夏 休 み 未 来 教 室
春 野 夢 男
47
「先ずは第一の質問、教会のレストランから君は逃げたのだね?」
「は、はい」
「女子トイレの窓から逃げたのだよね?」
「はい、男子トイレには窓が無かったので」
「女子トイレに窓があると最初からは知らなかったという事になるが、どうして女子トイレにのみ窓があることが
分かったのだ?」
「外観が男子トイレの方と女子トイレの方が少し違っていたので、ひょっとするとと思いました。百パーセントの
自信があった訳ではなくて、一か八かの賭けだったんですが……」
昇は出来るだけ素直に言った。下手に逆らったり嘘を言ったのでは後が怖い。
「ふうむ、なるほど。しかし酒に酔っていたと思うが、あれは演技だったのかね?」
「いいえ、本当に酔っていました。演技では見破られると思ったし、酔っていれば万一女子トイレで見つかっても、
言い訳が出来ると思ったのです」
「はははは、実に良く考えていたものだな。……君が初めてなのだよ、レストランでの誘惑まで振り切ってしかも
逃げおおせた者はね。
女子トイレの窓から逃げたのだと分かるまで一時間も掛った。誰も想像しなかった。てっきり男子トイレの個
室にでも潜んでいるのだろうと思って高をくくっていたから、手間取ってしまったのだ。あははははは、大いに勉
強になったよ。
……ところで君は神の存在を信じていないそうだね、私の親友だった宝本君と同様にね。今でもその考えは
変わらないのかね? これが第二の質問だ」
昇は少し返答に戸惑った。しかし前提として、正直に言えといっているのだから、やはり嘘はつけない。
「はい。全く信じていません」
「うん、正直で宜しい。実は私も信じていないのだよ」
「ええっ、でも、宗教家なのではありませんか?」
「好きで入った道ではない。両親共にSH教の幹部だった。二人の夢は私がSH教の代表幹部になることだっ
た。ふん、愚かな両親だ」
玄斎は本当に両親を軽蔑し切っている様に見えた。尚も告白の様に言葉は続く。
「この世の中には二通りの宗教家がいる。一つは神の存在を信じ、ひたすら道を究めようとする者。もう一つ
は宗教家が商売である者達だ。まあしいて言うと、そうハッキリ分かれているのではなく、どっちつかずの宙ぶ
らりんが大半だろうがね。だが私は少しばかり違う。
子供の頃から宝本君の影響を受けた事もあって、神の存在には懐疑的だった。しかし自分は宗教家だ。神
に存在していて欲しいと思った。神ならば奇跡を起す力がある筈だと思いたかった。
そう思って私は、……私は、……人を殺した。自らの手で残忍な方法で。そしてこう叫んだ。『神よ、我に罰を
与えたまえ。天罰を与えたまえ!! 遠慮は要らん、八つ裂きにせよ!!』
だが何時間待っても、何の罰も無かった。……私は確信した。神など存在しないのだと。それから私は殆ど
丸一日泣きじゃくっていた」
玄斎の目には涙さえ浮かんでいた。
『この男がやはりキラ星を殺したのだな……』
昇はほぼ確信した。
『しかし宝本先生の場合はどうなのだろう。さっきから親友と言っている。ふうむ、よく分からん……』
昇はひたすら聞き役に徹する事にした。
『うまくすれば本当の事をもっと聞けるかも知れない』
そう思った。
「その後の私はひたすら商売としての宗教家を押し通す事にした。暫くの間はな。だがこの商売をやっていると、
やはり神が存在していた方がやり易いのだという事に気が付いた。
それから私は更にもっともっと考えて、一つの結論に到達した。神が存在しないのならば私が神になろうと考
え始めた。君は知っているかね、二十世紀最高の科学者とも言われるアルバート・アインシュタインの脳が未
だに保存され研究されている事を」
「え、あ、その、聞いた事はあります」
突然、アインシュタインの話が出て来て、昇は返事に窮したが、頭の片隅にあった記憶を呼び覚まして何とか
答えることが出来た。
「もっとも、死者の脳を保存しても、仕方の無い事だがね。私は生きた脳を保存する研究を始めたのだよ。勿
論多くの科学者に手伝って貰ってね。ただ、金が掛る。幾らあっても足りない位だ。
そこで私は、情け容赦なく金儲けを始めた。君にも想像が付くだろう。教会に来た連中から搾り取れる限り搾
り取る。皆面白い様に罠に掛ってくれた。たった一人君を除いてはね。
兎に角がむしゃらに金を掛けて研究した甲斐があって、とうとう実用段階にまで漕ぎ着ける事が出来たのだ
よ。ただ、問題なのは未だに長時間持たないという事だ。それでも何とか三年位は生きながらえる事が出来る
様になったし、脳からの指令で人工的に作った、手や足を動かせるまでになった。
視覚、聴覚、言語等も相当の水準で人工的に脳との電気信号のやり取りが出来る様になった。ただし、つい
この間までは、全部バラバラだったのだ」
「全部バラバラと言うと?」
昇にはちょっと理解しかねた。
「つまり、一人は足だけ、一人は手だけ、別の者は目だけ見えるとか、そういうことだ」
「じゃ、じゃあ、一人が一つの能力しか持っていないという事ですか。残酷過ぎる! それじゃあ、超身体障害者
だ。人間のするべき事じゃない!!」
従順でなければならない筈だったが、我慢出来ずに叫んでしまった。
「何とでも言うが良い。まあ、話しは最後まで聞け! それらの数多くの犠牲の末に、このほど遂に完成した。
人間の持っている殆どの感覚器官が、コンピューターと脳とを結んで、ロボットの手や足や耳や目、そして声を
持つ事が出来る様になったのだ。
総合的なマシンが完成したのだよ。数十兆円の巨費を投じてね。本来ならば私がその主になるべきなのだろ
うが、何分にも出来立てのほやほやでね。うまく作動してくれるかどうか科学者の意見は五分五分だと言うのだ
よ。予定通りなら永遠の命とまでは行かないが、最低でも百年は生きられるそうだ。
そこで最後の質問だ。いや、お願いと言っても良いだろう。君にそのマシンの主になって欲しいのだよ。試作
機第一号になって欲しいのだ」
「さ、サイボーグになれと言うのか!」
昇は多少目眩を感じた。確かに時代はもうそこまで来ているのだが、倫理的な問題から実現はまだまだずっ
と先のことと思っていた。しかし倫理を無視すればそれは確かに可能な時代なのだ。
「サイボーグ? そうではない! 神のマシンだ! 君の試作機第一号を参考にして、より優秀な私の乗り込
む、永遠に生き続ける神のマシンを作るのだ!
ただ、今の肉体からは完全に離脱する事になる。体の方は丁重に葬って差し上げる。その為に君は正幹部
になったのだよ。異例中の異例の大抜擢だ。
引き受けてくれるよね。もっとも、ノーとは言わせないがね。しかし決心をするのに少しばかり時間が掛るじゃ
ろう。
長年親しんで来た肉体とおさらばするのだからね。二十四時間与える。その間何処へ行っても誰と何をして
も宜しい。
但し君の可愛い彼女達は人質だ。おっと、そろそろ時間だ。そういうことだから宜しく頼むよ。無論最後の一
時ぐらいは情を絡める時間を与える。
子孫を作るなり何なりの作業をするが良い。ロボットになってからは残念ながらセックスは出来ない。その機能
にまで手が回らなかったのだ。
……それでは二十四時間後にまたここに戻って来てくれたまえ。トンズラしたら恐ろしい事になることは分かっ
ているよね」
ほぼ一時間が経過していた。昇は頭の中がくらくらして、訳の分からない状態になっていた。
「玄斎様、入っても宜しいでしょうか?」
玄斎と一緒に元の豪華な部屋に戻ると、タイミング良くドアの外から声が掛った。
「ああ、入っても良い。話が丁度終わった所だ。紅蛍はおるか?」
「は、はい、ただ今そこに!」
玄斎の一言で紅蛍は飛ぶ様に素早くやって来た。
「宝賢君の面倒をみてくれないか。二十四時間後にはここに連れて来てくれ。重要な使命がある。最高のもて
なしを頼む。彼には秘密は無用だ。聞かれるままに正しい事を答えてやってくれ。
ただし飲酒、喫煙、薬物は駄目だ。勿論、体を求められたら、最上の喜びを与えなさい。複数の女達を彼が
求めるのだったらそうしなさい。
彼には二十四時間しかないのだからね。貴重な実験材料だからくれぐれも怪我などの無い様にね。それでは
頼みましたよ」
「ははっ、かしこまりました。全ては御意の通りに致します」
「うむ、私は自分の部屋で寛ぐ事にするからね。二十四時間後には私もここに来て彼との最後のお話をしようと
思いますよ」
「はい、確かに承(うけたまわ)りました! それでは失礼致します」
紅蛍は深々と頭を下げて玄斎がその場を去るのを待った。
「それでは宝賢様、もうお昼で御座います。お食事に致しましょうか?」
玄斎が去ったことを足音と気配で察して頭を上げた紅蛍は、ついさっきまでとは態度をがらりと変えて、昇に
接した。
「う、うん、兎に角、昼食にする。一緒に食事をしながら話をしたいんだけど良いかな?」
やっと落ち着いて来た昇は逃れる方法を必死で考えていたが、聞きたい事も山の様にあるので、先ずそれを
優先する事にした。
「かしこまりました。それではレストランに参りましょう。この間は入って頂けませんでしたが、奥の個室にご案内
致します。遠慮なさらずに、料理でも、私でもどうぞ召し上がって下さい。ご入用なら他に何人でも美しい女達を
ご用意致しますから。男の人がお好きならそれもご用意いたしますわ、ふふっ!」
紅蛍は笑顔で言った。何故だか酷く楽しそうである。
「俺は二人きりが良い。色々と聞きたい事があるのでね」
昇は本音を言った。紅蛍と情を絡める積りはさらさら無い。
『ひょっとすると本当に林果を抱ける最後の日になるかも知れない。金森田の言う様に、子供を作る事になるか
も知れないぞ!』
そう思うと緊張もして来るし、恐怖心も生まれて来る。
『脳だけが取り出される? 冗談じゃない! 健康には恵まれない体だったけど、それでも大事に使えば後五、
六十年は十分に持つんだからな!』
昇は絶望との戦いが今始まったと感じていた。