夏 休 み 未 来 教 室 


                                              春 野 夢 男

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「だ、大丈夫ですか?」
 昇は投げ飛ばされた夕一の服の埃(ほこり)を手の平で軽く叩いて落としながら、気遣って言った。
「はははは、まさか投げ技で来るとは思っていませんでしたから、ちょっと迂闊でした。でももう何とも無いですか
ら。華奢に見られますけど、結構丈夫なんですよ。ああ、店に入りましょう」
 夕一はケロッとして言ったが、二人は遠くから見ている野次馬に気が付いて慌てて店内に入った。

「いらっしゃいませ!」
「いらっしゃいませぇ!!」
 二人の事情などにお構いなく、数秒後にはお客が一人店に入って来たので、話をする間も無く、仕事は再開
された。

 その後も、客の数は少なかったが、途切れる事無くやって来て、結局閉店まで先程のSH教の連中との事を
話すことは出来なかった。
 止むを得ず二人は終了作業中にボチボチ話し始めた。
「意外と言っちゃあ、失礼だけど、強いんですね、赤木島さん。空手とかボクシングをやっているんですか?」
 昇は尊敬の眼差しで言った。
「へへへへ、自己流の喧嘩術かな? 十代の頃は喧嘩ばっかりしていましたから。まあ、総合的に見て、黒帯
位の強さはあると思うんですけどね」
 夕一は恥ずかしそうに言った。

「へえー、自己流でそこまで強くなれるんだ。羨ましいけど俺は全然駄目だな。一応スポーツは何でもやるんだ
けど、これといって人並み以上のものは無いな」
「強いばかりが能じゃないですよ。林谷さんは人に好かれるという特技がある。これって素晴しい才能です。ま
あ僕も、ちょっぴりは持てるんだけど、先輩には勝てませんからね」
「いや、それはそんなに大したことじゃ。……しかし、今日は本当に助かったよ。どうも有り難う」
 昇は改めて礼を言って頭を下げた。

「あああ、当然の事をしたまでですから。あのう、今日は何を食べましたか? プリン?」
「えっ、まさかその、あ、はら?」
「アハラ?」
「プリン!」
「……了承しました。……僕はアカツキです。セス様の付けた、コールネームです」
「えっ、じゃ、じゃあ、本当に、本当だったんだ!」
 昇はビックリして叫んでしまった。

「お疑いだったんですか、セス様の事?」
「半信半疑だった。常識的に言えば考えられないことだったし……」
 昇は半分夢心地だった。

『こんな事が本当にあるのか? いいや、確かにあったのだ。しかしSH教の連中がこのまま黙っているとは思
えない。明日から一体どうすれば良いんだ……』
 昇は考え込んだ。

「あいつ等、またやって来るでしょうね!」
 夕一は険しい表情になって言った。
「うん、警察に届けるべきかどうか、明日俺は休みの日だけど、店長さんに相談してみようかとも思うんだ。赤
木島さんはどう思う?」
 昇は苦しげな表情で言った。相手は巨大な宗教組織。相談しても埒が明かないかも知れないし、逆に首にな
る事も有り得る。

「セス様が今何をされているかご存知ですか?」
 夕一が思い余った様に言った。
「いや、さっぱり。動ける状態じゃないしね。教えてもくれないようだし……」
 昇には想像も付かなかった。

「実は、詳しい事は言えないのですが、『り』、さんと協力して、林谷さん一家を安全な場所に匿う為に必死に
なって動いておられます。羨ましいです。セス様が、あんなに一生懸命に、一人の男性の為に働く姿を始めて
見ました。
 お聞き及びと思いますが、僕は、その、セス様命の人間です。彼女の命令には何でも従います。でも、妬ける
んですよね、せめてもう少しご褒美が多いと、ああ、いいえ、愚痴を言ってはいけないですね。
 そんな訳ですから、店長さんとかには言わない方が良いと思います。明日中に何か進展がある筈ですから、
ここは首になる前に辞められた方が良いと思いますよ。命さえ危ない状況ですからね」

 夕一は長々と言ってから、昇の決断を促した。
「そうだね、あの連中のヤバさは半端じゃない。今日はこの位で済んだけど、明日以降はもっと怖い事になりそ
うだからね。あ〜あ、SH教の教会なんかに行くんじゃなかった……」
「本当にそう思っているんですか!」
 昇の愚痴に夕一は噛み付いた。

「ええっ、それはどういう意味ですか?」
 昇は夕一の意図が分からなかった。
「だってそうでしょう? スーハー教の教会で恐ろしい事が行われている事は、殆ど知られていないんですよ。
それが白日の下に晒(さら)されるんだったら、むしろ喜ぶべき事じゃないんですか。秘密裏に行われていた大
変な悪事がバレるんですから!」
 夕一は憤りながら言った。

「確かにそうなんだけど、非力な人間には、どうしようもないんだよ。さっきだって、君が居たから良かったんだ
けど、もしそうでなかったら、俺は今頃教会に連れ込まれて拷問を受けて居たかも知れない。
 いや、きっとそうだろう。そして例えばお金を限界まで借りさせられて、家族にまで迷惑をかけ、ボロボロに
なるまで働かされて、動けなくなったりしたら、放り捨てられる。
 そうでなければ多額の生命保険を掛けられて殺されるのかも知れない。みて見ぬ振りをするのは心苦しい
けど、それより他にしようが無い。……赤木島さんは心中事件を知っているか?」
 昇は説明の為に少し調子を変えて言葉を掛けた。

「心中事件? あの、海に落ちた乗用車の中から発見された男女の事ですか。二十才以上の年の差のある
カップルだって聞いていますけど?」
「証拠は何も無いので断言は出来ないけど、あれも恐らくSH教の連中の仕組んだ、偽物の心中事件だと俺は
思っている」
「な、何ですって! どうしてそんな事が分かるんですか?」
 夕一は詰問調で言った。よほど信じられないのだろう。

「話せば長くなるからあれなんだけど、二人ともSH教と関係がある。まあ、元刑事の方は推測だけど、女性の
方は確かにSH教の信者だった」
「でもそれだけでは何の証拠にもなりません。二人ともスーハー教の信者とか関係者だったら、それが縁で深
い関係になる事も考えられます」
 夕一は何時の間にか昇を批判する様になって居た。気持の裏に嫉妬心が隠れている事を昇は悟ったが、そ
れを言うとこじれそうに感じたので、その事には触れずに話を続けた。

「ところが元刑事は、以前ある事件で俺を取り調べた刑事です。それから女性の方は、そのう、つまり俺と関係
のあった女性なんだ。彼女には教会での出来事を詳しく伝えてある」
「な、な、何て、羨ましい。ああ、いえ、そ、そうだったんですか。それじゃあ、ひょっとすると……」
 夕一はつい本音を漏らしたが、直ぐ気持ちを切り替えて、更に詳しく聞く姿勢に入った。

「女性の方、鏡川キラ星は俺に惚れていたと思う。他に男がいる様に思えなかった。それが疑問点の一つ。そ
してもっと重要な事は、彼女は俺の話を聞いて、相当に悩んでいた。
 もし、その事で彼女の信仰上の上司に相談でもしたら、当然彼女の身は危うくなる。それと刑事の方なんだけ
ど、以前俺を取り調べた時に、彼に有力な目撃情報をもたらした人物がいて、そいつを彼はあのお方、と呼ん
だ。つい口が滑った感じだった。あのお方という言い方は、相当に社会的地位が高い人にしか使わないだろう?」
 昇は確認の為に夕一に問い掛けた。

「え、ええ、それはそうですけど、でもそれだけじゃあちょっと……」
 夕一は昇のいう言葉に徐々に信頼感を持ち始めていた。
「その事件というのが、SH教の大幹部の金森田玄斎、彼の幼馴染宝本賢三さんの死亡事件にまつわるもの
だったんだよ」
 昇は出来るだけ感情を排して言った。二つの事件とも涙無しには語れないものだったからである。変にセン
チになっている様に思われたくなかった。それではただ感情的になって事実を歪めている様に思われると考え
たのである。

「ええっ! 本当なんですか?」
 事情が分かって来ると、夕一も心中事件に疑いを持たざるを得ないと感じて来た様である。
「勿論本当の事です。そしてさっき言った宝本賢三先生と俺は、えっと、彼の事を俺は先生と呼んでいるんだけ
ど、亡くなる前日に、先生のお宅で、一緒にお酒を飲んだ間柄なんですよ」
「そ、そ、それは、偶然なんかじゃなさそうですね……」
「そうなんですよ。二人とも俺と深い関わりがある人、いや、元刑事も入れれば、三人とも俺と深く関わっている
んです。……待てよ、あれえ?」
「どうしたんですか?」
 昇が再び考え込んだので、夕一はちょっと心配になって顔を覗き込んだ。

「ああ、もう時間だね。今ちょっと妙な事に気が付いたんだけど、ハッキリしないからまたこの次にでも話す事に
するよ。それじゃあ今日はこの辺で……」
 昇はそこまでで話を終りにした。もう午前一時半を過ぎている。

「そうですね、大分遅くなりました。万一の事があってはあれですから、お宅までお送ります」
「いや、すぐそこだし、それより赤木島さんのお家は?」
「済みません、教えられないんです、色々と都合がありまして。そのセス様からの指令がありますので、今夜は
送らせて下さい」
「ああ、そうですか、じゃあ、そうして貰いましょうか」
 昇は心苦しかったが、甘える事にした。万一そこいらに待ち伏せされていたら、自分の力ではどうにも出来な
い事を悟って居たからだった。

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