夏 休 み 未 来 教 室 


                                              春 野 夢 男

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 午前九時になって、予定通り全員がスケート場に集まった。練習に専念する為に、深夜と、午前中は貸切に
なっている。
「こちらが指導して下さる、青石譲二(あおいしじょうじ)先生です」
 芳樹が指導教官を紹介したが、少々傲慢な印象を受けた。

「お早う御座います。私が青石です。ただ一言言って置きたいのですが、たった三日でスピードスケートを一人
前に滑れるようになるなどと思わないで貰いたい。
 三日ではなく一人前になるのには三年は掛る。土台無理な話ですが、やれと言われた以上はやります。厳し
いですから覚悟して下さい」
 なにやら鬼教官めいている。

 既に専門のカメラマンがしきりに画を撮っている。
「そこの小さいのが、挑戦するんだな。水泳の記録を持っているかどうか知らんが、そんな事は忘れることだ。
先ず体操からやる。ヒンズースクワット五百やれ」
 青くなったのは芳樹だった。
「い、いきなりそれはちょっと、きつくありませんか。スケートに関しては素人なんですから」
 壊されてしまっては放送出来ないと思った。

「そ、そうよ、せいぜい百回が限度よ」
 アザミも芳樹に加勢した。
「ガタガタ外野が煩いな。引っ込んでろよ、俺は本人に聞いているんだよ」
 譲二はソードに向かって改めて言った。
「スクワット五百やるのかやらないのか、どっちだ?」
「はははは、五百で良いんですか?」
 ソードは余裕を見せて、しかも挑戦的に言った。

「な、何だと。そういう台詞はやってから言うんだな!」
 譲二は怒鳴った。
「じゃあ、数を数えて下さい。千回やりますから。ひょっとすると知らないのかもしれませんから言っておきます
が、鉄人レースでも優勝した事がありますので千回位は出来ないとね。いち、に、さん、……」
 言いながら早速両腕を前に振ってしゃがみ、立ち上がってまた両腕を前に振ってしゃがむ、ヒンズースクワッ
トの動作を続けた。非常にハードで、かなりのスポーツマンでも通常百回位が限度であろう。

「……、九百九十八、九百九十九、千!」
 お仕舞にはほぼその場にいた全員が回数を数えて終了した。
「ふう、はあ、はあ、さ、あ、流石に、きついですね。ふう、さて次は何をしましょうか?」
 ソードは如何にも疲れた様に息を切らして見せた。

「ふふふ、まあ、ちょっとはやるという事か。基礎的な体力の方は出来ている様だな。だったら早速実戦と行こ
うか。一万メートルを滑るそうだな。女子には公式競技には無いんだが、面白い情報がある。
 昨日あんたの挑戦を受けることになった、黄味麻呂ユウカリ君が、練習中に世界新記録を出したらしい。何
度も言うようだがメジャーなアレではないから別にニュースにならなかったんだけど、二十分そこそこで滑った
らしい。この調子だと、本番じゃあ二十分切るんじゃないのかな?
 五周も十周も離されて惨めな敗北をするかも知れんぞ。まあ、今滑ってみれば分かる事だ。俺は無駄は嫌い
でね。今お喋りしているのもちゃんと計算のうちなんだぜ。この間に疲れを癒せば良いのさ。
 それじゃあスケート靴を履きな。俺も一緒に滑る。出来もしないのに口だけ達者だなんて、言われたくないか
らなあ、はははは!」
 何だかとても嫌味な男で、テレビ局の関係者達は皆、人選を誤ったと思ったのだった。

「それじゃあ、俺の後について来な。一周俺に抜かれたら、その時点で、今日の練習は終り。後は自分でやり
な。おい、返事はどうした!」
 支度が出来た所でスタートラインにソードと一緒に並んだが、なんとも乱暴なものの言い方で、一方的な男で
ある。他の連中は皆カリカリ来ていた。

「はい。じゃあ、宜しくお願いします」
 ソードは微笑みながら軽く受け流した。
「ふん、良い覚悟だ。勿論、俺は一万メートル滑る積りでやる。俺の滑り方に疑問があると拙いから、そうだな、
今回だけは、最後まで滑る。それなら文句は無いだろう?」
 譲二は他の連中の疑いの眼差しを感じてそう言った。曲がりなりにもオリンピックの代表選手だった男である。
かなりの滑りを見せてくれるという印象だけはあった。

「位置について、用意、パンッ!」
 号砲を合図に二人は一斉にスタートした。ソードはどんどん引き離されて行く。しかし栄太郎と滑った時より、
また少しペースが上がった様である。

「ふうう、久し振りに一万メートル滑ったぜ。はあ、はあ、はあ、しかし思ったよりやるじゃねえか。まあ、アレだな、
約束は約束だ。今日のコーチはここまでだ。じゃあな」
 譲二は唖然とする皆を尻目に、さっさと引き上げてしまった。三時間のコーチの筈だったが、一時間半で終っ
てしまったのである。それでも恐らくギャラはちゃんと三時間分要求するのだろう。

「何あの人! 芳樹さん、もうちょっとましな人を連れて来れなかったの?」
 アザミは苦言を呈した。
「いやしかし、日本スピードスケート長距離界の第一人者だった人だからねえ、今回一番の適任者だと思った
んだけどねえ……」
 芳樹は困り果てた様子である。

「でもまあ、タイムは確実に短縮しているんだし、後二日の辛抱ですからね。それに早く帰ってくれた方が、こっ
ちも独自に練習出来て良いじゃないですか」
 ソードは前向きに言った。

「まあ。最悪のコーチだとは思うけど、タイムは流石ですねえ、二十分切っていますから。それにソード先生だっ
て三十分そこそこの素晴しいタイムです。フォームが格段に良くなりましたからね。それに動きがスムースで無
駄が随分減りました」
 栄太郎もまた前向きな言い方をした。

「そうですね、ものは考えようです。役立たずのコーチにはさっさと消えて貰った方が良い。いっその事、さっき
のコーチの後は栄太郎さんがやればどうでしょうか?」
 宗徳が新たな提案をした。

「それは良い考えですね。でもテレビ局としてはそれでは拙いですか?」
 和寿はテレビ局の連中に気を使った。一瞬間があったが、
「彼は外しましょう。この際、助乃川栄太郎さんをコーチにしましょうよ。ねえ、芳樹君、そうしましょうよ」
 と、アザミは相当に大胆な事を言った。

「いや、しかし、これは俺の一存じゃあ、決められないよ」
「何言ってんのよ。もしもの時は私が全責任を取って、辞めてやるわ。それなら良いでしょう?」
「し、しかし、その、前代未聞な事だから……」
 芳樹は渋った。
「そうですよ、アザミさんの首だけじゃ済まないっすよ。止めた方が良いっす」
 芳樹の肩を持ったのはカメラマンの栗毛地海斗(くりげじかいと)だった。

「ええと、俺が良い成績を取ってと言うか、本番で勝てば良いんですよね?」
 揉めている連中の仲を取り持つ様にソードが言った。
「しかし幾らソード先生でも、二十分を切るのは相当に厳しいんじゃありませんか?」
 栄太郎は現実的な言い方をした。

「私が信用されていませんね。そうですねえ、じゃあ、一休みして、十一時三十分にもう一度勝負しましょう、栄
太郎君。勝ち負けよりも、スピードの伸びを見て欲しいですね。どうですやってみますか?」
 ソードは自信有り気に言った。

「少し練習過剰じゃないんですか? 合わせると凄い距離になっていますよ」
 栄太郎は釘を刺す感じで言った。
「いえいえ、全然平気です。やってみれば分かりますよ」
 ソードは自信に溢れている。
「そんなに言うんだったらやりましょう。でもきつかったら、即座に中断して下さい。お願いしますよ」
 栄太郎は無理をしない様にと念を押した。

「ああ、勿論。じゃあ一旦休憩ということで、私は一眠りして来ますからね」
 ソードは選手控え室の簡易ベットに横になって、毛布を貸して貰って、直ぐに眠ってしまった。相変わらずの
素早い寝入りである。

 三十分余り後、ソードと栄太郎は三度目の競争をする事になった。
「パンッ!」
 号砲一発二人は一斉に滑り出す。相変わらず栄太郎の飛び出しは素早く、ソードをぐんぐん引き離した。しか
しソードもスピードを徐々に上げて行って、一周抜くことは遂に出来なかったのである。
 栄太郎は二十四分台後半、ソードは二十五分台前半だった。その模様を勿論カメラマンはきっちり映してい
た。

「パチ、パチ、パチ、……」
 ソードの健闘に、一斉に拍手が沸き起こった。
『この調子だったら、まだまだ記録は伸びる!』
 皆がそう思ったのだった。

「なるほど、これだったら行けますね。分かりました、あのくだらないコーチはお断りしましょう。良いよね、栗毛
地君!」
 芳樹は弾む様に言った。
「あ、ああ、その、赤根沢君が責任を持つんだよね、そのアザミさんと一緒に」
 カメラマンの栗毛地海斗はなんとも自信無さそうだった。

「ああ、勿論責任は取るさ。アザミさんと、一緒にね」
 芳樹はアザミと一緒を強調した。
「ちょっと待って、私赤根沢君と一緒に責任を取る積りは無いわよ。辞める時は私一人ですからね。その時は
その、ソード大先生に面倒をみて貰いますから、ぜ、全然平気だわ」
 アザミの言い方は何だか妙だった。

「はははは、まあ、今日はここで解散ということで良いでしょう。明日も深夜の練習がありますから、皆さん早め
に休まれた方が良いですよ。さあ、兎に角ホテルに戻りましょう。
 私は疲れたので、直ぐに休ませて頂きます。午後十一時半にまたここに集合ですよね。じゃあ、皆さんお休
みなさい」
 他の連中の事などお構い無しに、ソードはさっさとホテルに戻って眠ってしまったのだった。

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