夏 休 み 未 来 教 室
春 野 夢 男
72
「スピードスケートの場合は重心を落として滑走する事が大事です。特に長距離の場合はゆったりと大きな
フォームで滑れば良いのです。さあ、滑ってみて下さい」
「ええと、こうかな?」
こうなって来ると、SH教団上の立場の違いなぞ忘れて、栄太郎はかなり厳しくソードを指導した。その様子は、
芳樹がハンドムービーカメラで記録に取っている。
「クロッシングゾーンではアウトからインへの選手が優先ですからね。進路妨害したとみなされると失格ですから
ね。テレビのバラエティ番組だといっても、本格的にやる訳ですから、そこのところも何回か練習してみましょう」
スピードスケートの場合は外から内へ、内から外へ一周毎にコースを変えなければならない。当然ぶつかり
そうになる場合がある訳で、その様な場合は、必ず外から内へ入って来る選手が優先されるのである。
内側から外側へ出て行く選手は、相手の選手が行き過ぎるまで待っていなければならない。もしぶつかったり
ぶつかりそうになった場合には内から外への選手が失格になる。
色々な場合を想定して数時間練習を続けた。しかしソードはなかなか上達しなかった。特に転ぶ事を恐れて
いる感じである。
「ソード先生、転ぶ事を恐れていては、スケートは上達しませんよ!」
栄太郎は手厳しい。
『軽い転倒なら良いが、骨折レベルの転倒だと、機械の体である事がばれる恐れがあるからな。転ぶ事それ
自体が怖い訳ではないが、足の骨が折れているのに、うっかり痛がる事を忘れたりするとえらい事だからな』
ソードは自分がサイボーグである事が発覚する事を恐れて、思い切って滑れないのだ。
「ふうむ、少しは良くなって来ましたが、そうですねえ、もう一本滑ってから朝食という事にしましょうか?」
栄太郎はすっかりコーチ気取りで言った。
「ああ、そういう事にしましょう」
ソードは即座に賛成した。他に異論も無く、もう一度一万メートルを滑る事になった。栄太郎にとっては相当
にきつい筈である。
「パンッ!」
電子音の号砲が鳴って、二度目の一万メートルがスタートした。幾らか出だしの走りや滑っている時のフォー
ムに改良が見られたソードだったが、相変わらず栄太郎はどんどん差を付けて行った。
ところが五千メートルを過ぎた所で異変が起きた。栄太郎のスピードがガクンと落ちたのだ。やはり数時間前
に滑った疲れが残っていたのだろう。何と無くガス欠の様な感じであった。
そこまでで、約五周ソードを追い抜いていた栄太郎だったが、最早追い抜く事は出来なかった。タイムは栄太
郎が約三十分掛った。ソードは三十五分調度位だったが、それでも前回よりは少し速くなった様である。
「ソード先生の体力は底知れないですね。三時間位前に一万メートルを滑った人とも思えませんよ。本当に人
間なんでしょうか? ああ、失礼致しました。決して悪い意味で言ったのでは御座いませんから……」
宗徳は少し言葉が滑ったと、しきりにソードに謝った。
『おいおい、ドキリとさせるなよ。まあ、本当はそうなのだから責める訳にも行かないけどね……』
宗徳の言葉にソードは冷や汗を掻いたが、
「はははは、宗徳君、酷い言い様だな。しかし私のタイムが早くなったのは栄太郎君の指導の賜物だと思うん
だけどね。むしろ彼を褒めるべきなんじゃないのかな?」
などと上手く誤魔化した。ソードの言葉はもっとも至極だと思われたので、それはそれで終った。その後入浴
したり着替えたりしてから、皆でウルトラスカイホテルでバイキング方式の朝食を取る事になった。
『いつもいつも、一緒の食事を逃げてばかりはいられないな。仕方が無い、一緒に朝食を取るか。失敗しなけ
れば良いがな……』
ソードは勿論このような時の為に、食事の仕方の特訓をして来ていたのだ。たかが食事だが、彼にとっては
相当の試練となる。
午前六時半、ウルトラスカイホテルの一階にある、『ゼロ&ゼロ』というレストランでバイキング式の朝食を取
る。
『先ずはごく微量にする事。ご飯などの細かいものは駄目。一口サイズのものか一口に切り分けられるもの。
それ等の条件に合う物は……』
ソードが選んだものは一口ハンバーグだった。それとウィンナーソーセージ。二個ずつである。残念ながら箸
は使えない。
そこまで細かい指の使い方が、今の所は機能的に出来ないのである。その他には小さなロールパン一個だ
けだった。
何気ない振りをしながらフォークで一個ずつ刺して、口の中に慎重に入れていく。途中で決して口を開かな
い様に数回噛んで飲み込む。
パンは一口大にちぎって口の中に入れる。前の食べ物を飲み込む前には、間違えても次の食べ物を入れて
はならない。口の中が見えると機械的に噛んでいるだけである事がばれるからである。
物を食べる実感は全く無い。鼻に近づけると良い匂いか、悪い臭いかが分かる程度で、彼の舌には味覚が
無いのだ。
意識的に行われる部分と、コンピューターが指令を出して、食べた様な動作をする部分とが入り混じっている。
彼にとってはただ早く終って欲しいだけの作業だった。
作業は五分もせずに終った。汚れが残らない様に食事が終ったと認識すると、口の中にお湯が出て来て洗
浄する。最後にナプキン等で口の周りを拭いて苦痛の食事タイムは終了である。
『はーっ! どうやら無事に終ったな……』
ソードは誰よりも早く朝食を取り終えたが、兎に角ホッと一安心だったのだ。
「そ、それだけですか?」
アザミは驚いて言った。それは他の者も同じだった。付き人達も良く考えてみると、彼とは一度も一緒に食事を
した事が無い。
「先生、それじゃあばててしまいますよ。もっと食べなきゃ」
和寿は心配して言った。ソードが体調を崩していると思ったのだ。
「はははは、みんなの見ていない所で結構食べていますから大丈夫なんですよ。それより、もう直テレビ局の
人が来るんですよね、指導者の方も来るんでしたか?」
ソードはなるべく話の方向を逸らそうと思った。それは功を奏した。
「はい、午前九時からお昼頃まで、指導の先生について特訓をして頂きます。その模様は局のカメラマンが撮
影します。明日も明後日も同じ時間帯にやりますので、宜しくお願いします」
アザミは朝食を取りながら営業的に言った。
「そうそう、それで朗報がありますよ。明後日の特訓の時間に、久米原香澄さんが先生の応援に来てくれるそう
ですよ。
ソード先生がファンだって言ったら、是非お会いしたいと言うことで、急遽来て頂ける事になったんですよ。彼
女も忙しいので、ごく短い時間なんですが、応援してくれるそうですよ。
彼女の場合、ちょっと過激な所がありますから、ムフフのサービスがあるかも知れません。はははは、いいや、
きっとあるでしょう。彼女先生のファンだそうですから」
芳樹はソードが喜んでくれると思って色々手を尽くしていたのだった。
「えええ、来るんですか……」
ソードは困った。香澄の場合強烈なお色気で勝負しているので、
『興奮してしまったらどうなるんだ俺は? 我慢に我慢を重ねているんだから、とんでもない行動に出ないとも
限らないぞ……』
そんな風に考えて、なるべく会わない様にしたいと思ったのだ。
「嫌いになったんですか、彼女の事が?」
ソードに惚れているアザミにとってはその方が良かった。
「うーむ、前にも言ったけど、もう卒業した人なのでね、今は別の人が好きなんですよ」
苦し紛れの言い訳だった。
「しかし、もう、約束してしまったのでねえ、ちょっとだけですし、が、我慢して貰えませんか?」
芳樹は失望感を滲ませながら言った。
「ああ、そ、そうですね、ただ、私にもファンがいるので、余り過激な事は、謹んで貰いたいと伝えて欲しいので
すが、宜しいでしょうか?」
ソードは芳樹が傷ついていると思って、妥協した。
「じゃあ、宜しいんですね、香澄さんを断らなくても」
「はい、ちょっと応援して頂けるだけでしたらね」
それで一件落着かと思ったのだが、
「ソード先生の、今好きな人ってどなたですか?」
アザミの目は険しい。
「それはその、内緒です。迂闊に言ったら、ファンの人が怒り狂って何をするか分かりませんからね」
ソードはまたしても上手く逃れようとしたが、
「本当は誰なんですか?」
アザミは妥協しなかった。
「ちょっと、アザミさん、先生に対して、無礼ですよ。そういう詰問は止めて欲しいですね」
冷静な感じで、宗徳は言った。
「ああっ、す、済みません。ご、御免なさい。その、つい個人的な感情で言ってしまいました。本当に申し訳あり
ません」
アザミも自分の言動に行き過ぎがあった事を、頭を下げて認めたのである。
「ははははは、まあ、良いでしょう、じゃあ、食事の会はここまでにして、午前九時にスケート場に集合ですね?」
もうソードは席を立ち掛けている。
「はい、じゃあ、お待ちしておりますから」
アザミが言い難そうだったので、芳樹が代りに言った。
「ああ、そうそう、アザミさんの苗字は何でしたかね?」
ソードはアザミが自分に好意を寄せているらしい事を悟ったが、しょ気ている感じだったので、敢えて苗字など
を聞いて気持ちを和らげようとした。
「あのう、白金(しろがね)、白金アザミです。あのう、今後とも宜しくお願いします……」
アザミはさっきの非礼を詫びるかのように、もう一度深く頭を下げたのだった。
「じゃあ、その、お先に失礼します。なんだか酷く疲れましたので……」
ソードは明後日の事を考えるとなんとも気が重かったのである。