夏 休 み 未 来 教 室
春 野 夢 男
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陸上競技の関東地区予選が終って僅か十日ほどの間に、ソードの周辺は激変した。周囲の勧めと、ソード
自身の考えもあって、対談番組に出演することになった。
『SH教の布教の為にも、それから他の宗教家の考えを知る為にも、そして何よりも、一度は直に会って話をし
たかった、石淵信念さんと対談したい!』
ソードのその思いが、あっと言う間に実現した。九九里坂晩秋(くぐりざかばんしゅう)というユニークな司会
者が進行役となっている『晩秋の土曜対談』という番組だった。二時間ほど対談し、それを一時間番組用に編
集して放映している。
土曜の早朝番組なので、余り視聴率は取れないが、それでも長く続いている、比較的人気のある番組だった。
『一にスポーツ、二にスポーツ!』のテレビ局とはライバル関係のテレビ局でもあった。
「それでは、今日の対談を始めましょう。今朝は噂のソード・月岡さんと、同じく宗教界からもうお一方、何かと
噂の、石淵信念さんです。
ソード・月岡さんに関しましては今更申し上げるまでも無く、宗教家でありながら世界屈指のアスリートとして
今や飛ぶ鳥を落とす勢いとまで言われる方で御座います。
一方、石淵信念さんはユニークな宗教論を展開されていて、最近特に若い人達に大人気だと言われている
お方で御座います。
なお司会は不肖この私、九九里坂晩秋が務めさせて頂きます。早速なのですが、今日の導入テーマは、今、
流行(はやり)で御座いますね、いわゆる『勝ち組、負け組』についてで御座います。どうぞ宜しくお願い致します」
テーブルを中央に正面に晩秋、テレビ画面の左にソード、右に信念がソファタイプのイスに座って対談は始
まった。
晩秋は対談の人物に合わせて服装を変える。今日は相手が二人とも宗教家なので、作務衣(さむえ)と言わ
れる僧侶の着る衣装に近いデザインのものを着ていた。
信念は何時もそうなのだが、きちんとした背広姿である。渋めの芸能人といった雰囲気が漂っている。ソード
の衣装も何時ものごとくローブなのだが、そのデザインは、新しく付き人になった、白金アザミの手によるもの
だった。
裾に切込みが少し入っていたり、飾りボタンが付いていたり、ポケットまで付けてある、ユニークで装飾の多
いかなり派手な感じのローブである。それでもちゃんと宗教者のリーダーの威厳を保っている様に感じられる
ものだった。
そこいら辺りのセンスは、金森田の眼鏡にもかなっていたので、今では彼女がソードの専属ファッションデ
ザイナーの様な感じになっていた。
「宜しくお願いします」
「どうぞ宜しく」
ソードと信念は型通りの挨拶から話を始めた。先ずは事前の打ち合わせ通り、司会者が話のきっかけを作る。
「ソードさん、正に貴方は勝ち組ですね? そう言われる事も多いんじゃないんですか?」
「ふーむ、確かに、皆様にお褒め頂いておりますが、自分では勝ち組だとは思っておりません。勝ち組かどうか
はまだ分からないと思います」
「ほほう、それは、それは何故でしょうか? 記録は残りますよ。マラソンの記録なぞは、当面誰にも抜かれそう
にありません。それでも負け組なのですか?」
晩秋は不思議そうに言った。
「はははは、でももし、明日にでも死ぬ様な事があったら、例えば練習のし過ぎでぽっくり逝ったら、自分として
は勝ち組だとは思えませんよ。
生きていてこその勝ち組です。従って、勝ち組かどうかは、ある程度長生きしないと分からないと思いますよ、
まだそれを実感出来る年令じゃありませんよ」
ソードはそれなりにまとめた。
『本当は全部偽りの記録だ! 勝ち組どころか、大敗組だ!』
と叫びたくなったが、グッと堪えた。
「ああ、成る程ね、確かにそれは一理あります。短命に勝ち組のイメージは相応しくありませんからね。ところ
で石淵さんはどう思われますか?」
「うーん、私は人生には勝ち組も負け組も無いと考えますね。例えばモーツアルトという作曲家を例にとって見
れば分かり易いでしょう。
彼は確か三十代でこの世を去っています。先ほどソードさんが言われた、短命は負け組だとするならば、彼
は正(まさ)しく負け組みです。
ですが彼は数多くの名曲を残しました。その素晴しい曲の数々を聞いた人達は、彼が負け組だ等とは思わな
いでしょう。それともどうしても彼は負け組だと仰いますかソードさんは?」
信念は鋭くソードの意見を追及した。
「成る程ねえ。しかし『これで良い』と言って死んでいった哲学者もあったと聞いておりますが。死の間際になっ
て、『ああ、良い人生だったな』と、しみじみと思えれば、その人は勝ち組なのでしょう。
逆に、どんなに栄光に包まれている様に見えても、本人が『ああ、ああ、不幸な人生だった。もう一度一から
やり直したい!』と思う様な人生だったら、それは彼自身にとって、負けの人生だったんじゃないでしょうか?」
ソードは反論を試みた。
『人生に勝ち組もヘッタクレも無い事は当然の事だよな。しかしここで気持を合わせてしまったんじゃ、面白くも
何とも無い。ここは一つ信念さんの力量を計らせて貰おうか』
ソードはそんな風に考えて敢えて反論したのだった。
「うーむ、ですが死の間際に、そんな事を考える人がいますでしょうか? 大抵は苦痛でそれどころじゃないん
じゃないのですか?」
「はい、確かに。では、もう少し一般論的に話をしましょう。死の間際ではなく、ある程度の年令になって、しみじ
みと幸福だと感じられるかどうか、それによって勝ち負けを決めてはどうですか?
勿論微妙な場合もあるでしょうが、自他共に比較的幸福な人生だったと思われれば、それは勝ち組。全く不
幸な人生だった、幸福の欠片も無いと思える様な人生だったら、それは負け組でしょう。
そこまで行かなくとも、幸福は殆ど無く、辛い事ばかりだったとすれば、負け組となります。ただそんな風に考
えることが妥当かどうかは、また別な次元の話になりますけどね」
ソードは『勝ち組、負け組』の考え方が、次元の低い話である事を示唆した。
「はははは、ソードさん本当は良く分かっていらっしゃる。鎌を掛けたんじゃないんですか?」
信念は笑って言った。
「ば、ばれちゃいましたか。本当の事を言うと、勝ち組、負け組なんて、自分が決めることじゃないですからね。
幸運かどうか、ただそれだけの事ですから。
この私が幸せだと思う人がいるでしょう。しかし、私と入れ替わって御覧なさい、大変ですから。はははは、
おっと、今のは独り言。……対談の課題は自由でしたよね?」
ソードは前哨戦が終ったと感じて、本題に入る積りになっていた。
「はいはい、勿論で御座います。『勝ち組、負け組』の話しなぞ下らない事だ、そう結論付けて宜しいのですね?」
晩秋は念を押した。
「はい!」
ソードと信念は一緒に返事をした。意外に気が合う様である。
「お飲み物は何になさいますか?」
最初の課題が一段落ついた所で、若いウェートレス風な衣装の女性が対談者に飲み物の種類を聞きに来る。
ただその女性の服装はかなり際どく、しかもなかなかの美形なので、ソードも信念も目のやり場には困ってし
まっていた。
「私はブラックコーヒー、ホットで」
信念は即座に言った。魅力的な女性に側をウロウロされては、股間が勝手に反応してしまう恐れがあるので、
なるべく早く注文して撃退しようとしたのである。
「私はアイスコーヒー、ストローを付けて」
その点はソードも同様だった。ストローの方が飲みやすいと思ったので、そう言ったのである。ただ困ったこと
は、その女性はソードの激烈なファンだったのである。
「はい、かしこまりました、ああ、きゃっ!」
つまづいた振りをして、ソードに抱き付いたのだった。
「だ、大丈夫ですか?」
タイプが好みだったので、ソードもかなり困った。脳内の情欲が一気に高まってしまったのだ。堪(こら)える
のがとても辛い。
普通の男なら、後でその女性をホテルに呼んで情を交わす事も出来る。しかしソードにはそれが不可能なの
である。
「す、済みません。あのう、本当に申し訳御座いません。何とお詫びしたら良いか。ううう、済みませんでした」
女性は最後には泣き出したのだが、しかしなかなかソードから離れようとはしなかった。
「あああ、菊野池(きくのいけ)君、何時までそうしているのかね。早く行きなさい!」
思い余って晩秋は声を荒げた。
「は、はい。それではご注文の品、直ぐお持ち致しますから」
さっきまで泣いていた筈だったが、今はケロリとして、そそくさとその場を去って行った。
「ああ、いや、どうも申し訳御座いません。今のはカット致しますから。最近の若い子は何を考えていますかね
え、ちょっと怖いですよ」
晩秋は呆れ気味に言った。
「はい、アイスコーヒーとホットコーヒーで御座います」
言った通りに、ほんの数分で持って来た。
「ええと、ストローは?」
「あああ、済みません、今お持ちいたします」
わざとなのか、本当なのか、菊野池は慌ててストローを取りに行った。
「ど、どうも申し訳御座いませんでした。お詫びに封を切らせて頂きます」
頼みもしないのに菊野池はストローの入った袋を破ってから、ソードの手を握る感じでストローを手渡したの
である。
「ど、どうも、ご丁寧に有難う御座います」
幸か不幸かソードはぞっとした。
『人間の手ではない事がばれたりしないだろうか!』
ちょっとやそっとではばれない筈であるが、精神的にドキリとした。
「あああ、素敵な手ですわ。もう少しこうしていても……」
今度はなかなか握った手を離さなかった。
「いい加減にしないか!」
晩秋の怒りが爆発した。
「ああ、す、済みません。……ソード様、大好きですわ」
菊野池は小声で呟くと、渋々その場を去って行ったのだった。