夏 休 み 未 来 教 室 


                                              春 野 夢 男

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 金森田玄斎の恩情だろうか、警察に連行された、アハラの三人衆と、昇の母、水江は何のお咎めも無く、あっ
さり釈放されていた。
 ただ昇のパソコンやノート、宝本賢三の残したノートなどは全て没収されていた。水江は殆ど気が付いていな
かった様である。
 結局、林谷昇の病状悪化による急死以外にはそれほど大きな動きも無く、時は過ぎて行った。余り話題には
ならなかったが、紅蛍はひっそりと姿を隠した。海外に行ったらしいという噂はあったが、本当の所は誰も知ら
ない。

 その年のマッサーズ工科大学の試験に桜山林果は見事に合格した。父親とは完全に決別し、仲直りした久
米原香澄と一緒に渡米した。
 香澄は大学を中退し、コマーシャルモデルとして売り出し中で、撮影の為に世界中を飛び回る事になるのだ
が、その拠点をマッサーズシティにする事にしたのである。

 住まいは林果と同じマンションの同じ部屋にしている。林果は香澄には昇の子供を身篭っている事を打ち明
けていた。二人が仲直りしたのはそれからだった。
 当座は香澄の留守を林果が守る形になるのだが、同じマンションの同じフロアに香澄の僕達、アハラの三人
が一緒の部屋に住んでいて、協力して林果の子育てを支援する事にしていた。

 ただ、今の所は香澄とアハラの三人衆は英会話に必死で取り組んでいる真っ最中だった。それを支援してい
たのは勿論林果である。その授業料という形で林果はマンション代を立て替えて貰っている。
 今回の一連の事件の関係者の中では、他には特に目立った変化は無い。いや、ただ一人相当の苦悩を感
じ始めていた女性がいた。片岩倉小姫である。

『自分は一体何をして来たのか……』
 林果とその父親の万太郎とが決別してしまった今となっては、彼女の役割は終わった様なものである。あっさ
り彼女は万太郎から首を言い渡されてしまった。
 それと同時に、コマーシャルの仕事も無くなってしまったのである。万太郎が見限った事もあるが、いまや香
澄がコマーシャルの表舞台に華々しくデビューして来たのだ。
 チェリーズグループは彼女の採用を決めたのである。格闘技しか取り得の無かった彼女はもう過去の人に
なっていたのだった。

 ハローワークに行って仕事を探す状態になって初めて、自分のして来た事が正義というよりはむしろ悪であっ
た事に気が付き始めたのである。
『愚かな事をしてしまった。林谷君は病気だった。私は病人をいたぶったのだ。格闘技の世界チャンピオンが
聞いて呆れる!
 本当に愛し合っていた二人を引き離す事ばかりしていた。偉そうな事を言ったけど、何の事も無い、ただ自
分の保身の為に汲汲(きゅうきゅう)としていた最低の女だった!!』
 それ以来彼女はぷっつりと格闘技を止めてしまった。ただ釈然としない何かを感じて、昇の周辺で起こった
ことの真実を知りたいと思う様になっていた。

「うーむ、まだ変化はありませんか?」
 スーハー教の教会の地下にある、世界最高水準の医療科学研究所に来ていた玄斎は、顔をしかめて言った。
「はい、どうにも分からないのですが、ひたすら眠り続けています。生きてはいるのですが、断続的にずっと夢を
見続けている様な状態が続いています」
 主治医の一人が苦しそうに言い訳した。

「ふーむ、これでは神のマシン等と言える状態ではないな。兎に角、待ちましょう。しかしそうそう何時までも待っ
ている訳には行かないぞ。私にも寿命がありますからね、何とか頼みますよ」
 金森田の言葉に恐縮しながらも、主治医の一人は一つの提案をした。

「あのう、もう少しスタッフを増やせないでしょうか? もう、皆疲れ切っています。労働時間そのものは八時間で
丁度良いのですが、責任の重さが違います。八時間の交替ではなく、六時間の交替にして貰えないでしょうか?」
 本当に恐る恐る言った。

「ふうん、成る程、ならばそうしよう。スタッフをもう三十人位増やそう」
 金森田玄斎の鶴の一声で、労働時間は一日一人六時間になった。スタッフの数も大幅に増やしたので、か
なりやり易くはなった。しかしそれでも昇の意識は一向に回復しなかったのである。

 昇は長い夢を見続けていた。
『テストだ。……何だ、簡単じゃないか!』
 何時もの様にテストの夢だった。
『あれえ、どうしてだ! どうして白紙なんだ!』
 やっぱりテスト用紙は白紙だった。
 一年三百六十五日、テストの夢を見ない日は無かった。もうテストから解放されて何年にもなるのに、昇の心
は未だにテストに縛られているのだった。

 今度は全然別の夢に変わる。
『あれ? また体がフワフワ浮かんでいるぞ!』
 今度は幽体離脱の様に、魂が肉体から離れてフワフワ浮かんでいる様な夢だった。彼にとっては珍しい夢
だったが、それが夢であると今は確信している夢だった。

 下の方を見ると手術室に居て手術を受けている自分の姿が見えた。それが夢である何よりの証拠は、手術
はもうとっくに終っている事だった。
 しかし昇はまだそのことに気が付いていない。手術が終ってからもう何か月も経っている事に気が付いてい
ないのだ。

 次の夢はまるでハーレムだった。沢山の女達が裸で昇に迫って来る。その中の一人の一際魅力的な女性、
林果と情を交わして居た筈なのだが、その相手はくるくると変る。香澄になったり紅蛍だったり、死んだ筈のキ
ラ星だったりするのだ。
『ええっ! 何だ、これは! くそっ!』
 気が付いてみると自分が情を交わしていたのは女物の服の塊の様な物だった。何時の間にか女達は消えて
自分はたった一人何処かの部屋の中に居た。
 その部屋は自宅の自分の部屋の様でもあり、何と無く病院の様でもあった。そこで夢は終った。意識が回復
し、目を瞑っている状態になったのである。しかし何か妙だった。

『あれ? 瞼(まぶた)が開かないぞ! 駄目だ声も出ない!』
 永い眠りから漸く昇は目覚めたのだが、目を開ける事が出来なかった。それだけではない。全身が鉛の様に
重く、全く動かせないのだ。

『お、俺は、息をしていない!』
 昇は何とも奇妙な事に気が付いた。息をしようと思うのだが、そもそも肺という物が無いのだ。不思議だった
が、それでも自分はちゃんと生きている。
『あああ、そうか、俺はサイボーグになってしまったのだったな! 考えてみれば心臓の鼓動だって感じられな
いじゃないか!』
 昇の不安は増大した。
『結局このまま死を迎えるのか!』
 何ともやりきれない気分だったがどうする事も出来なかった。

「昇君、聞えるか?」
 それは突然の声だった。
『ああ、聞える!』
 そう答えた積りだったが、人工の瞼が僅かに震えるだけだった。しかしそれで精一杯だった。それから数日
経った。
 耳は徐々に長い時間聞こえる様になって来たし、人工的に作った唇も震える様になった。昇を見守るスタッ
フ達はその事に気が付いたようである。

「昇さん、イエスだったら瞼を動かしてくれ。ノーだったら唇を動かしてくれ。分かりましたか? 今のが最初の
質問ですよ」
 男のスタッフがそう言った。
「ああっ! 瞼が動きました!」
 それから一日に数時間ずつ、その勉強会(?)は続けられた。

「アアーーーッ! アアーーーッ! ……」
 昇はある日突然声を発した。言葉にはならなかったが兎に角声だった。更に何日か経ったある日の事だった。
『あれ? 目が見えるぞ! ま、瞼が開いた!』
 昇は遂に目を開ける事が出来る様になった。勿論人工的に作った目だったが、きょろきょろと動かせる様に
なった。

 昇の状態が良くなるに連れて、スタッフ達は更に忙しくなって、その都度玄斎は人員を増やし、最終的には
百名を越える大所帯になったのだった。
「ふはははは、神のマシンが出来上がる日は、かなり近くなったのう!」
 金森田玄斎はしばしばそう言った。スタッフを励ます意味もあったのだろう。

「昇さん、いや、宝賢正幹部様、何か要求が御座いますか?」
 スタッフの一人が気を利かせて言ってみた。
「カガミ、カガミ、ジブン、ミタイ」
 その年の暮れ、とうとう昇は片言ではあるが声を発する事が出来る様になった。

「カガミ? ああ、成る程、自分の姿を見たいという事ですか?」
 スタッフにとっては見慣れた昇の人工の肉体だったが、言われてみれば確かに昇はまだそれを一度も見てい
なかったのである。

「カガミはちょっと難しいから、モニターテレビで見せてあげようと思いますが、宜しいですか?」
「イエス」
 昇は余り多く話せないらしく、たった一言で済ませた。

「分かりました、じゃあ、明日中に何とかします。今日は疲れたでしょう。お休みになって下さい」
 スタッフは昇の脳波も常時取っているので、疲労の度合いが一目で分かった。ほんの短い言葉でも現在の昇
にとっては大変な重労働である事が分かったのだ。

『ああ、疲れた。自分の体だった頃は、何でも無い事だったのに、サイボーグって疲れるんだな。はははは、映
画やアニメの様な訳には行かないんだな……』
 サイボーグ系のアニメ等では、主人公は簡単に大活躍するのだが、実際にはまったく惨めなものだった。
『そもそも殆ど動けないじゃないか! 明日自分の姿を見れる事になったけど、世にもおぞましい物になってい
るんだろうな……』
 自分の姿を知りたいと願った昇だったが、今は少し後悔していたのであった。

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