夏 休 み 未 来 教 室 


                                              春 野 夢 男

                                 


 若い男女の乗った後部座席は三人掛けだった。林果は左の隅に、昇は右隅に寄って座った。二人ともシート
ベルトを締めたが、林果は殊更に左の隅に寄って座っていた為に、中央が大きく空いていた。
『チェッ、俺が触るとでも思っているのか!』
 余りに隅に寄っているので昇はムカついた。今時の女子高生にしては珍しい位スカートの丈が長く、座っても
膝小僧が全く見えなかった。真面目で警戒心の強さを表している様にも感じられる。

『フンッ、ブスッ! あ〜あ、来るんじゃなかった! こんな女だとは思わなかったよ!』
 昇は不愉快な印象の女子高生に、その時は気を取られて、うっかり残ってしまった事を、つくづく後悔した。
『午後の最初の講義を聞いたら家に帰ろう! ああ、そうだ、連絡しないと拙いかな? いや、まだ、多分仕事
中だから、後にしておこう』
 そんな事を考えているうちに、もう車はレストランの駐車場に入っていた。   

『あれ? 普通の住宅みたいな感じだけどな。この家だったら知っているぞ……』
 そこはレストランと言うよりは、お洒落な一般の住宅の様だった。昨日と今日歩いている時に見掛けていた。
カラフルで窓が大きく洒落た建物だったので、記憶していたのである。 

「着きましたよ。普通の住宅みたいだけど、ちゃんとレストランになっているからね。ピーコックという洋食専門の
お店なんだけど、会員制だから一般の人は入れないからね。それで余り知られていないかもしれない」
 信念は二人を引き連れて、ごく小さく『レストラン ピーコック』とだけ書かれている、玄関のドアの横にあるブ
ザーを押した。
「石淵信念ですが、今日は三人なんですが……」
 ブザーの下の所に付いているマイクに向って言うと、
「はい、どうぞお入り下さい」
 簡単に許可が降りて、開錠され三人は信念を先頭に中に入って行った。

 中は確かにレストランだった。土足のまま入れるし、BGMなどが掛っている。照明はやや暗く大人の雰囲気
が漂っていた。
 三人は二階の窓際の席に案内された。窓は出窓風になっていて、なかなかに見晴らしが良い。中が暗いの
で外からは余り見えなかったが、逆に中からは外の景色が良く見えるのである。レストランは幾分高い位置に
あって、街並みが良く見渡せた。 

「自由に注文して良いと言いたいところだけど、今日は余り時間が無いから、割と早く出来るビーフカレーにし
ようと思うんだけど良いかな?」
 水を持って来たウェートレスを待たせながら、信念は若者向きのメニューの積りで言った。

「はい、良いです」
 即答したのは昇だった。
「あのう、カレーとライスは別々なんですか? 福神漬けとかも……」
 細かい注文を出し始めたのは林果である。

「はい、当店ではその様になっておりますが」
 ウェートレスは無表情に答えた。心なしか催促している様にも思える。丁度お昼時。徐々に混んで来た事も
あるのだろう。

「だったら私は、ライスはやめて、パンにして貰いたいです。カレーはおかずとして食べますから。それとミルク
とバターも添えて」
 林果は何とも細かい注文だったが、
「じゃあ、そういうことで、お願いします。私と彼は普通のライスで良いですから」
「かしこまりました。それでは少々お待ち下さい」
 相変わらずウェートレスは無表情だった。

『ちょっとは遠慮しろよ、奢って貰うんだからさ! 全く心までブスだ!』
 昇は心の中で林果を罵り続けた。信念と向き合って並んで座っていたのだが、
「あ、あの、トイレです」
 と小用に立ち、戻って来ると、さり気無くイスを林果から十センチほど離して座った。林果はジロジロと昇を不
愉快そうに眺めてから信念と会話を始めた。

「あのう、私、ご飯って、余り食べないんです。ご飯は一日一食、それが限度です。食べない日が二、三日続い
ても平気なんです。
 お昼はサンドイッチか麺類にしようと思っていたのですが、特にカレーライスは余り好きではありません。カ
レーは好きなんですけどライスはちょっと。奢って貰うのに我儘言ってすみません」
 林果は一応きちんと謝った。

「はははは、別に構いませんよ。好き嫌いは誰にでもありますから。私もあの、沢あんという奴が苦手でしてね、
宗教界に身を置くものとしては、情けない様な気がするのですが、あの匂いにはちょっと参りますよ」
 信念は林果に同調してフォローした。

「そのう、林谷君は何か嫌いな物があるかな?」
「俺は好き嫌いはありません。ゲテモノ以外だったら何でも食べますから」
 少し嘘があった。本当は酸の物が大の苦手だった。しかし林果にどうしても同調したくなかったのだ。

「あ、あ、そう、それは素晴しい。いやあ、羨ましいですね……」
 信念は若者二人のお守りは大変だと悟った。そこで少し話が行き詰ったが、
「お待たせしました、カレー三つ、ライス二つ、ブレッド、ミルク、バター、それと福神漬けです。それで、ライスとブ
レッドはお代りが出来ますので、随時ご注文下さい」
 一通り言うとウェートレスは相変わらずニコリともせずに戻って行った。 

「それではいただきましょう。…………」
 信念は食事の前に何やら呪文の様な言葉を呟いてから、食べ始めたのだった。
「あのう、さっきは何と言われたのですか?」
 食事をしながら、林果はやや義務的に聞いた。

「はい、食事を心穏やかにする事の出来る幸せを、神に感謝しておりました」
「……あの、決まった言い方があるのですか?」
「いいえ、私共の宗派では、気持を第一義に考えますので、決まった台詞などは無くて、各人各様に考えて言う
のです。色々工夫して自分に最もしっくり来る様な言葉を自分で作り出す、そういうやり方をしております。まあ、
しいて言うならば俳句や短歌を作り出すのに似ているかも知れません」
「ああ、そうだったんですか、勉強になりました。とても新しい素敵な考え方をするのですねえ……」
 最初は義務的に聞いていたのだが、仕舞には何か感動している風でもあった。しかし昇は、
『う、美味い! こんな美味いカレーを食べたのは初めてだ!』
 と、彼は彼なりに感謝していた。そして、
『何としてでも、もう一度食べに来るぞ、きっと!』
 と、林果には聞かせられない様な決心をしていたのである。

 間も無く食事も終り、定番の食後のデザートに昇はアイスクリームを食べ、信念はコーヒーをブラックで啜り、
林果は何故か緑茶を飲んでいた。    

「ところでもう時間もあれですから、一つだけ聞いておきたいのですが、宜しいですかね?」
 信念は慎重に言った。
「はい、別に構いませんけど」
 林果は即答した。
「あ、あのう良いですよ」
 昇にはどうでも良い事だった。
『ここの会員にはどうしたらなれるんだろう? やっぱり金が掛るんだろうな……』
 その方が重要だった。

「お二人は神の存在についてどうお考えですか? 差し支えなければ教えて頂きたいのですが。……あの、何
度も言いますが、私共の宗派に入れとかという事ではありませんから」
 信念はくどいほど念を押した。

「私は半信半疑です。あるとも言い切れませんし、全く無いとも言い切れない様な気がします」
「ああ、いないよ。俺は居ないと思う」
「ほほう、これは面白い。私は神の存在を信じております。しかし三者三様、偶然とは言え、神の存在に関して
考えられる全てのパターンがここに結集しましたね。正に神の采配、そんな印象を私は受けるのですが……」
 信念は考え深げにじっと目を瞑って、残りのコーヒーを緩やかに啜り、やがて啜り終わると、
「それでは、時間ですから、参りましょうか?」
 と、席を立ったのである。勿論若い二人も後に続いた。

「あの、運転手の人は、お昼を何処で食べたんですか?」
 歩きながら、昇はふと気が付いて聞いた。
「はははは、彼はラーメン党でしてね、ここ、ピーコック、みたいな洋食専門の所は苦手なんですよ。そうでなけ
れば、一緒に食べたのですがね」
 信念は明快に答えた。

「ああ、そうなんだ。俺はどっちも好きだな」
「ふん、食べる事ばっかりね!」
 林果は遂に口に出して罵った。
「俺は食べられる幸せに大いに感謝しているのさ。ああだ、こうだと文句を付けたりしないんだよ」
 昇は信念の言葉を借用して反論した。

 それから車に乗って、小学校に戻ったが、信念とは話をしても、若い二人の間では一切会話が無かった。
『やれやれ、困ったものだな。だんだん険悪になって来る。仲が良過ぎるのも少し心配だけど、仲が悪いのは
もっと遥かに始末が悪い。いやはや、難しいものだな……』
 信念は思案投げ首の状態だった。

 午後一時丁度に、講師の宝本賢三は一階の教室に姿を現した。考えてみれば、たった四人である。教室を
使うのが勿体無い位である。
「はい!」
 講義が始まる前に昇が手を挙げた。
「林谷君、何か?」
 賢三はちょっと面食らって言った。

「こんなに少ない人数だったら、例えば、先生の、えっと、宝本さんの自宅とかでも良いんじゃないんですか?」
 昇は当然に思える疑問を言った。
「はははは、我が家は古いうえに狭くてね。今は私も含めて四人ですが、最初は百人位いたでしょう? 幾らな
んでも無理ですよ」
 賢三の答えは明快だった。

「じゃあ、これから行くのはどうですか?」
 直ぐ林果が二の矢を放った。
「あはははは、山の中腹にありますから、ここの方がまだ涼しいんですよ。少し風が出てきましたしね。家には
クーラーもありませんし、近くに高層アパートだとか、マンションだとかが出来てから尚更風通しが悪くてね。
 しかもゴキブリ君とかムカデ君、それにゲジゲジ君とかが、そこいらをうろちょろしているんですが、それでも
行きますか?」
「えっ! い、行きません! ここで良いです!」
 林果は青くなって要求を取り下げたのだった。

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