』
お昼を大分過ぎているので、少し空いて来た店の中央辺りのテーブルに座った。林果と昇は向き合って、
息子の昇一は林果の隣に座った。
『あれ、こんな情景があったかな?』
昇はそれが夢である事を見抜いていた。幼い頃の自分が両親に連れられてラーメン屋に入ったリアルな
情景だった。
父親が自分に、母親が林果に、自分が昇一に摩り替わっている。まだ妹の夏江は生まれていなかったら
しい。
『いや、無い筈だ。この様な場面に夏江が居ない筈が無い。夏江が生まれる前の父親はこのようなことをし
たことは無かった筈だ。
仕事一筋の男だった筈。そうか、これが俺の理想の姿だったのかも知れないな。夏江は妹だったし、随
分可愛がりもしたけど、激しく喧嘩もした。その背景には嫉妬もあった様な気がする。
だから今の俺の理想は妹が存在しない事なんだ。はははは、仕方の無い男だな。だけどそれが本心なの
だから止むを得まいよ』
もし昇に顔があったら、しかめ面をしていただろう。
昇はラーメンとは言わずに、
『中華そば三つ!』
と自信を持った大きな声で注文した。その当時は『中華そば』という言い方が彼の育った北の地方都市
では主流だった。
ただもっと前には支那(しな)そばとも言ったのだが、さすがにそこまでは再現出来なかった。そこまで行
くと自分が幼児の時の話になるので殆ど記憶に無いのだ。
『ズズズッ!』
存分に音を立ててラーメンを啜る。昇の真似をして昇一も元気良く、
『ズズズッ!』
と、大きな音を出して、美味しそうに食べた。
『もう、二人とももう少し小さな音で食べてくれないかしら? 余り大きな音は少し下品よ』
林果は二人に注意した。考えてみれば林果は金持ちのお嬢様育ちだったのだ。
『下品は無いだろう? 日本の伝統芸能である落語の中の表現は、この音に尽きるんだからね。そんなに
上品な音じゃあ、ラーメンは美味しくないよ。ああ、その、中華そばはね』
『もう、ああ言えばこう言うんだから。良いわ、大きな音でお食べなさい。私はおしとやかに頂きますからね』
林果も相当に頑固である。昇一は母親の言う事には従わずに、父親同様大きな音を出して美味しそうに
食べたのだった。
『ああ、何て美味しいんだろう。えっ!』
ラーメンの美味しさに陶酔していたのに、何時の間にかそれは女とのキスに変っていた。存在しない筈の
下腹部が激しく興奮して、あっという間に絶頂に達したのである。
その時の脳波は激しい興奮状態を示していたが、
「ふふふふ、とうとうやったわね。チャーリーはきっと私とエッチしている夢で絶頂に達したのよ」
既に一月近く毎日手術室に通って来ている正美は、脳波のパターンからそれが性的興奮による快感の
爆発、オーガズムに到達した事を悟っていた。
「ふふふ、本当に正美さんなんですか?」
主治医の一人が疑わしそうに笑って言った。
「当然よ。二人はこれ以上無いほど、深く激しく愛し合っていたのですからね」
正美は自慢して言ったが、その場に居た殆どの者は信用していなかった。
「きっと林果さんだと思いますけどねえ、はははは」
別の補佐役の男性が言った。チャーリーと林果の中は最早公然の秘密と化していたからである。無論、
昇一が彼の子供であることを誰も疑っていなかった。
「もう、皆は私と彼との付き合いの長さや深さを知らないからそう言うのよ。なんだったら、目を覚ましてから
聞いてみれば良いわ」
正美は何処までも強情を張った。
「あはははは、怖くてとても聞けませんよ」
また別の男性スタッフが言ったのだった。そこまでは和やかだったのだが、妙な事が始まった。
「あのう、正美さん、急用があるから至急小会議室の方へ来てくれって連絡が入りましたけど?」
男性スタッフの一人が外からの緊急電話を受け取ってそう言った。
「誰から? 普通は呼び出しは無い筈よ。今手術の真っ最中なんだし、余り知らない人だったら断って下
さい」
正美は少し腹を立てて言った。
「それが、アーノルド司令からなんですが。断りますか?」
「ちょっと待って。アーノルドさんだったら行かない訳には行かないわね。この手術用の服装のままでは行
けないから、ちょっとだけ待って貰って。今手術着を着替えたり、その前にお風呂にも入りますから、三十分
位掛るのですけど宜しいでしょうか?」
「分かりました、連絡してみます」
少し時間は掛ったが、
「あのう、三十分程度だったら、お待ちしているとの事でした。OKの返事で良いのですね?」
「はい」
何とか上手くまとまったのである。
「御免なさい、遅くなっちゃって」
三十分の筈が一時間にもなったので少し気が引けて、正美はお詫びを言いながら待ち合わせ場所の小
会議室に入って行った。
「いや、別にそれほど急ぐ事ではありませんよ」
何人かの軍人と一緒にいたのは紛れも無くアーノルド氏だった。
「あのう、それでご用件はなんでしょう?」
正美には見当も付かなかった。
「ガチャリッ!」
「えっ! 何これ? 冗談は止めて下さい!」
軍人の一人が正美にあっという間に手錠を掛けてしまったのだ。
「冗談ではありません。かねてからの計画通りなんですよ」
「計画通り? 何それ! 早く手錠を外してよ、痛いわよ!」
正美はかなり厳しい言い方をした。
「余り大声を出したり暴れたりしないで下さい。そんな事をされると、麻酔薬を使わせて貰う事になりますよ。
強力な奴をね」
「アーノルドさん、貴方変よ。私はシュナイダー博士の命を受けて行動しているのですからね。こんな事をし
たら博士に逆らう事になるのよ。実質的な現在のリーダーは博士なのよ分かっているの!」
正美は激しく言い放った。
「はははは、勿論良く知っておりますよ。ただ、我々の行動もまた博士からの司令によるものなのですよ。
お分かりですか?
チャーリー君の信頼の厚い君に対して失礼かとも思ったが、博士の指令とあれば従わざるを得ません。
詳しい事情は後で博士に直接お聞き下さい。了解されましたら、某所に軟禁させて頂きます。
期間はおよそ今年一杯。その後は自由放免ということになります。まあ、ほんの三月かそこいらです。直
ぐ済みますよ」
アーノルドはいたって気楽な感じで話したのだった。
「信じられない。どうして、どうして、博士がこんなことを、ううううっ、……」
正美は悔し涙を流した。その涙に不憫さを感じたが、アーノルドは仕事と割り切って、正美を連行して行っ
たのだった。
正美がいなくなった次の日、手術室には彼女の思いもしない部品が次々に納入されたのである。それは
昇をロケットに組み込む為の部品だった。
博士に一時的な迷いはあったが、元々の計画、林谷昇の脳をロケットに組み込む計画の実施に踏み
切ったのである。シュナイダー博士自身は相変わらず宇宙に居たが、新しいメンバーとしてケッペル氏が
加わった。
ケッペルは早朝の手術室で、スタッフを前にしてチャーリーに関する重大な発表をした。
「さて、正美さんにはお気の毒ですが、それもこれも人類を救う為のもの。我々はとうとう、チャーリー・クラ
ストファーの正体を探し当てました。
チャーリーの前身、大黄河夕一郎の正体はソード・月岡であり、更に一時的に宝賢と名乗った男、その
男は日本人でした」
「えええっ!」
スタッフの殆どが驚いた。チャーリーの見事な白人ぶりに、彼の前身もまた白人なのだろうと思っていた
からだった。
「彼の名前は林谷昇。彼は日本で病死した事になっている。実際その遺体は既にだびに付されていて、骨
と灰だけになってしまったのです。絶対に復活は有り得ない!
彼は死者なのです。従って冷酷な様だけど、彼をケッペルスターに組み込む事など、少なくとも法律的に
は何の問題も無いのです」
ケッペルは自分達の行為の正当性を強調した。
「皆様、今日の『小惑星ニューアメリカ』の時間がやって参りました。今現在の地球との軽い接触の可能
性は、十パーセント程度です。
ここで問題になるのは具体的にどんな事になるのか、ということです。しかしそれは余りはっきりしていま
せん。
一番考えられるのは、気流の乱れです。それも超ど級の乱れになります。全世界で一時的にせよ、最大
瞬間風速百メートルを超えます。地上の殆どの建物が破壊され尽くします。
その次が高波や津波でしょう。高さ百メートルから二百メートルの大津波になるでしょう。それらを防ぐ為
にどうすべきか、今日はその話題を詳しくお教え致しますので、どうか皆さんお話を良く聞いて下さい、お
願い致します」
朝のワイドショーは、何処も小惑星の話題で持ちきりだったのである。