夏 休 み 未 来 教 室 


                                              春 野 夢 男

                               66


「第四のコース、ソード・月岡君、SH教団水泳クラブ所属、第五のコース、浪野森義久君、東京水泳クラブ所属、
第六のコース、……」
 屋内プールの中に、各コースの泳者の名前が独特の口調で告げられると、観衆の大声援が沸き起こる。一
番静かだったのはソードの時だった。

 ただそれは意識的に抑えていたのである。SH教の信者がかなり入り込んでいたが、大声での声援は慎むよ
うにと、ソード自身が厳しく言い渡していたのだ。
 その最大の理由は勿論、裏の集金システムの発覚だった。かなりの犠牲者を出し、数多くの逮捕者を出した
SH教団は今はテレビコマーシャルも最小限度に抑えていたし、表立った布教活動も自粛しているのである。
その様な状況下の大声援では、自粛の意味が無いと考えたのである。

 だが、既に世界記録を樹立しているソードに対して、SH教団の信者以外の声援は数こそ少なかったが、かな
り熱烈なものがあった。
「ビーーーーッ!」
 その様な緊張感の中、ビープ音の合図で全日本水泳選手権、男子千五百メートル自由形決勝の火蓋が切っ
て落とされた。

「さあ、早くも、第四コース、ソード・月岡選手と第五コース浪野森義久選手が他の選手を大きく引き離していま
す。まだ先が長いのですが、この後どんな展開が予想されますか?」
 テレビ中継の前日までと同じアナウンサーがやはり同じ解説者に聞いた。

「正直に言ってしまえば全く予想が付きません。ここまでが兎に角有り得ない様な展開で来ていますからね。た
だ私にはどうも、浪野森君は力をセーブしている様にも見えるのですがね。
 この決勝戦で、持っている力を全部出し切る積りなんじゃないですかね。何か一波乱ある様な気もするので
すよ。どうもそんな気がします」
 解説者はちょっと破れかぶれな言い方をした。初日、二日目とさっぱり予想が当らなかったので、もうどうにで
もなれと開き直って、言いたい放題に言ったのだった。

 二人の選手はほぼ拮抗した状態で千メートルまで、世界記録を大幅に上回るペースで泳いでいた。
「千メートルを越えた辺りで、若干ですが浪野森選手がソード選手を引き離しかけています。ああ、浪野森選手
がスパートしました、凄いペースですよ。
 このまま進めば大変な記録が出そうです。一方のソード選手はマイペースをきっちり守っています。現在千
百メートル、差がどんどんついています、もう五メートル位は引き離したかと思われますが、ソード選手のペース
は全く変りません。このペースで行っても、自身の出した世界記録を五秒程度縮めそうですが……」
 アナウンサーは何か嫌な予感を感じていた。

「千二百メートルを越えました、浪野森選手とソード選手の差は既に十メートルを越えています。このまま行け
ば大変な記録が出そうですが、オーバーペースなんじゃないんですかね……」
 アナウンサーはちょっと心配して解説者に言った。

「いや、これが彼の底力だったんですよ、きっと。だから昨日までは控えめにしていたんですよ。はははは、ほ
らもう十五メートルは引き離している」
 解説者は愉快そうに笑った。既に千三百メートルを越えている。

「あああ、どうしたんでしょうか? 浪野森選手、急にペースダウンしてしまいました。後百メートルの地点で、急
にスピードが落ちました。殆ど流す様な泳ぎに変ってしまいました。
 二位のソード選手との差は二十メートル以上あったのですが、その差はどんどん詰まって来ます。ああ、最
後の五十メートルのターンですが、ああ駄目です、もう追いつかれてしまいました。逆にどんどん差が付いて行
きます。
 ソード選手ラストスパートです。素晴しい泳ぎです。間も無くゴール、自身の記録を五秒以上上回る驚異的な
世界新記録達成まで、後五メートル、四、三、二、ゴール!! 大記録達成です!!
 あああ、しかしすっかり疲れ果てた、浪野森選手、まだゴールしていません。大丈夫でしょうか、何かアクシデ
ントがあったのかも知れません。
 あああ、漸く今ゴールしました。彼としては不本意な記録ですが、それでも途中棄権せずに良く泳ぎ切りまし
た。会場からは暖かい拍手が送られています。本当にご苦労様でした」

 浪野森選手はその後直ぐに病院に直行した。途中で脚に痙攣(けいれん)が起きた様である。ただ、ソードに
はその後辛い試練が待っていた。
 それは美人アナウンサーのインタビューを受ける事である。約束をしてしまったので受けざるを得なかった。
『出来るだけさらさらと受け流し、出来るだけ早く終るようにしよう』
 ソードはそう考えていたが、全く逆の事をその女子アナは考えていたのだった。

「先ずは世界新記録達成おめでとう御座います。凄い記録でしたね」
「あ、有難う御座います。なんと言うか、浪野森さんに引っ張って貰ったお陰ですよ」
「その事なんですが、途中で大きく引き離されましたね、あの時の心境はどうだったんですか?」
「はい、正直言って優勝は諦めていました。でも二位だったら世界選手権に行けると思ったので、自分のペー
スを守ることだけを考えて泳いでいました」
 そろそろインタビューは終りに近いと、ソードは内心ほっとしながらアナウンサーの次の言葉を待っていた。

「そうだったんですか、ある意味無欲の勝利と言う所でしょうね」
「まあ、結果的にそういう事になりますね、それじゃ……」
 ソードはそろそろ良いだろうと思って切り上げようとしたのだが、女子アナは意外な事を言い出した。

「ところで所属はSH教団水泳クラブなんですね。しかも教団の大幹部の方と聞いておりますが……」
「ええ、そうですが……」
「SH教団と言えば、先ごろ大変な事件を起こした教団で御座いますわよね。何かと支障があったのでは御座い
ませんか?」
「えーと、その事に関しては、私共、知らなかった事とは言え、本当にご迷惑をお掛けいたしまして、深くお詫び
申し上げます。
 言い訳の様に聞こえるかも知れませんが、現在、テレビコマーシャルや通常の布教活動も自粛しております。
ただ私個人の事を言わせて頂きますれば、スポーツ馬鹿と言うか、ひたすらトレーニングばかりしておりまして、
そちらの方面にまるで気が付きませんでした。大幹部として、あってはならない事で、重ね重ねお詫び申し上げ
ます」
 ソードは世界新記録達成の美酒に酔うどころではなかった。ただ、予め決めてあった、マニュアルどおりの内
容を若干のアドリブを交えて如何にも謙虚そうに言ったのである。しかしその気持にそれ程の嘘は無かった。
 申し訳無い事をしたと思っていることは紛れも無い事実だった。何も出来なかったのは金森田が怖かったか
らである。正確に言えば、相変わらず彼を完全に仕留める自信が無かったからだった。

「パチ、パチ、パチ、パチ、……」
 思いがけず、そこで会場から拍手が沸き起こった。勝って奢らないソードの態度に感銘を受けた者達が、自
然な気持で拍手したのだった。拍手はやがて会場中を埋め尽くしたのである。 

「ううううっ、感動致しました。SH教団が現在、大変に厳しい状況にある事、信者の数が三分の一に減ってし
まったという事も、私は知っております。
 何か言い訳めいた反論があるのかと思っていたのですが、その様な事も無く、実に謙虚なお言葉。本当に感
銘を受けました!」
 女子アナは涙を浮かべ、体を震わせて、そう言った。

「あああ、その、有難う御座います。それではその、そろそろ、……」
 ソードはやっと解放されると思った。
『涙を浮かべた悲しげな顔が、また何とも美しい。はーっ! こりゃ堪らんぞ!』
 女子アナの顔に見惚(みと)れかかっている自分に活を入れて、半ば強引にソードはその場を去った。
「あ、あのう、……」
 まだ何か聞き足りなかったらしい女子アナだったが、タイミングが悪くて何も言えなかった。

 こうして大会は、浪野森選手の肉離れというアクシデントはあったが、記録的にも素晴しい成果を上げて終了
した。新年早々のオーストラリアでの世界選手権に大いに期待を持たせるものとなった。
 その一方、ソードの活躍で一時六十万人を切っていた、SH教団の信徒の数は回復の兆しを見せていた。減
り続けていた信者の数は、ソードが男子千五百メートル自由形決勝で、世界新記録を樹立して優勝してから
は、遂に増加に転じたのであった。金森田が大いに気を良くした事は言うまでも無い。

 だが、ソードが更に人を惹きつける為には、更なるパフォーマンスが必要だった。それは金森田の厳命でも
あった。
「もっともっと信者が増える様に、努力を惜しまないことです」
 金森田は優しい口調でそう言ったが、実際には命令と同じことである。

『しかしこれ以上スポーツの大会に出て優勝してしまうと、疑いを抱く人も出て来るだろうな。スポーツ大会への
出場は年内はここまでにしておこう』
 そう考えて自粛した。それからあれこれ考えて、
『相当に人間らしい容姿になって来たから、テレビに出ても大丈夫そうだな』
 と、結論を下して、この所毎日の様に来ている、テレビ番組への出演依頼を受ける事にしたのだった。

 スポーツバラエティ、『一にスポーツ、二にスポーツ!』というタイトルの番組に先ずは出演することにした。そ
の番組は毎回のゲストに、レギュラーの元トップアスリート達が挑戦するといった内容がメインだった。
 それなりのハンディをつけるので、ゲストもそうそう楽ではない。負けると罰ゲームが待っているし、勝つとそ
の次の週も出演出来るという特典があった。また、場合によっては自分がレギュラーになれる事もある。
『上手く行けばかなり知名度を上げる事が出来るかも知れない!』
 そんな風に単純に考えていたのだった。

          前 へ       次 へ       目 次 へ        ホーム へ