夏 休 み 未 来 教 室
春 野 夢 男
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「ああ、今日は本当にどうも有り難う。それじゃあ、ここで失礼します」
昇は自宅の玄関前で別れを告げた。何しろ徒歩一分かそこいらで着いてしまうので、大して話もしない内に、
もうお別れとなった。
「それではここで失礼します。ですがあのう、申し訳御座いませんが、家の中に入って、鍵を閉めて下さい。そ
こまでで初めてミッションクリアとなりますので、お願いします」
夕一は如何にもプロのボディガード風な言い方をした。この種の経験が結構あるようだった。
「ああ、そういうものなんだ。何だか悪いね、締め出すみたいで。それじゃあ……」
昇は鍵を開けて家の中に入ると、
「じゃあ、お休みなさい」
そう言ってからドアを閉め、鍵を掛けた。
「お休みなさい、それじゃあ、失礼します」
夕一は足音を立てて、去って行ったかにみせて、実際には玄関先で中の様子を伺っていた。数分間程そうし
ていたが、
『ふうむ、特に変わった様子は無いな。最悪の場合、家の中で待ち伏せというパターンもあるからね。……やれ
やれセス様、香澄様の命令とはいえ、辛いものがあるな。僕も男だ、妬けて妬けてしょうがないよ。
年に一度、誕生日のプレゼントとして抱かせて貰えるだけじゃな。彼だったら毎日の様に香澄様を抱けるんだ
ろうな……。
ああ、いけない、そんな事ばかり考えているから僕は駄目なんだろうな。さっさと帰って、セス様に今日の出来
事を詳しくメールで送らなくては!』
そこいら辺りから急に音も無く走り出した夕一は、たまたま車で通り掛った者の目には、ふっ、と夜の闇の中
に溶け込んで消えてしまったかの様に思えたのだった。
昇は家に帰ってから、缶ビールを一本飲んでベットに潜り込んだ。だが眠れなかった。特にキラ星の事を考え
ると涙が溢れて来て止らなかった。
その様な状態が二時間余りも続いた。その後、うつらうつらしたと思ったらもう朝だった。
『事情を母さんに話さなくてはいけない!』
相当の決心をして、朝食時にごく簡単に説明した。簡単過ぎて母には良く飲み込めなかった様である。
「それじゃあ、スーハー教の人達と喧嘩したの?」
母の水江には事の重大さが分かっていなかった。
「うーん、まあ似た様なものだけど、近い内に何処かへ逃げる事になるかも知れない」
「そうねえ、喧嘩する相手が悪かったわね。ほとぼりが冷めるまで、私の実家にでも行って隠れていたら良いか
しらね?」
「俺一人の問題じゃなくて、母さんも父さんも、妹の夏江も逃げなくちゃ駄目かも知れないんだよ。宗教団体って、
そりゃしつこいからね」
「ははははは、もう、大袈裟なんだから。スーハー教ってちゃんとした所よ。テレビでも随分CM出しているし、そ
んじょそこらの小さくて怪しげな新興宗教団体とは全然違うんだから。
特に金森田玄斎大先生は話の分かるお方だって聞いているわよ。寂れて行く一方のこの街の活性化の為に
随分多額の寄付をされているし、困っている人の面倒見も良いって、評判良いわよ。悪く言ったら罰が当るわ。
昇も一度大先生にお会いになって相談すれば良いのよ。ちゃんと分かって下さるわよ。私だって聞いているわ
よ、先生は立派だけど、その下の人の中に傲慢な人が何人か居るって。
当って砕けろよ。正面から堂々と金森田大先生とお話すれば良いのよ。それで万事解決すると思うわ。昇は
大先生と話した事があるの?」
逆に母親に説得されてしまった。しかも一理ある。
「うーん、確かに一度見掛けた事はあるけど、話をした事は無いな。そうか、当って砕けろ、か……」
「そうよ、今日はお休みでしょう? だったら今日にでも行ってお話してみれば。個室でお話しするのが怖かった
ら、大広間で質疑応答もあるらしいからやってみれば良いわ。ああ、私は仕事だからそろそろ行くわね。後の事
は何時も通りに宜しくね」
母は何とも気軽な感じで出掛けて行った。
『母さんの言う通りにしてみるか? いいや、それは駄目だ。よし、インターネットで調べてみるぞ!』
昇はネットで検索してスーハー教のホームページを見た。
『あった、大広間での質疑応答の概要が書いてある。……やっぱりそうだ。こいつは桜を使っている! どれも
これも感動的な話ばかりだ。こいつは嘘臭いぞ!
スーハー教を指弾する話は一個も無い。無料休憩所やレストランでの勧誘というか誘惑に近い行為なぞ、何
処にも書いてない。よし、隅々までざっとでも目を通してやる!』
昇はそれから数時間の間、スーハー教のホームページをずっと読み続けた。
『ふふん、SHカードは『ご利益のある、希少なカードである。神に仕えし者のみが産みだせる奇跡のカードで
ある。授かりし者は生涯肌身離さずに持っている事によって、幸福をうる事が出来る』ってか?
ふん、あの女は確かに何も無い所から取り出した様に見せたけど、マジッシャンなら誰でも出来ることだ。そ
んな事をわざわざして見せるところが尚更怪しい。
折角の母さんの忠告だけど、聞く訳には行かないな。兎に角急がないと。しかしこんな時にも腹は減る。余り
迂闊に外には出られないから、買い置きのカップ麺で行きますか……』
昇がカップ麺を食べ終わった頃である、玄関のチャイムが鳴った。
「はいはい、えーと、どちらさんですか?」
「プリン!」
インターフォンから女の声である。
「アハラ!」
半信半疑ながら一応合言葉を言ってみた。
「ア・ハ・ラ?」
また女の声。しかし別人。一語ずつ区切って言った。
『林果の声に似ているな』
と思いつつ、
「プ・リ・ン!」
と似た感じに答えた。
「ふふふ、林果です、開けて下さい、昇さん」
「もう一人、美少女の香澄ちゃんも居ますわよ。開けて」
昇は声だけでは信用出来なくて、覗き穴から覗いて見て間違いなく二人、二人だけである事を確認してからド
アの鍵を開けた。
「お邪魔します」
「失礼します」
林果も香澄も今日は洒落っ気の無いカジュアルなスタイルでやって来た。林果は何時もの事だが香澄までズ
ボンなのには驚いた。しかもダブダブである。
「ああ、どうぞ。それにしてもよく喧嘩せずに来たね」
昇は服装の事より二人が仲良くやって来た事に感心して言った。
「私達休戦協定を結んだんです。一番大切な人が窮地に陥っている時に仲違(なかたが)いしてはいられませ
んから。こんなダサい格好も誰かさんを守る為に、恥を忍んでしているのですからね。あんまり美人だと目立つ
でしょう?」
香澄の言葉は何と無く相変わらずな感じだった。
「まあ、そこに座ってくれ。えーとコーヒー飲むか? インスタントだけど」
「はい、お願いします」
林果は素直に言った。
「昇君に入れて貰えるなんて幸せだわ、ふふふふ」
香澄は何やら意味有り気に笑いながら言った。
「じゃあ、ちょっと待っていてくれ」
昇は香澄の言葉の危ない意味を知って居たが、気付かない振りをして台所に行って、コーヒーカーップを三
つ、インスタントコーヒーや角砂糖、ミルク等と共にお盆に載せて持って来た。カップはお客様用のお揃いの奴
である。お湯は常時居間の電気温水ポットで沸かして保温してある。
「頂きます。ああ、美味しい!」
林果は兎に角嬉しそうである。
「インスタントとは思えないほど美味しいわね。大好きな人に入れて貰えたから、もう、とろけてしまったわ。ああ
あ、美味しい、もう、行っちゃいそう!」
香澄は相変わらず卑猥な意味を込めて言った。林果も昇も無視を決め込んだ。
「ところで二人揃って来たのには何か訳があるんだろうね? ああ、それから夕べの事なんだけど……」
昇はそう言いながら、昨日の出来事も二人にざっと話した。
「はい、それはアカツキからメールで知らされました。林果さんにもお話してあります。もう一刻も猶予出来ませ
ん。お母様にはハヤブサが、妹の夏江さんにはライジンが付いています。
それとお父様にはアカツキが付くことになっています。もう今朝早く車で出発しました。今頃はお父様の会社
に着いている事でしょう。しかしアカツキのメールからすると、敵も相当に腕が立つとか。油断出来ませんわ」
さっきまでの香澄とは別人の様に険しい表情だった。
「ああああ、それは有難い。俺一人じゃ何にも出来なかった。本当に有難う。……母にはざっと話してみたんだ
けど、どうもピンと来ていないみたいなんだよ。
SH教は社会的信頼度が高くて、母を初めとして世間の皆が信用してしまっているんだ。説得する事は相当
に難しいと思う。……ところで俺はこれからどうすれば良いのかな?」
昇は自信の無さそうな顔で聞いた。
「SH教の魔の手から逃れる為には、海外に行くしかありません。でもその為には渡航手続きが必要です。早
速これから役所に行きましょう。パスポートさえ取れれば後は何とかなります。
でもそれまでの間は私の所で暮らせば良いです。林果さんも承知しました。とても残念なのですが、エッチ抜
きだそうです。凄く残念です……。
それはそうと私の住んでいる所には、私の僕達が何人か居ますので、SH教の連中といえどもそう簡単に手
出しは出来ない筈です。
お母様共々そこに住んで頂ければ宜しいと思うのですが、ただ昇さんのお母様が承知して下さるかどうか、
ちょっと自信が無いのですけど……」
香澄は雄弁に語っていたが、尻すぼみな感じで話し終わった。