夏 休 み 未 来 教 室
春 野 夢 男
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翌日は早番だったが、昇は時折周囲を見回して、何処かにガードマンらしい人物がいるかいないか探って
みた。しかし人影は全く無かった。
『騙されたのかな? しかし、もし騙したのだとしたら、好きもへったくれも無くなるぞ! まあ、余りあてにしない
方が良いか。
だけどSH教の奴等がやって来たら、どうする? もしカードを返してくれると言うのなら、黙って貰って置けば
良いんじゃないのか?
それはそうだけど、その後が怖い事になるんじゃないのかな? いきなり拉致して監禁するなんて強攻策に
出られたら? そういう時の為のボディガードだろうと思うけど、姿が見えない位だから、いざという時の役に立
つかどうか、思いっきり怪しいな……』
そんな事を考えながらレジを打っていた。
昇がレジを打ち始め、少し時間が経過してから、副店長が一人の長身の若者を引き連れてやって来た。
「えー、今日から皆さんと一緒に働く事になった、果物野菜部門の重徳久雄(しげのりひさお)君です、宜しくお
願いしますよ」
首になった岩城山悟青年に代って、新人が入って来たようである。ここのスーパーでは、昇の時もそうだった
が、新人は一応各部門に挨拶して回る。
「重徳久雄です、宜しく!」
果物野菜部門の主任を兼ねている、副店長の長崎花連現に引き連れられた青年はなかなか威勢が良い。
年齢は二十七、八だろう。
更に、その日の昼番に、首になった大沢木雪美の代わりの小柄な青年がチェッカーとして入って来た。赤木
島夕一(あかぎじまゆういち)と名乗った。三十才位であった。
「先輩、宜しくお願いします!」
「あ、こちらこそ宜しく」
なかなか人懐っこい性格の様である。
その日は男子の新人が二人入って来ただけで、これと言って変わった事も無く済んだ。帰宅して夕食後、パ
ソコンに向かうと、メールを調べてみたが、セスからもトロピカルムーンからも来ていなかった。
『チャットはどうかな?』
昇は香澄とチャットを試みたが、どうやら留守の様だった。
「ふうむ、不発か。仕方が無い、今日はここまでだな。もう眠ろう」
それから数日、何事も無く過ぎ去った。メールもチャットも無しの数日だった。
『忙しいのかも知れないな……』
確かにそうそう何時も暇と言う訳でも無いだろう。
『もしかして、このまま何も無ければ、それはそれで良いんじゃないのか?』
そうも思っていた。SH教の教会での出来事も、結局母親には話せず仕舞だった。
事件が起きたのは五月五日、土曜日の子供の日の事だった。早番の仕事も終って、母親と二人夕食を食べ
ながら、テレビを見ていた時の事である。
「次のニュースです。今朝早く、海中に転落した乗用車の中から、男女二人の遺体が発見されました。二人の身
元はまだ確認されていませんが、警察では事件と事故の両方の可能性があると見て捜査しています……」
その時の報道はそこまでだった。
しかし翌日の新聞記事を見て、昇は背筋が凍りついた。自室に新聞を持ち込んで丁寧に読んだ。
『何だって、男の方が元刑事の淋代重厚(さびしろしげあつ)、宝本先生の事件の時に俺を取り調べた刑事じゃ
ないか! 女の方が、ああああ、鏡川キラ星、まさか! ええと、二人はかねてから交際していた? 男のア
パートに遺書があった。覚悟の心中事件とほぼ断定しただって! く、く、くそう!!』
昇は歯を食いしばって悔しがったが、キラ星の事については、余り詳しく知らないのだ。
『二人が交際していなかったと断定出来ない。こんな風にも考えられる。二人は付き合っていたが、キラ星が別
れ話を持ち出した。淋代は激怒して無理心中に至ったとすれば? それはそれで辻褄が合ってしまう。
ああ、こうなる事が分かっていたら、彼女ともっと良く話し合って置くべきだったな。……俺は違うと思うぞ。心
中と見せかけて殺されたんだ。
SH教の奴等に! あああ、畜生、何にも証拠が無い!! うううう、キラ星!! キラ星!! ううううっ!!
キラ星!!』
昇の目から大粒の涙が零れた。キラ星が可哀想でならなかった。その日は深夜番である。涙も枯れ果てた
状態で昇はそれでもスーパーに行った。
同じ深夜番で新人の赤木島夕一と一緒である。夕一は年令的には昇よりずっと上なのだが、まるで年下の
様な言い方をして来る。先輩後輩を重視するタイプらしい。
「林谷先輩、人気有りますね。おばさん達のアイドルみたいな感じだ。何か秘訣が有るんですか?」
そんな事を聞いて来た。
「秘訣? さあ、どうなんだろうね、俺にはさっぱり分からないよ」
それは昇の本音である。
「ふうん、天性の素質って奴ですかねえ……」
夕一が感心していると、六、七人の男女が店に入って来た。
「ああ、やっぱり間違いない」
「そうですわねえ。あのう、そちらの方、ええと、林谷昇さんで宜しいのかしら?」
一人の中年女性が昇のネームプレートを見てそう言った。
「はい、そうですけど、何か?」
「君は四月の下旬位にSHカードを忘れたんじゃないですか? 教会本部のレストランで……」
今度は中年の男が言った。
「いや、人違いじゃないんですか?」
昇は、いよいよ来たと思ったが、惚け通す積りである。言い逃れが出来なくなったら、思い出したと言う考えで
あった。
「恥ずかしがる事はありませんよ。どんなに大切なものであっても、忘れる事がありますから。我が子を忘れる
親は結構多いんですよ。自分の命より大切だと思っていてもです」
「アッハハハハハ!!」
その場に居た殆どの者が、大笑いをした。笑わなかったのはチェッカーの青年二人だけだった。
「あの、本当に見に覚えが無いので。それに、どうしてこんな夜に大勢で来るんですか?」
確かにもう夜の十時を過ぎていて、たかがカード一枚の忘れ物にしては大袈裟過ぎるのだ。
「それは貴方に来て欲しいからですよ。車を用意しておりますから、是非教会に来て頂きたい。逃(のが)しませ
んよ。大人しく来れば良し、抵抗するのなら、少々痛い目にあって頂きます」
脅しを掛けて来たリーダー風な男には、微かにだが見覚えがあった。『夏休み未来教室』」に参加して途中で
帰った男である。
『この男が、キラ星の言っていた、吉野川英次朗だろうな!』
昇にはおよその見当が付いた。
「こんな深夜に行きたくありません。あのう、お引取り下さい。他のお客様に迷惑ですから」
昇がそう言うのをむしろ待って居たかの様に、数人のお客達は慌てて店の外に逃げ出したのだった。
「申し開きは教会で聞く。さあ、来い!」
「済みませんがお引き取り下さい。防犯ベルを鳴らしますよ!」
昇はチェッカー台の下に付けてあるベルを押した。しかしベルは鳴らなかった。
「はははは、そんな事もあろうかとスイッチは切ってあるのですよ。無駄ですよ。早く来なさい! これが最後の
警告です。従わないと怪我をしますよ」
「お断りします。俺がSHカードを忘れたと言うのなら、そのカードを持って来れば良い。俺が行く理由は無い!」
昇も声を荒げた。
「だったら本当の事を言ってやろう。SHカードは口実だ。十万円もの飲み食いをして逃げたお前を探していた
のだ。お前の様な悪党に、大先生が有難い説法をして下さるのだ。
それで無罪放免になるのです。文句は付けさせませんよ。それとも、どうあっても警察のご厄介になりたいの
か、林谷昇!!」
英次朗は昇を呼び捨てにした。昇は何も答えずに無言の抵抗をした。
「ええい、やれ!!」
痺れを切らしたのだろう、英次朗は遂にそう命じたのである。
「さあ、来い!!」
「や、止めろ!!」
昇は今度はもがいて抵抗した。
「先輩の手を離せ!!」
揉み合っていると、チェッカー新人の、赤木島夕一がスッとやって来て、昇を連れて行こうとした二人の男を
拳で殴った。
「うううっ!!」
二人の男は忽ち腹部を押さえてしゃがみ込んでしまった。
「な、何をする! 貴様、我々に逆らう積りか!」
英次朗は激しく怒鳴った。
「乱暴なのはあんたらの方だ。先輩に落ち度は無い!」
夕一は睨み付けた。小柄な割には相当強い。
「ふふん、少々腕に覚えがあるからといって良い気になるなよ。こっちへ来な。駐車場で決着を付けてやる」
英次朗は自信有り気に、薄ら笑いを浮かべて、外に出る様に目で合図した。
「ああ、分かった。逃げるなよ!」
夕一も如何にも自信が有りそうである。
二人が外に出ると、かなり遠くからその様子を伺っている、何十人かの野次馬が居た。怖くて側に寄れないの
だ。それでも見ずにはいられない、正に野次馬だった。
「謝るのなら、今のうちだぞ。手足の骨の一本位は折れる事になるからね」
英次朗は自信に溢れた言い方をした。
「はははは、それはこっちの台詞だ。さっさと車に乗って帰られた方が良い」
夕一も負けていない。
「じゃあ、ぼちぼち行きますよ、ソリャッ!!」
「甘い!! ウリャッ!!」
「何の、ターーーーッ!!」
「ドシンッ!!」
英次朗の投げが見事に決まって、夕一の体は、コンクリートの地面にしたたか打ち付けられた。
「ウウウッ!! くそうっ!!」
しかし、激痛に耐えながら、何とか起き上がった夕一も鋭いパンチを繰り出した。その一発に賭けた感じであ
る。
「バシィッ!!」
かなりまともに英次朗の左頬に拳が食い込んだ。
「グアッ!!」
英次朗は倒れはしなかったが、フラフラの状態になった。
「ぐ、ぐそう、退却しましょう。お、覚えておれ!!」
SH教の連中は二台の車に急いで乗り込むと、タイヤの音を軋ませながら大急ぎで走り去ったのだった。