夏 休 み 未 来 教 室 


                                              春 野 夢 男

                               77


「またまた素晴しい記録が出ました。一着ソード・月岡君、タイム17分07秒! 昨日より更にタイムを縮めまし
た。本当に素晴しいです! 二着助乃川栄太郎君、タイム19分04秒! この記録もなかなかのものです」
 ソードびいきの雪岩徹は殊更にソードの記録を褒め称えた。

「しかし凄いですね、滑るたびに記録が伸びている。このまま記録が伸びて行ったら、オリンピックも夢じゃない
んじゃないですか?」
 芳樹も大喜びである。その後暫く休養を取って、柔軟体操などした後でもう一度滑る事になるのだが、
「今度は出来れば17分を切りたいですね。何か出来そうな気がする。ただその後、例によって直ぐ休みますの
で。ええ、今度は新幹線に乗ったりしませんからね、安心して下さいよ」
 ソードはちょっと気を使って小声で言った。

「はははは、今度は一緒に部屋に行きますからね、良いですね!」
 和寿はちょっと睨んで言った。
「はははは、そんなに睨まなくても。さあ滑りますよ!」
 和寿の剣幕に恐れをなして、ソードは滑りに逃げた。

「パンッ!」
 例によって電子音の号砲一発、ソードと栄太郎は一斉にスタートした。スタート自体は余り変化がない。もう
ほぼ完成の域に達している。
 短距離だったらもっと瞬発力を生かして飛び出すのだろうが、長距離の場合は、その必要が無いし、無理に
飛び出すと後に響いて来る恐れがあるので、これ以上は望む必要が無いのである。

 たださっきと違うのは栄太郎がソードに付いて行こうと必死になった事だった。さっきより更にソードは速い。
とうとう十八周目で、栄太郎のスピードはガタ落ちになった。ノロノロと走る栄太郎を尻目にソードは快調に飛
ばした。栄太郎の二倍以上のスピードでソードは滑って行って、更に良い記録を出した。

「良い記録が出ました! 一着ソード・月岡君、タイム、……タイム、16分12秒! 一分近く縮めました! 驚
異的、驚異的な進歩です!! なお助乃川君は進路妨害により失格です。助乃川栄太郎君、ソード選手への
進路妨害により失格です。従ってタイムはありません!」
 それは些細なものだったが徹は厳格に判定した。その気持の裏には、その進路妨害が無ければ更にソード
の記録が1秒位は伸びただろうという無念さが隠されていたのだった。それほどまでに徹はソードを信奉して
いたのである。

「ふはーっ、疲れました。それじゃあ、みなさん、今度は午前九時に集合ですね。じゃあ私は休ませて貰います。
皆行こうか」
 ソードは今度は自分だけで行かずに、付き人達にも声を掛けて一緒にホテルに戻ったのである。ソードと栄
太郎は順に風呂に入って、眠る事となった。
 ただ栄太郎はソードの足を引っ張ったという思いがあって、落ち込んでいた。ベットの中で彼は暫く泣いてい
た様である。彼もまたソードに対する思い入れは相当に強かったのだろう。

 和寿と宗徳は二人だけで、部屋の中で朝食を取りながら雑談を交わしていたが、やがてイスにもたれて眠っ
てしまったのだった。
「さて、皆さん行きますよ!」
 今回はソードが皆を起した。八時半にまだなっていなかったので、付き人が寝坊をした訳ではない。ソードは
香澄がやって来る事が気になって、おちおち寝ていられなかったのだった。
『本当に大丈夫なんだろうね……。まあ特殊ホルモン剤の効き目を信じるしかないか』
 そう思っても不安で仕方が無かったのだ。

「ああ、お早う御座います。あれ、まだ八時二十分ですよ。十分早いみたいですが?」
 宗徳が言った。
「ははははは、何だか眠れなくてね。つい皆を起してしまったけど、少し早いけど行こうか?」
 ソードは落ち着かない様子だった。
『ソード先生、香澄さんが来るので、そわそわしているんじゃないのかな? やっぱり相当に気があるんじゃない
のか?』
 和寿はそう思った。

「さあ、皆さん行きましょう!」
 元気良く起き出して来たのは栄太郎だった。何時までも落ち込んでいてはソードに迷惑が掛ると思って、開き
直ったのである。ただ、以後二度とソードとは一緒に滑らない覚悟も出来ていた。

「じゃあ、少し早いですが行きましょう!」
 宗徳もソードに合わせる事にした。彼もまたソードに対する絶対的信奉者の一人である。勿論それは当然で、
ソードに対する忠誠心の厚い者だけが付き人になれるのだから。

「ええっ、これは!」
 付き人達もソードも驚いたのは、スケートリンクの会場周辺に、ソード目当てらしいファンが数十人ほどうろつ
いていた事だった。極秘にしていたのだが、何処からか情報が洩れたらしい。

「あっ、ソード・月岡だ!」
 遠慮も無く呼び捨てにして、主に若い女性ファンが押し掛けて来た。男性の姿もチラホラある。こういう時の
為の付き人である。早速、ソードのガードをした。

「サインをお願いします!」
「握手して下さい!」
「こっちを向いてよ!」
 等と叫びながら、盛んに携帯カメラのスイッチを押したり、動画を撮ったりしていた。ソードは芸能人ではない
ので特にファンに愛想を振りまくことはしない。
 しかし今行っている事は、言わば信者獲得の為の営業活動である。余り無愛想にも出来なかった。ちょっと
だけ振り向いて、軽く手を合わせ頭を下げて、それから少し笑顔を見せてから会場に入って行った。それでファ
ン達は十分に満足した様である。
『自分を見て微笑んだ! 自分は特別に思われている!』
 ファンの大半の者はそう感じたようだった。

「ふう、参りましたね。誰にも気付かれていないと思っていたのですがね」
 会場に入るとソードは、待っていたテレビ局のスタッフ達と挨拶もそこそこにそう言った。
「まあ、有名になるとそういうものですよ。ああ、私も昔はそうだったんですがねえ」
 司会者のコンポン君が言った。コンポンというのは芸名で、本名は根本新之助(ねもとしんのすけ)と言った。
根本を音読みにして、コンポンと名付けてお笑い芸人として売り出していたのである。一時は大変な人気だった
が、それも落ち着いて今では専ら司会業をしていた。

「ところでですね、まだお話ししていなかったと思うのですけど、ユウカリさん、昨日更に凄い記録を出したのは
ご存知ですか?」
 女子アナウンサーの大橋メグミが何と無く申し訳無さそうに言った。
「いいえ、聞いていませんが。十八分台の記録を出したとは聞いていますけどね」
 芳樹がやや不快そうに言った。

「直ぐお知らせしなくて申し訳御座いません。心地貝(しんじかい)プロデューサーが止めたんです。余りガックリ
させないようにって、うううっ、……」
 メグミは半分泣き出しそうになって言った。黙っていたのが余程心苦しかったのだろう。
「それでタイムはどの位なんですか?」
 ソードは平然と言った。
「それがその、16分台なんです。16分40秒でした。今日は恐らくもっと出せるんじゃないんでしょうか。明日は
ひょっとすると16分切るかも知れません。本当に申し訳ありません黙っていて」
 女子アナのメグミの言葉を聞いて、
「うふふふふ、何だ、その程度なの? メグミさん、何も泣く事は無いわ。こっちも正確に言ってなくて御免なさい
ね。ソード先生の今朝の記録は、16分12秒だったのよ。いい勝負だわ」
 アザミは小気味良い感じで言った。

「ええええっ!! 16分12秒!!」
 今日来たテレビ局のスタッフはたまげてしまった。二十分切ったと聞いていただけだったので、まさかそれほ
どまでの記録だとは思っていなかったのである。

「そうですね、論より証拠という事で、早速やってみましょう。ただ、練習相手がいないのですよ。コーチの人は
怒って帰ってしまいましたしね。栄太郎君はやらないよね?」
 ソードは既に滑らない事を宣言していた栄太郎に聞いてみた。
「はい、私では、足手纏いになるだけですので。それに今日はもう疲れましたから、とても無理です」
 結局ソードは一人で滑る事になった。

「パンッ!」
 号砲を合図に滑って行くソードを見て、
「オオオオオッ!!」
 初めてソードの滑りを見る連中は唖然とした。フォームも綺麗だし、そのスピードはユウカリを相当に上回っ
ていると思えたからである。

「まるでオリンピックの選手だわっ!」
 女子アナウンサーのメグミは驚嘆して叫んだが、その場に居合わせた者は皆そう思った。
「またまた凄い記録が出ました! 一着ソード・月岡君、タイム、15分45秒! 既に国体選手並のタイムです。
も、物凄い記録です!!」
 場内アナウンスの雪岩徹は興奮して叫んだ。彼の興奮は皆の興奮でもあった。記録そのものよりも、伸び
率が驚異的なのである。

「な、な、何ですかこれは! もう現役の男の選手でも持って来るしかないじゃありませんか!」
 コンポン君は半分怒って叫んだ。
「私達もそう思ったのですが、残念ながら時間がありません。後はユウカリ選手に頑張って貰うしかないと思い
ます。しかもソード先生の記録は更に伸びそうです。興醒めになりますわね……」
 アザミはテレビ局側の人間としての意見を言った。

「逆ハンディを付けるしかないですね。ああ、そのちょっと待って下さい、今電話が……」
 芳樹は万策尽きたと思って言った。しかしケータイで話をしているうちに急に顔色が変わった。
「そ、そうですか。分かりました。じゃあ、その線で行きましょう」
 電話はプロデューサーからだった。

「いや、その、今、心地貝(しんじかい)プロデューサーから連絡があったんだけど、青石さんからの提言で、現
役の男子の選手が明日挑戦する事になったって言って来た。
 それで良いのかな……。名前は明かしてくれなかったけど、トップクラスの人とノーハンディでやる事になっ
たって、それは決定事項だって言って来たんだけど。それもユウカリさんに勝った場合だって言うんだけど
ね……」
 芳樹は真っ青な顔で言ったのだった。どうやら青石の報復らしかった。

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