夏 休 み 未 来 教 室 


                                              春 野 夢 男

                                


 結局、また三人はレストラン ピーコックに行った。ところが、今度は時間外なので、休憩しか出来なかった。
飲み物は入って直ぐの所にある自動販売機で銘々購入した。座った場所は同じだった。

「いや、申し訳ない。この時間帯に来たことが無かったもので、オーダー出来ないとは知らなかったのですよ。一
つ物を覚えました、はははは、迂闊でした」
 信念は恐縮したが、
「いいえ、ここに来れただけで嬉しかったです」
 林果は直ぐお礼を述べた。

「あ、あの、俺もです」
 珍しく昇は林果に同調した。
「あの、私ちょっと、……」
 今度は林果がトイレに立った。間も無く戻って来ると、まるでお返しとばかりに、十センチほどイスを昇から離
して座った。

『やっぱり嫌な女だ! 何も仕返しする事はないだろう!』
 昇は大いにカチンと来たが、自分が先にやったので怒る事は出来なかった。
「ちょっと侘(わび)しい事になりましたが、まあ、ここでゆっくりお話してから戻りましょう。あのう、桜山さん、一
つ聞いても宜しいでしょうか? ちょっと野暮な事なんですが……」
 信念は多少聞き辛そうに言った。

「はい、何でしょうか?」
 ペットボトルに入ったウーロン茶を飲みながら、相変わらず素早い反応で林果は言った。
「確か、そのう講義を聞く為に残った理由が、宝本さんが魅力的だとか言っていましたよね。あれはどういう意
味なんですか? 彼の様なタイプが好みなんですか? 別の意味がある様な気がしたのですが……」
 信念の疑問は昇の疑問でもあった。

「あっ! ああ、あれはその、勿論、彼の外見に興味がある訳じゃなくて、『夏休み未来教室』という、興味惹か
れる言葉を生み出した彼の、言わば才能に魅力を感じたという意味です。当然の事ですけど恋愛感情とかで
はありません。多分彼もそう思っていると思いますけど」
 林果は何とも明快に言った。

「はははは、桜山さんは物事をはっきり言う人なんですね。私も見習いたいですね。ついでと言ってはあれです
が、さっき出された宿題、宝本さんが出したやつですけど、三段論法的に言えば、『人間は物質だ。石ころも物
質だ。だから人間は石ころと同じだ』
 これが女子大生風な人の論法だったと思うのですが、彼はその女子大生が、何故石ころと言うのか、金塊や
ダイヤモンドとは何故言わないのか、そういう問題でしたね。
 確かに石ころも物質だけど、ダイヤモンドだって物質です。その女子大生の言う事を、石ころじゃなくて、ダイ
ヤモンドだと言ったら、結論は人間はダイヤモンドに等しいと言う事になる。大いに価値があるという事になって
しまう……」
 信念はやはり缶飲料もブラックコーヒーにしていて、しかもなかなか美味しそうに飲みながら、賢三の出した
宿題のおさらいをした。

「ええと、先入観があるんじゃないの? 確か何処かの宗教じゃ、肉体は精神の入れ物に過ぎないとか何とか。
つまり精神は偉いけど、物質は卑しいと言うことなんだろうな。俺にはそうは思えないけどね」
 カフェオレの缶コーヒーを飲み終わって、多少手持ち無沙汰にしている昇は軽そうな感じで言った。

「林谷君は精神もまた、物質の働きに過ぎないという考え方なのかな? もしそうだとすると我々はロボットと
何も違わないことになる。宝本さんの言葉のニュアンスは少し違う様に思えるのですがね、桜山さんはどう思わ
れますか?」
 信念は林果の答えに期待した。昇に対する反論を待っていたのだ。

「ええと、そのう、もう一つ良く分からないのです。宝本さんは、人間とロボットの違いを強調された様に思うの
ですけど、彼は石ころという無生物と私達人間と価値は等しいとも言った。私には矛盾している様に思えるので
すが……」
 信念の意に反して、林果の答えはかなり曖昧だった。

「どっちでも良いんじゃないの? 石ころには価値がないって決め付けているみたいだけど、その石ころが、例
えば月から持って来たものだとすると、何億円とか何十億円とかするって聞いたことがある。
 でもだからと言って、俺の妹の命と引き換えにしろと言われたら、俺は断るけどね。でもね、命にも値段があ
るって話も聞いた事があるよ。
 例えば、家だったら、幾ら妹の命を助ける為だといっても、十億円だと完璧にギブアップだろうな。出してくれ
る奇特な人が居れば別だけど」
 昇はそこまで言って、自販機に走った。カフェオレは美味しかったが、小さな缶だったので量が足りなかった
様である。

「うーむ、昇君意外と詳しいですね。そう言えば宝本さん彼を何かと褒めていましたよね?」
 信念は林果に同意を求めた。
「あれはお世辞みたいなものじゃないんですか? 本来残る筈じゃなかったのに、思いがけずに残っていたの
で、ケンちゃん嬉しくてつい誉めちゃったのよきっと」
 信念の意に反して、またも林果は昇を間接的にこき下ろした。
『やれやれ、これじゃあ、薮蛇だった様だな……』
 信念は精神的な疲労を感じた。その間に昇が戻って来て、別の缶飲料を飲み始めた。今度のはミルクティー
だった。

 数分の沈黙の時間が酷く長く感じられたが、
「さて、そろそろ戻りましょう。ほんの少し早いですが、丁度良いタイミングですから」
 信念は意味不明の言い訳をして、休憩の終りを告げた。車に乗せて貰う二人には、勿論異論は無かった。

「し、失礼しました。今ドアを開けますから!」
 車の中で仮眠を取っていた運転手は、予想外に早く三人が戻って来たので、かなり慌てたのだった。三人が
乗ると直ぐ車は発車した。

「しかし、宝本さんも車の中で仮眠を取っていたと思いますけど、目覚ましを掛けているんですかね?」
 後部座席の二人の関係が険悪なので、信念はなるべく話をして場を和ませようとした。
「彼は多分目覚ましを掛けていないんじゃないのかしら」
「ほほう、どうしてそう思われますか?」
「ちょっとした勘です」
「ははあ、ご本人に聞いてみたいですね。その勘が当ったとすると大したものですね……」
 結局は信念と林果とが話し合うだけで、昇は蚊帳の外になった。いや話に加わりたくなかったのだ。昇は直ぐ
に眠りの世界に入って行った。

「着きましたよ」
「早く降りて下さい!」
 信念は優しい言い方をしたが、林果の言葉には少し刺があった。
「ああ、はい、今、降ります」
 昇は寝惚け加減で車から降りた。足元がふらつき、前に倒れそうになった。しかし懸命に踏ん張って、前に
は倒れなかったのだが、危うく後ろに引っくり返りそうになった。
 そこに林果が居て、そのお陰で倒れなかったが、背中が何か柔らかい物で支えられた気がした。多分林果
の胸である。

「あ、わ、悪い!」
 昇は即座に謝った。
「…………」
 林果は無言だった。昇は罵られる覚悟をしたのだが、何も言われなかったので、ちょっと拍子抜けした。

 校庭の一角に止めてある、かなり年季の入ったエンジンの掛った軽乗用車の中で、まだ賢三は寝ていた。
あと十分ほどあるので問題は無いのだが、どうやって目を覚ますのか見て居たい様な衝動に駆られた。
 ところが三人に見られているからなのか、賢三は間も無く目を覚まし、一つ欠伸をしてから、車の外に出たの
である。やや急いで校舎の中に戻った所を見ると、多分トイレなのだろう。

「ひゃーっ、やっぱり外は暑いな。幾らか風があるから良いけど、ああ、そうだ、電話しなきゃ。ちょっと失礼しま
す」
 昇の母親のパートが終るのは今日も午後四時である。丁度講義開始の時間と重なるので、昇は電話はやめ
て、メールを送る事にした。電話は午後六時からの休憩時間にするというメールにした。

「さて、本日三度目の講義開始です。いや、しかし私は感動しています。これだけ長く講義をしたのは今日が初
めてなのですよ。しかも三人もです」
「三人もと言いますと、今までは何人だったんですか?」
 信念が信じられないと言った顔で聞いた。

「はい、一人か二人でした。何れも二番目の講義で終了でした。お三人が車で出掛けられたので、ああ、ここ
で終了だなと、高をくくってのんびり眠っていたのですが、まさか戻って来るとは思っても居ませんでした。
 はははは、嬉しい誤算でしたよ。ところで宿題の方は考えて来られましたか? まあ、考えなくても別に宜しい
のですが……」
 賢三は嬉しそうに言った。

「一応話し合ってみたのですが、もう一つ良く分かりませんでした。その、解答の方をお願いしたいのですが」
 信念はあっさり兜を脱いだ。
「ああ、そうですか。これは価値というものをどう考えるかなのです。それが物質であると言うだけで価値が低い
と考えるのは愚かな誤りだと言うしかありません。物質を石ころと言った人達は、実は二重に嘘を付いているこ
とになるのです」

「えっ! 二重に嘘を付いている? ケ、ケンちゃん、もう少し分り易く言って下さい。どういう事なんですか?」
 林果は興味深々で聞き始めたのだった。
「つまり、彼女は物質の中にはダイヤモンドの様に一般的に価値があると考えられるものは除外しました。同
じ物質であるのに、一般的に価値が低いと思われている、石ころを強調したのです。
 これを人に例えてみれば、その人の悪い点だけを述べて、良い面を意識的に言わないとすれば、嘘を付い
ているのと一緒です。これが一つ目の嘘。それから……」
 賢三の講義はますます熱を帯びて来たのだった。

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