夏 休 み 未 来 教 室
春 野 夢 男
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翌日の準決勝はソードもかなり注目されたが、水泳は百メートルや二百メートルなどの短距離の方が人気が
ある。
彼にとって幸いだったのは、女子百メートル自由形の予選でも、日本新記録が生まれたことである。しかも人
気の美人スイマーだった。
マスコミの取材は殆どがそっちの方に行って仕舞って、ソードの取材に来たのはたった一社だけだった。その
時は男の記者だったので、ソードも比較的落ち着いて取材を受ける事が出来た。
「昨日はすばらしい日本新記録でした。今日もまた記録に挑戦しますか? それとも明日に備えて、多少力を
セーブしますか?」
記者は明け透けに聞いた。
「そうですね、余り疲れてもいませんので、調子が良ければ、また記録を狙ってみたいと思います」
「えっ! ということは昨日は最初から日本新記録を狙っていたんですか?」
記者はかなり驚いた様子である。
「未公認ですけど、一応日本記録を出せていたので、やれるかも知れないと思っていました。途中で日本新記
録のペースだと分かったので挑戦してみたら上手く行ったという様な訳です。まあ。余り騒がれなかったから、
プレッシャーも無かったのかも知れませんけどね」
ソードは隠すべき部分は隠したが、それ以外に関しての感じたままを言った。
「いや、何ともはや頼もしい限りですね。それでは今日も途中で狙えそうだったら、狙ってみる訳ですね?」
「はい、その積りです」
「いやはや、何とも力強いお言葉を頂きました。それでは競技の方、頑張って下さい」
「はい、頑張ります!」
最後は若者らしい力強い口調で締めくくった。
それから数十分後、男子千五百メートル自由形の、準決勝第一組が始まった。今度は予選トップだったので、
当然第四コースだった。水泳の場合は予選の記録の良い者は中央に、悪いものは両端のコースへと振り分け
られる。
「さあ、いよいよ注目のソード・月岡選手の登場です。初の公式大会出場でいきなり日本新記録という、前代
未聞の偉業を達成した彼の泳ぎや如何に。今日もまた、日本新記録が出るのでしょうか! どう思われますで
しょうか?」
前日と同じアナウンサーが全国の視聴者と共に、これも昨日と同じ解説者に聞いてみた。
「うーーーん、そうですねえ。まさか二日続けて記録更新は無いと思いますがねえ、まあ、どうでしょうか、……」
解説者は言葉を濁した。昨日は予想が外れてしまったので強く言い切る事は出来なかったのだ。
「私もまさかとは思うのですが、何かやってくれる様なそんな気がしてならないのですが、さてどうでしょうか!
いよいよスタートです!」
「ビーーーーッ!」
ビープ音を合図に一斉に飛び込む。その瞬間はほぼ一直線に並ぶのだが、水上の人になったのとほぼ同
時に明らかな差が付いている。ぐいぐい差が付いて行って、気が付いてみると、二位以下とは一往復以上の
差が付いているのである。
「後残り百メートル、現在世界新記録のペースです。これは大変な事になりそうです。しかし若干ペースが落ち
たかも知れません。残り五十メートル! まだ世界新記録のペースだ。残り二十五メートル! まだ大丈夫だ!
残り十メートル、九、八、七、六、五メートル! 四、三、二、一、やった、やりました、世界新記録です! 大
変な記録が出てしまいました。ソード・月岡選手準決勝で世界新記録達成!!」
アナウンサーはテレビの実況である事も忘れて絶叫した。
「ウオオオオオーーーーーッ!!!」
会場のどよめきは昨日にも増して物凄いものになった。今日もまた昨日と同様、同じ女性アナウンサーがイン
タビューにやって来た。今回はなんとしてもコメントを貰う覚悟で来たのである。
「おめでとう御座います。世界新記録ですね! 今のご感想をお願いします!」
「あ、あのう、と、とても嬉しいです。じゃあ、その、失礼します」
ソードは相手のアナウンサーに恥を掻かせては拙いと思って、一言言って去ろうとしたが、とんでもない事に
なった。
「済みません、ちょっとお待ち下さい!」
ムッとした感じの女子アナウンサーは、ソードの腕を掴んで、強引にマイクを近付けた。
「もう一言何かお願い致します。私が嫌いかも知れませんが、もう一言だけお願い致します!」
「あああ、その、別に嫌いという訳ではありません。ええと、明日、もし優勝したら、もう少しゆっくりお話ししたい
と思いますので、今日の所は、済みません急ぎますので……」
ソードは何とか逃れようとするのだが、女子アナウンサーは掴んだ腕をなかなか離さなかった。
「明日優勝する? 明日優勝されたら、私の質問に答えて下さるんですね?」
「あ、は、はい」
「ソード・月岡選手から明日優勝すると、力強いお言葉を頂きました。明日は優勝して、私のインタビューにじっ
くり答えてくれるとの事です。今日はどうも有り難う御座いました!」
女子アナウンサーはやっと掴んでいた腕を離した。ソードは殆ど走ってその場を逃げ去ったのだった。
「いや、何か、強引に言わされた様な気がしますが、まあ、ソード選手の予告優勝宣言と受け取って置きましょ
う。それにしても大変な事になりましたが、次は準決勝の第二組。注目の高校生浪野森君は果たしてどうでしょ
うか?」
「一つ言って置きたいのですが、この大会はタイムではありません。決勝で優勝するか、または準優勝の者が
世界大会の出場権を獲得するのです。
予選で幾ら良い記録を出しても、それは参考記録にしかなりません。決勝で三位以下では何の評価もされな
いということを知らなくてはね。それとドーピング検査があります。
まさかとは思いますが、ボロが出なければ良いんですがね。ちょっと記録が良過ぎるのが気に掛りますね。
まあドーピング検査は今回から決勝に残った者全員という事ですので、ひょっとするとという気もしないではあ
りませんよ」
解説者はソード・月岡がドーピングをしていると半ば決め付けていた。なかなか鋭い指摘だったが、ドーピン
グ以前の問題なのだ。何しろ彼はサイボーグなのだから。
「あーーーっ! 準決勝の二組ではトップに立ちましたが、浪野森君はまたしても彼としては平凡なタイムです。
これはちょっとプレッシャーなのではないでしょうか?」
アナウンサーの指摘が当っているのかも知れない。何時もは雄弁な男だったが、今回は殆ど無言で会場を
去って行った。
「さて、明日の決勝戦は如何なる波乱が待っているのか。男子千五百メートル自由形は今大会の台風の目に
なりつつあると言っても過言ではないでしょう。
次は女子千五百メートルの準決勝、第一組です。残念ながら、この種目は世界選手権へのエントリーがあり
ません。
世界との差が余りにも大きく、今回は出場を辞退する事になりました。大変残念ですが、今回の全日本の大
会が最終の大会となります……」
アナウンサーは仕事柄、余り自分の真情を吐露出来ないのだが、内心は明日の男子千五百メートル決勝の
ことばかり気になっていたのだった。
それは多くのテレビの視聴者に共通の心情だったかも知れない。明日が待ち遠しいと、時の流れが遅く感じ
られるものだが、殆どの水泳ファンに共通の感覚となったのだった。
翌日のソードに対する取材は流石に多くなった。と言っても、テレビカメラが一台、アナウンサーが一人、記
者が二人と、世界記録を出してもなお、花形の女性スイマーに遠く及ばなかった。
しかしその方がソードにとっては気楽で良かったのだ。ただ問題なのは、アナウンサーは、例の女子アナウン
サーだったことである。そのアナウンサーがいきなりソードに謝った。
「昨日は思わず腕を掴んでしまって御免なさい!」
頭を九十度以上も下げて詫びを入れたのである。
「ああ、いや、その、そんなに謝らなくても良いですよ。頭を上げて下さい」
ソードは何と無く相性の悪い女だと思った。
「昨日、社の方に抗議の電話が殺到しまして、私の態度が悪い、ソード・月岡さんが気の毒だという内容の抗
議が殆どでした。
後でその時のビデオを見て、何ということをしてしまったんだろうと、随分悔やみました。本当に本当に申し訳
御座いませんでした!」
もう一度その女子アナウンサーは腰を九十度以上曲げて謝った。ソードはただもう恐縮するばかりだった。
『それにしても綺麗な女子だな。ふう、いけない、少しムラムラする。なるべく早く終らせよう!』
ソードは高まる情欲に少し苛付いて、
「あの、もう良いですか? 直決勝戦なので、精神を集中したいのですが……」
そう言って誤魔化し選手の控え室に入った。そこで休養をとっていると、間も無くスピーカーで案内があって、
中で出番を待っていた決勝に出場する八人はゆったりと歩いて行った。
ソード以外の者は互いに顔見知りらしく、数人ずつの塊を作って話をしていたが、彼だけは蚊帳の外だった。
全員がトレーニングウェアに身を包んでいて、同じ様な感じに見えるのだが、考えてみると、ソード以外の者は
もう何度も大会に出ていて、多少なりとも知っている間柄なのである。
だが、ソードは全くの新人の様なものなのである。それでいて世界記録を出したのだから、何か別世界の人
間の様に思われたのである。尚更話をする事が出来なかったのだった。