夏 休 み 未 来 教 室 


                                              春 野 夢 男

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 翌日、昇は意外に早く目が覚めた。余りハッキリしていなかった意識は今日はかなりハッキリしていた。少し
ずつだが生きる意欲が湧いて来て居たのかも知れない。
『今日は多分おぞましい己の姿を見る事になるのだろうが、まあ、化物でも良いや、兎に角生きてやろう。死ぬ
までは生きられるのだから』
 昇は、いや、法律的には彼はもう存在しない。彼を今後は宝賢と呼ぶことにしよう。宝賢はいまだかつて自
殺を考えた事は無かった。随分落ち込んだ事はあったが、自殺だけは考えなかった。

 金森田が彼を神のマシンの実験機第一号に選んだのには、そういった、精神的な強さを見込んでの事だっ
たのかも知れない。
 その強さは女子トイレの窓から逃げるという離れ業や、宝本賢三の『夏休み未来教室』に最後まで残ってい
たり、賢三に見込まれたことからも推測出来たのだろう。

 金森田の眼力はその意味では確かだった。宝賢は既に開き直って生きる強さを見せ始めていたのである。
まだ震えるだけで全く動かない手や足をしきりに動かそうとしていたのである。
「さて、昇さん、ああ、その、宝賢様、目の前にモニターテレビがあります。今スイッチを入れますよ」
 比較的若い主治医の一人が、リモコンでテレビのスイッチを入れた。

「ロ、ロボット!」
 昇は自分がすっかりロボットになっていると感じた。黒と白の二色に塗り分けられているが、金属の光沢が無
いだけで、全身の殆どが金属らしい質感があった。
『これじゃあ、サイボーグというより、すっかりロボットじゃないか。しかも不細工な!』
 宝賢はムカついた。しかし今日は何だか、パワーに溢れている。幾らでも喋れそうな気がした。

「シンチョウ、タイジュウ、ジョウホウクレ!」
 モニターテレビでは、かなり大きいらしい事しか分からなかった。
「身長は三メートルジャスト。タイジュウは三百キロ。歩ける速度は時速二キロ位。前進のみ可能。その他に
は……」
 若い主治医があれこれ説明したが、宝賢にとっては、ムカつく事ばかりだった。

『何処が、神のマシンなんだ? 丸っきりの、でくの坊じゃないか。話が全然違う!』
 怒りは強い口調となった。

「カイリョウシロ!」
 宝賢は初めて命令口調で言った。
「は、はい、現在改良型のマシンの製作中で御座います。来年早々にも取り替えられると思います。もう暫くご
辛抱下さい」
 宝賢に命令口調で言われて、若い主治医は慌てた。相手を俄か正幹部だと思って少々甘く見ていたのだっ
たが、彼には既に威厳らしき雰囲気が生まれて来ている様だった。

「ワカッタ。キョウハスコシ、キブンガイイ。カラダノドコカガ、ウゴクキガスル。……テヲミヨ!」
 宝賢は叫んだ。
「オオオーーーッ!!」
 その場にいた殆ど全員が驚きの声を上げた。言った通りに、両方の指が動き始めたのだ。その日は、その
他に首も少し動かせたし、もうちょっとで上半身を起す事が出来そうな所まで行ったのだった。
 『神のマシン』のスタッフ達にとっても、金森田や宝賢自身にとっても偉大な進歩の一日となった。しかし残念
ながらそのマシンではそこまでだった。

 翌年早々からいよいよ新しいマシンに付け替える作業が始まった。今回楽だったのは、外側のマシンの付
け替えだけで済んだ事である。
 予めその様な設計にしてあったのだ。ただ顔面から足の先までの付け替えには二週間ほど掛った。更に
種々の調整に数週間も掛って、結局、完成したのは二月に入ってからであった。

「うんうん、これなら良い。喋りも滑らかだな」
 宝賢の言葉は人間のそれにより近くなった。
「身長とか体重の情報は?」
「はい、身長は百九十センチ、体重は二百キロです。歩行速度は最大で時速六キロほど。前進後退の外に横
の移動なども出来ます。ただまだ走る事は出来ません。更に自由な行動の出来るマシンは現在製作中です」
 宝賢はすっかりSH教の正幹部として話をする様になっていた。
「分かった。今のマシンは前のに比べると遥かに優秀である事が分かるよ。近い内に歩けそうな気がして来たよ」
 宝賢のその予感は当った。その日の内に体を起す事が出来たし、三月に入ると遂に立って歩けるまでになっ
たのだった。

「おい、しかし、この線は何とかならないのか?」
 宝賢が言ったのは体のあちこちから上部に伸びている数十本の太さも様々な生命維持や、通信用のワイ
ヤーである。
「申し訳御座いません。まだ完全な自立型のマシンではありませんので。現在製作中のマシンは完全な自立型
です。あと数ヶ月ほど掛る予定ですが、それまでご辛抱の程をお願い致します」
 主治医と言えども低姿勢だった。遂にスーハー教全体の代表幹部になった金森田玄斎の強い意向で、とうと
う、宝賢はこの地域の大幹部に抜擢されたのである。

『ふう、皮肉なものだな。神の存在を全く信じていない俺が宗教団体の大幹部? 考えてみれば金森田だって
神の存在を全く信じていない。
 何とも妙な事になったぞ。一番上の二人が神の存在を信じていないのだからな。しかし宝本先生が以前言っ
ていた様に、神の存在と宗教とは別物なのだから、これは別に矛盾でも何でもないよな?
 だけど、この俺がスーハー教の、まあ、最近ではテレビのコマーシャルでも、SH教という事が多くなったから、
SH教で行くけど、その教義を勉強しているのだから、変と言えば実に変な話だ、ふふふふ』
 宝賢は最近になってやっと、笑う事が出来る様になったのだった。

 宝賢は全く知らなかったが、彼に深い関わりのある重大な事が海外で起きていた。林果が子供を産んだの
である。男の子だった。
 マッサーズ工科大学では学生の妊娠出産は珍しくなかったので、育児休学制度を利用して、一年間は育児に
専念する事が出来る。
 林果の成績は群を抜いて優秀だったので、学費などは一切免除されていたし、多額の奨学金も貰えていて、
夫になる筈だった男の名前から、昇一と名付けられた彼女の子供は順調に育てられて行ったのである。

 しかしそれらの事は、林果の父には一切伝えられなかった。簡単には調べられない様に極秘の内に行われ
ていたのである。
『父が自分と昇とを引き離し、結果的に彼を殺した。私は絶対に父を許さない!』
 林果の決意は極めて固かったのである。

 暫くして、林果とその子の昇一、香澄、アハラ三人衆の六人は秘密保持の為に、別のマンションに移り住ん
だ。それは香澄の人気とも関係がある。
 今やコマーシャルモデルとして、世界的に有名になった彼女は、その住居を知られる事は何かと物騒なので
ある。

 熱狂的な彼女のファンの中には、時限式の爆発物さえ送ってよこす事もある位なのだ。同じ時刻に自分も死
んで無理心中を図ったりする。
 勿論、強盗や誘拐犯の格好のターゲットにもなる。従って彼等は年に何度も引越しを余儀なくされたのだった。
一種の有名税の様なものだったが、彼女の収入のお陰でセキュリティの厳しい高級マンションに住む事が出来
るのだから、それも止むを得ないのかも知れない。

 それからおよそ一年後、林果は大学に復学し、大学生と一児の母の二足の草鞋(わらじ)を穿く事になった。
たった一年の事だったが、香澄の人気に陰りが出て来た。
 超忙しい状態から、普通に忙しい状態になった。その為に彼女も昇一の相手を時々する事が出来たのであ
る。しかし彼女の収入は激減した。
 代りにアハラ三人衆が多少なりとも働かざるを得なかった。しかし手頃な仕事は言葉が不自由ではなかなか
無い。香澄はかなり英語が上達したがアハラの三人はたどたどしい英語しか喋れなかったのである。

 三人が思いついたのは拳法の道場である。それだったらむしろ語学が堪能でない方が本物らしくさえある。
幸いにもその街の一角にあった、潰れてしまったボクシングのジムを香澄に頼んで買い取って貰って、改装し
道場開きをした。

 アハラの名前をちょっとだけ変えて、『アハーラ拳法マッサーズ本部道場』という、一応それらしい看板を掲げ
たのである。
 殆ど名前だけだがオーナーを久米原香澄にしたのが、功を奏した。人気が落ち目だといっても、まだまだか
なりの影響力があったのである。初日だけではあるが彼女が顔を見せたので、新規の入門者が列を作るほど
大盛況だった。

 しかし、アメリカは格闘技の本場である。その街にも似た様な感じの拳法の道場が幾つかあった。特に影響
があったのは、アハーラ拳法の道場からたった百メートルしか離れていない、かつて片岩倉小姫の属していた、
『真理円武会マッサーズ支部道場』だった。

 数日後、アハーラ拳法の道場に些(いささ)か柄の悪そうな男三人がやって来た。三人ともアジア系の男であ
る。片言の日本語を話した。そのうちのリーダーらしい割合日本語の得意な男が、受付の女性に紳士的に話し
掛けた。
「道場主に会わせて貰いたい。確か日本の方でしたよね?」
「あのう、どの様なご用件でしょうか? 事情が分かりませんと、お会せ出来ないのですが」
 受付嬢はアメリカ人だったが数ヶ国語を器用にこなす女性だった。様々な言語の道場生達の為に、林果が
マッサーズ工科大学の学生にアルバイトをお願いしたのである。

「我々は拳法をこよなく愛する者だが、拳法の心得の無いものが、金儲けの為に有名人を使って道場を開い
ているという、そんな噂があったので、確かめに来ました。
 ここの道場ではその様な事はあるまいと思うのですが、なあに、簡単な事です。ちょっと手合わせしてみれば
分かる事ですから。根も葉もない噂だという事が分かればそれで宜しいのですからね。一つお願いしますよ」
「少々お待ち下さい、今呼び出しますから」
 何処までも紳士的に振舞うので、受付嬢は断れなかったのだった。

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