夏 休 み 未 来 教 室 


                                              春 野 夢 男

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 ソードはコーヒーだけだったが、他の者達は、多少遠慮して、値段の安いものを注文して食べていた。雑談
をしながらも、耳はソードとカスミの会話に向けられていた。大半の者は恋愛関係の事と思っていたのだった。
「それで、質問というのは何でしょうか。答えられる限りの事は答えますが」
 ソードはそう言ってから、慎重にコーヒーを飲んだ。

『ゆっくり、ゆっくり、最初は少し吹いて冷ましてから、ほんの一口だけ啜る』
「ズズッ」
『それからお話をしてから二口目を啜る。それまでは暫くコーヒーカップはテーブルの上に置く。零したりしない
様に気を付けて、手を引っ掛けたりしないように少し離して、静かに置く……』

 高々コーヒーカップをテーブルの上に置くのにも随分気を使った。普通の人間であった時には何ということも
無い事だったのに、
『こんな事がこれほど難しいことだったんだな……』
 改めて人間の持つ高度の運動機能に感心させられた。感動すらしたのだった。しかし今はその様子を相手に
悟られては拙いのだ。悠然と微笑みながらカスミの言葉を待った。

「私には古くからの女の友人がいるのですけど、一時仲が凄く悪かったのですが、今は親しく付き合っています。
それで彼女としばしばお話して、例えばこんなお話が出ました。『神は存在しないのだ』と。私には良く分からな
いのですが、ソード先生はどう思われますか?」
『古くからの女の友人とうのは林果に間違いないな。彼女はそんな話もしていたのか。ふふふふ、懐かしい。
あああ、林果!』
 ソードは懐かしさに思わず、込み上げて来るものを感じたが、コーヒーを啜って誤魔化した。

「ああ、そのお話ですか。話せば少し長くなりますが宜しいですか?」
 思い掛けない事を聞くと思ったが、神の非存在性については、既に金森田とも十分に協議済みである。
「余り何時間も掛るのはちょっと……」
 カスミは五、六時間も掛る事を想像した。
「はははは、まあ、せいぜい三十分位ですから、その程度なら宜しいのでしょう?」
「はい、その程度でしたら。余り長くここを貸し切っていると、他のお客様が怒りを爆発させてしまいますわ」
 カスミはほっとして言った。  

「先ずお聞きしますが、あなた自身はどう思われますか?」
「さっきも言った様によく分かりません」
「だったら居ると思って下さい。その方が気が楽ではありませんか?」
 かつてのソード、林谷昇の時には考えられないような答えであった。

「でも、私の友人は自信を持って、いないと断言しました。彼女の意見を聞くと、それはそれでもっともだと思う
のですが……」
「成る程、居ると素直に信じる事が出来ない訳ですね?」
「はい。その友人にはもう亡くなったのですが、恋人がいました。とても素敵な人で、私も大好きだったのですが、
彼は神は存在しないと言っていたようなんです。とても説得力があったと聞きました。
 例えば、神が存在するのなら、何故、この世に不幸や苦しみがあるのでしょうか。それを見て笑っているのだ
としたら、随分残酷な神だ、ということになってしまいます。
 無限の力を持つ神に、何故それらの信じられない様な、悪逆非道な事が止められないのでしょうか? 答えは
一つ、神は存在しないからだ、と彼女はそう言いました。この事をどうお考えですか?」
 カスミの質問はそもそもソード、かつての昇の考えた、神の非存在の理由の一つである。

「分かりました。それではSH教団の考え方をお話致しましょう。それは『我は神なり、また魔なり』という考え方
です」
「我は神なり?」
「はい、誰しもが神にもなれば悪魔にもなるという考え方です。神が何処かに居るのではなく、自分自身が神に
なることも出来るし、また悪魔にもなる事が出来る。
 勿論自分には限りと言うものがあります。何でも出来る訳ではない。しかし神と思える様な事をなす事は可能
です。より多くの人が神になる様に、そして出来る限り悪魔の出現を抑える。それが我等SH教団の役目だと、
私共は考えています。
 貴方の疑問の様に、私共は別個に神なる存在があると考える事は、無意味な事と考えます。神になるのは
自分なのですから。しかし同時に悪魔にもなる恐れがあります。ゆめゆめ油断は出来ません」

 ソードはSH教団の教えの主要部分を掻い摘んで話した。カスミは十分には納得していないようである。
「結局、神は存在しないのですね?」
 カスミは念を押した。
「貴方がそう思うのであれば否定はしません。それでもどうしても神が別個に存在すると考えたい人には、
『神は存在、非存在を超越して、おわしますのだ』と言う事にしています。『全てを超越して神は存在するのだ』
ということです」
 ソードは金森田と話し合って出した、最終的な結論を言った。

「全てを超越して神は存在する。全てを超越して……。まだ完全には納得出来ませんが、一応その考え方を、
林果に、ああ、いいえ、女友達に伝えてみます。今日はどうも有り難う御座いました。話をした甲斐がありまし
たわ」
「それで良かったですか? もし尚お聞きになりたいことが御座いましたら、またどうぞお話下さい。その時はも
うちょっと高いものを奢って貰おうかな。
 ははははは、それは冗談ですが、そのう、亡くなられた、恋人という人はどんな方だったんでしょうね? ハン
サムな人だったんですか?」
 ソードは林果の様子が聞きたくて、話を昇の方へ持って行こうとした。

「ハンサムというのとはちょっと違いますけど、でもとっても顔の綺麗な人でした」
 カスミは昇の顔を思い出しながら話した。
「はい? 顔が綺麗だけど、ハンサムじゃないんですか?」
 ソードは混乱した。カスミの言い方が理解出来なかった。他の女性にも何人かに似た様なことを言われたと、
記憶している。

「ええ、そうよ。貴方はハンサムだけど綺麗な顔というのとは違うわね。彼の場合には、正面から見た顔はたい
した事は無いけど、左斜め前四十五度位から少し見上げる感じの時の顔は、そりゃあ、素敵だったんだから。
 眼鏡を掛けた彼の顔はとっても綺麗でぞくぞくしたわ。こういう事を言ってはアレなんですけど、ソードさんでも
ちょっと及ばないわね。でも私はソードさんもl好きですわよ。顔は負けても、才能が物凄いですからねえ。男は
やっぱり才能がものを言うわね」
 カスミは既にスパゲッティを食べ終わって、食後のミルクティーを飲んでいた。その仕草もなかなかに色っぽい。

『しまった。特殊ホルモン剤の効き目はもう切れている。どうりでカスミさんの姿が色っぽく感じられる訳だ。早い
とこ退散しないと拙いな』
 ソードは一刻も早くその場を去りたかった。

「それでは、これからスピードスケートの本番がありますので、失礼します。どうもご馳走様でした。ああ、あのう、
アハーラ拳法の支部道場が出来るそうですね?」
 幾らなんでもスタコラさっさと退散したのでは、奢って貰うことだけが目的だったみたいでバツが悪く、立ち上
がってから、今は比較的ラフな服装のハヤブサの方を見ながら言った。

「はい、年末にはオープンの予定です。もし宜しければどうぞ起こし下さい」
 ハヤブサはやや義務的に言った。言葉の端々に何故か刺が感じられた。嫉妬心が見え隠れしている。ソード
がカスミにかなり好まれている事が気に入らない様である。

「私も相当忙しいので、お約束は出来ませんが、何とか暇を見つけて寄らせて頂きます。その節は宜しくお願い
致します」
 ソードはハヤブサに言ったのだったが、
「はい、是非いらして下さい。お待ちしておりますわ。私も多少アハーラ拳法をやりますので、その時は、手取り
足取りお教え致しますわよ。うふふふふ、今からとっても楽しみですわ」
 即座にカスミが意味有り気に答えたのだった。
「はははは、その時には、十分、お手柔らかにお願い致しますよ」
 ソードも何気に意味有り気に言った。ジョークのお返しの積りだった。

「それじゃあ、お先に!」
 ソード一行はそれから直ぐに、また、裏の通用口から抜け出して、ホテルのスイートルームに戻った。少し後
で、カスミ一行も同様に通用口から帰ったのだった。
 貸切は即座に解除され、一般客の不満は一応解消される事となった。カスミがその様な事が出来たのは、
そのホテルがカスミを支援する企業グループの経営だったからだが、勿論、カスミはお客の不満を良く知って
いたので、その場で待っていた人達には、無料で昼食を振舞う事を忘れなかった。それが逆にカスミの評価を
上げる効果として現れたのだった。転んでもただは起きない女性だった。

『ふう、参ったな。カスミさん色っぽ過ぎる。ああ、オナニーは出来ないし、脳内の情欲をどう処理すればいいん
だ!』
 ソードは兎に角眠る事にした。
『夢で情欲の処理が出来るか?』
 半信半疑だったが一応眠った。予想通り激しい情交の夢ばかりだった。しかも必ず失敗に終るのだ。自分
の性器の紛失で目が覚める。何度もそれを繰り返した。

「ソード先生そろそろ時間です。起きておられますか?」
 例によって、若川原和寿が起こしに来た。
「ああ、今行く。ふう、何とか情欲は治まったな」
「はい? 今何と仰いましたか?」
 うっかり口を滑らせたソードの言葉に、和寿は敏感に反応した。
「いや、何でもないよ。今行くから」
 ソードは和寿が余計な気を回さなければ良いと思った。しかし和寿はソードが異性を欲しているのだと勘違い
してしまったようである。

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