夏 休 み 未 来 教 室 


                                              春 野 夢 男

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「善は急げです。お母様の説得はまた後という事にして、先ずパスポートを取りに早速役所に行きましょう」
 林果が真剣な眼差しで言った。
「今からか?」
 昇にはちょっと性急な気がした。母親の同意を取り付けてからにしたい気持ちもあったからである。

「あいつ等は行動を起して来たんですよ。ここ二、三日の内に、必ずまたやって来るでしょう。役所に行って所
定の手続きが終った後はここには戻って来ません。さっき言った、香澄さんのマンションに行きますから。
 もうその手筈は整っていますから。お母様にも明日か、遅くとも明後日にはマンションに行って頂きます。その
お膳立ての為にゴールデンウィークの間走り回って居たのですからね」
 林果の目には何か熱気が感じられた。何が何でも昇一家を守る。その強い決意が見えていた。

「ああ、分かった。その、荷物はどうするかな?」
 昇はいよいよその気になった。相手が巨大な宗教団体では警察も当てにならない。
『現実的な対応として最善なのは逃げることだ。多少強引にでも母さんも一緒に、遅くとも明日には逃げて貰う
事にしよう!』
 そんな感じを持ちながらも、引越しの荷物の事が気になったのである。

「人の移動が先。荷物は後。いざとなったら荷物を捨ててでも逃げるのよ」
 今度は香澄が決意の程を示した。
「うん、分かった。それで役所へはどうやって行く? 車は無いし、まさか自転車という訳には……」
「ふふふふ、こういう時の為にタクシーがあるのよ。今度の夏休みに免許を取る積りなんだけど、それまでは専
らタクシーを利用する事になるわね。ええと、ここからだと梅ノ木タクシーが近いのよね?」
「ああ、そうね。香澄さんお願い出来る? 私は携帯電話も取り上げられて、不自由しっぱなしなのよ。成績さえ
良ければマッサーズ工科大学でもただで勉強出来る事が分かったのよ。
 それどころか宿泊費も無料に出来るし、その上お小遣いまで貰えちゃうんですからね。父の経済力に頼らなく
てもちゃんとやって行けるって事が調べて分かったのよ。成績が良ければの話ですけどね」
 林果は少々脱線して、自分の進学と自立の道を力説した。

「はいはい、成績さえ良ければね。それじゃあ電話するから。……あのうこちらは町内の林谷ですが、一台お
願いします、……はい、分かりました」
 普段タクシーを利用し慣れているのか、随分気軽にタクシーを自分のケータイで頼んだ。
「直ぐ来るそうよ。火の始末と戸締りをちゃんとして外に出て待って居た方が良いわね」
 昇はかなり慌てて支度した。一部開けてある窓を閉めたり、ガスの元栓を締めたりしてから、三人一緒に外に
出て、昇が鍵を掛けて待つ事約一分、梅ノ木タクシーが自宅前に停車した。

「俺が前の席に座るから、二人は後ろの席に座ると良いよ」
 昇は当然と思ってそう言ったのだが、
「済みません、後ろの席に三人掛けでお願い出来ないでしょうか?」
 運転手が断った。
「ええっと、どうしてでしょう?」
 昇は反発しあう二人の女性の間には座りたくなかったのだ。

「前のお客さんが、ジュースを零しちゃいましてね。手に持っているだけで、まさか飲むとは思わなかったんだけ
ど、本当に飲んじゃいまして、私が注意すると、怒ってわざと座席に零したんですよ。
 しっかり拭いた積りだったんだけど、まだじわじわと染み出して来るんですよ。一応新聞紙は敷いてあるんで
すけど、濡れる恐れがあるんで、何とか一つお願い出来ませんか?」
 運転手は丁寧に訳を言った。

「ああ、しょうがないな、そういう訳なんだけど良いかな?」
 昇は渋々言った。
「勿論良いわよ。良いに決まってるじゃない、ねえ、林果さん? 昇さんは真ん中で良いでしょう?」
 香澄は即答した。座る位置まで直ぐ決めた。

「え、ええ、それで良いわ。じゃあ私が先に乗りましょうか?」
 林果は渋々だった。香澄のはしゃぎ振りが気に入らなかったのだ。
『きっとエッチな事をするわね。もう、油断出来ないんだから、香澄はね!』
 そう感じていた。

 結局香澄の言う通りに座った。
「えーと、お客さん、シートベルトを締めて下さい。近頃は取締りが厳しくなりまして、お客さんがシートベルトを締
めないと、会社の方が営業停止になる恐れがあるもんで、申し訳ないんですが是非お願いします」
 そこでも運転手は丁寧に言った。

「へえー、随分厳しくなったんですね。まあ、その方が安全ですからね」
 昇は丁寧なタクシーの運転手の口調に好感を感じて調子を合わせる様に言った。
「全員締めましたから、どうぞ、発車して下さい」
 今度は林果が言った。その言葉を待っていたかの様に直ぐ車は発車した。

「だけどあれね、前の座席と後ろの座席とが完全に仕切られているんですね。透明だから良く見えるけど、結
構分厚いアクリル板みたいだわ」
 香澄が気が付いて言った。

「運転手がお客さんに襲われる事件が多発しているものですからね、うちでもそうしているんですよ、へへへへ」
 運転手は妙な笑い方をした。しかし三人はそれどころではなかった。
「ちょっと、何、手握り合っているのよ! マナー違反よ!」
 昇と林果がこっそり手を握り合っている事が、香澄にばれてしまったのだ。

「あああ、いあや、その、何と無くね……」
 昇はしどろもどろになって言い訳した。
「別に良いじゃない、愛し合っている二人が手を握り合う事位。ごく自然な事だわ。二人はもう一心同体なんだし」
 林果は開き直って挑発的に言い放った。

「と、時と場所を弁(わきま)えて欲しいと言っているのよ。ええ、あれ? 運転手さん、道が違うんじゃないの?」
 役所へ向かう道とは明らかに違う事に、最初に香澄が気が付いた。
「そうよ、逆だわ。これじゃあ、山の方に行っちゃうわ!」
 林果も気が付いて叫んだ。

「おい、聞えないのか! 車を止めろ!」
 今度は昇が大声で怒鳴った。
「煩いな! 怒鳴らなくても聞えているよ。少し大人しくして貰おうか」
 運転手はそう言うと、
「パチンッ!」
 何かのスイッチを入れた。

「ウアーーーーーーッ!!」
「ギャーーーーーーッ!!」
「ヒイーーーーーーッ!!」
 三人とも絶叫した。体の中を電気が通っているのだ。シートベルトをきっちり締めさせたのは、この為だった様
である。

「パチンッ!」
 運転手はスイッチを切った。
「良いか、騒ぐな。騒ぐとまた電気で痺れる事になるぞ。分かったか!!」
 今度は運転手が居丈高に怒鳴った。

「ハイッ」
「ああ」
「ええっ」
 三人とも大人しく小さく返事をした。最早スーハー教の仲間の罠に掛ってしまった事は明白だった。三人の想
像よりも遥かに敵の行動が早かったのである。

「良いか、良く聞いておけ。お前達はこれから神の使い、いや、神の代理人の、金森田玄斎大先生の僕となる。
拒否すれば魂を抜かれる事になる。俗世界ではそれを死と呼ぶが神に逆らうのだから当り前の事だ。
 イエスかノーか二つに一つだ。僕にして下さいとお願いするのならばイエス。拒否はノー。どちらにしてもその
命を大先生の為に捧げて貰う。有難いだろう? 神の為にその命を捧げる事が出来るのだから。お前達は神
によって選ばれし者なのだ。
 但し逃亡は許されない。三人一緒に選ばれたのだから一人が逃亡したら、後の二人は地獄に落ちる事にな
る。それでも良かったら逃亡しろ。
 恐らくは三人は別々の道を歩む事になるだろうが、見えない絆が何処に行っても付いて回る事を覚えておけ。
さあ、そろそろ着いたぞ」
 長々と言ったにしても、割合早く目的地に着いた。三人とも教会に連れて行かれると思っていたのだが、そう
ではなかった。 

「ええっ、ここは廃校になった小学校の跡地に建った住宅……」
 昇は一応は知っている。
「こんな風になっていたの?」
「まるで普通の住宅みたいだけど……」
 林果と香澄は来た事が無かったのでちょっと驚いている。数件の如何にも普通の住宅が実際にはスーハー
教の施設なのだ。

「さあ、シートベルトを外して降りろ。ふふふ、そのシートベルトが感電用だとは気が付かなかった様だな。海外
にでも逃亡しようと思ったのだろうが、当てが外れて残念だったな、ははははは」
 運転手は小気味良さそうに笑いながら自分も車を降りて三人を先導した。逃げる事は出来そうも無い。三人
は十数人に遠巻きに囲まれていたのだ。大半が警棒の様な道具を持っている。素手でも難しいのに、得物を
持っていられてはギブアップである。

「向山(むこうやま)様、今回も完璧でしたわね」
 運転手は向山と呼ばれた。
『今回も? 前にも何度かやっているのだな……』
 昇は半ば諦めの境地だったが、何とか逃れる方法を考えていた。

 ここでも女子には男子が、男子には女子が付く。その点は教会の場合と全く同じやり方の様である。
「林谷さん、お久し振りで御座います。あの節は煮え湯を飲ませて頂きまして有難う御座います。貴方を甘く見
ておりました。どうぞこちらへいらっしゃって下さい」
 そう皮肉った言い方をしたのは教会のレストランで昇にキスをして誘惑したウェートレスだった。

 昇、林果、香澄の三人はそれぞれ別々の住宅に連れて行かれた。誰も逆らえなかった。自分が逆らえば、他
の二人に危害が加えられると思うと、とても出来ない相談である。

『敵ながら見事なやり方だ。これじゃあ手も足も出ない。金森田玄斎、恐ろしく頭の良い男だ。所詮は無駄な抵
抗だったのか……』
 昇は黙って自分一人が犠牲になっていれば良かったと、激しく後悔した。
『そうすれば、キラ星は犠牲にならなくて済んだかも知れない……』
 その事が頭から離れなかったのだった。

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