夏 休 み 未 来 教 室
春 野 夢 男
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芳樹の報告でスケートリンク内がやや騒然としている所へ、賑やかな一行が侵入して来た。
「やっぱり寒いわね! ビキニは拙かったかしら!」
とんでもなく場違いな格好は、一時人気が低迷していたが、過激なお色気路線で復活した、久米原香澄だった。
その他に何人かの取り巻きや、カメラマンもいた。
「ネグリジェ貸して!」
場違いが更に場違いになった。予め用意していたスケスケの真っ赤なネグリジェを、付き人から受け取ると
ビキニの上に羽織って、皆のいる所にやって来たのである。
『あれは、ハヤブサ! うーん、場違いな感じの二乗だな。香澄さんはまあ芸能人だから、兎も角として、彼の
格好は忍者風だ。えっ! スケート靴を履いているぞ。まさか……』
ソードもそして他の連中も唖然とした。
「ハーイ、ソード・月岡さん、初めまして! 貴方の大ファンのカスミが遥々(はるばる)ハワイから会いにやって
来ました! アローーーーハーーーーッ!」
香澄は改名してカスミとカタカナにしていたのだった。ハワイから来た事は本当だった。アメリカ本土からやっ
て来たハヤブサと、イメージムービーの撮影の為に来ていたハワイで合流して、日本にやって来たのである。
「はははは、何か凄い格好ですね……」
少々あっけに取られたが、美貌は相変わらずで、多くの男性達の視線を釘付けにした。幸いだったのはソー
ドは特殊ホルモン剤の注入で、さして興奮しなかった事である。平然とカスミの妖しげなネグリジェ姿を見ていら
れたのだった。
「ご紹介しますわ、アハーラ拳法の達人、飛島三郎、通称ハヤブサよ、宜しくね。今日は貴方と勝負しに来まし
たのよ。勿論スケートでね」
「えええっ!」
場内はまたまた騒然となった。デモンストレーションなどで無く、勝負と言ったことが波紋を呼んだのである。
「失礼ですが、そちらの方、場違いな格好をしていらっしゃいますけど、スピードスケートを舐めているんじゃあ
りませんか?」
アザミはかなり反発して言った。
「うふふふふふ、滑ってみれば分かりますわ。それとも怖気付いたのかしら?」
カスミは挑発的である。
「ソード先生に対して失礼だと言っているのですわ!」
アザミは一歩も引かない。
「あははははは、彼の、ハヤブサの記録をご存知かしら?」
「知らないわね。少なくとも世界チャンピオンじゃないわね。それだったら私が知っていますから」
アザミは尚も食い下がって行く。
「確かに世界チャンピオンほどじゃありませんけど、彼は一万メートルを13分台で滑れますのよ。ちょっと物足
りなかったかしら?」
「えええええっ!!」
その場にいた殆どの者が、驚きの声を上げた。カスミと一緒に来た連中も驚いている所を見ると、記録は本
人とカスミしか知らなかったようである。
「それは頼もしいですね。それじゃあ折角ですから、少し準備運動などしてから一緒に滑ってみますか?」
相変わらず暢気(のんき)なソードだった。
「だ、大丈夫?」
アザミは心配して言った。
「まあ、いい勝負になるんじゃないですか? ハヤブサさんはこのリンクに不慣れだと思いますから。私は慣れ
ていますから、タイム差は殆ど無いと思っています」
ソードは冷静な判断をしてみせた。その言葉に誰よりもハヤブサが感心した。
「どうやら、噂に違(たが)わぬ、なかなかのお人のようですね。それでは少し準備運動などしてから、お手合わ
せ願いたい」
忍者風なスタイルのハヤブサは早速柔軟体操などを始めた。
「それでは私も」
直ぐにソードも柔軟体操を始めて、十分後位に二人はスタートライン上に立った。二台のカメラはカスミの乱
入の時からずっと場内の様子を写し続けている。
緊迫のスタート直前の模様も勿論アップで或いはロングで写していた。前代未聞の事ばかり続いて、上手く
編集して放映されれば、視聴率アップはほぼ間違いの無い所だった。
「……位置について、……用意、……パンッ!」
何時もの様に雪岩徹が号砲を鳴らした。今回は今まで以上に緊張感があった。
『ひょっとすると惨敗するかも知れない……』
そんな思いが、徹を始めとするソードの熱烈なファン達の胸に沸き起こっていたのである。
幸か不幸か、最初から殆ど差の無かった二人のデットヒートはずっと続いた。
「ラスト一周! カラン、カラン、カラン、……」
今回初めて最後の一周の時に、本式の時と同様に鐘が鳴らされた。
「タイム計測は百分の一秒まで。際どいレースになりそうですので、百分の一秒まで計測いたします」
徹は今までとは違って、厳密なタイム測定をする事にしたようである。それ程二人の力は拮抗していたの
だった。
「ゴーーーールッ!! 殆ど同時です。タイムは14分47秒59。同着です。本来なら写真判定にするべきなの
ですが、練習試合なのでそこまではしておりません。
明日も写真判定はする予定がありません。ええと、両者とも素晴しいタイムでした。皆様どうぞ、暖かい拍手
をお送り下さい!」
「パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、……」
二人の健闘に暫く拍手が鳴り止まなかった。相変わらずのソードの驚異的な伸び率のペースと、いきなりやっ
て来てのハヤブサのこれだけのタイムは立派というしかないだろう。
「うふふふふ、お二人に、私からのプレゼントですわ」
互いの健闘を称え合って、握手を交わしていたソードとハヤブサに、カスミは側に走り寄ると、
「チュッ! チュッ!」
二人のほっぺにキスをした。
「ええーっ!」
非難めいた声が特に女子から上がった。
「そ、ソードさんに何するのよ!」
意外なほど激怒したのは、女子アナウンサーの大橋メグミだった。テレビで放映される可能性のある、映像の
撮影中であることをすっかり忘れている。
「えへへへへ、本当はね、勝者には私からもっと熱い口づけをする積りだったのですけど、引き分けだから、
ほっぺにキスで終ったのよ。残念だったわねえ、ソードさん。私のファンなんでしょう?」
カスミは本気とも演技とも付かない様な言い方をした。
「黙れ! カスミ!」
激しい言い方はアザミだった。頭に血が上っている。
「まあ、まあ、そう怒らないで、兎に角、素晴しいデットヒートを見せて頂きました。カスミさん、それからハヤブサ
さん、今朝はソード・月岡さんの応援、本当に有難う御座いました! 皆さん拍手でお送り下さい!」
怒り狂っている二人の女子に構わずに、司会役のコンポン君は、分刻みのスケジュールがあって、直ぐ帰っ
てしまうカスミとハヤブサに声援を送る様に促したのだった。一部の男性陣からのみ、大きな拍手があった。
「じゃあ、またね、ソードさん。今度は二人だけで、親密にお会い致しましょうね、チュッ!」
カスミはソード目掛けて、投げキッスをして、何度か振り返りながら、慌しく去って行った。
「二度と来るな!」
アザミの目は怒りに燃えていた。メグミも不快感を露にしている。
「ふう、やれやれ、何だか台風が去った後みたいですね。男達はぼうっとしているし、女達は怒り狂っている。
やれやれ、兎に角、カスミ台風はこうして大きな爪跡を残して、去って行ったのでした。これにて一件落着!」
元お笑い芸人らしく、コンポン君は面白おかしく最後のまとめを締めくくったのだった。後は明日の本番を待
つばかりである。
『勝たなくて良かった! 熱烈な口付けなんぞされたら、すっかりばれてしまう所だった。ふう危なかった。まあ、
実際にそうなったら逃げるしかないけどね。
それにしても過激な格好は困ると言って置いたのに、もう、何と言うのか、相変わらずなんだな、カスミ君は!
しかしハヤブサさんがスケートがあれだけ上手いとは思いもよらなかったな……』
ソードはカスミの口付けなぞ無くて良かったと思いながらも、ハヤブサの来日の目的が知りたくなった。
「あの、ハヤブサさんは、スケートの為だけに来たんですか?」
ソードはテレビ局の誰にとは無くそう聞いた。
「あのう、一つはカスミさんのボディガードとアハーラ拳法のアッピールの為だそうです。それともう一つは、日本
にアハーラ拳法の支部道場を作る為だとか聞いています」
直ぐ答えたのは女子アナのメグミだった。しかしその様子をアザミは険しい表情で見ていた。
『メグミさん、ソード先生に気があるみたいね。油断出来ないわね!』
アザミは激しいライバル意識を感じていた。
「支部道場を作るんですか。へーえ、ちょっと面白そうですね。忙しくて拳法を学ぶ暇は無いでしょうが、もし暇
が作れたら、やってみようかな?」
ソードはかなり本気で言った。
『林果に直接会うのは怖いけど、何か手掛かりが掴めるかも知れない』
密かに調べてはいたが、最愛の女性、桜山林果の最新の情報が欲しかった。それと息子の昇一の様子が
気になっている。
およその事は分かっても詳しい事になると殆ど分からないのである。アハーラ拳法やカスミに接近する事で、
何とか林果と昇一の様子を生で知りたかったのだ。
「アハーラ拳法に興味がおありなんですか?」
メグミが言った。
「ああ、少しね。格闘技の様な激しい動きは苦手なんですが、多少は護身の為に学んでおいても良いかと思い
ましてね」
ソードは当たり障りの無い言い方をした。
「支部はもう直、東京に出来るそうです。もしソードさんが入門されるんだったら、私も入門しようかな……」
メグミは臆面も無くそう言ったのだった。