夏 休 み 未 来 教 室
春 野 夢 男
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少し気拙い雰囲気になったのがソードにとっては幸いだった。
『やれやれ、かなり情欲が治まった。それにしても猛烈な女の子だったな。グラマラスな肢体なのに、頭の良さ
そうな顔付をしている。微妙にタイプは違うけど林果に似ている感じがする。そうか、だから興奮したんだ
な……」
「いや、とんでもない事になりまして、お気を悪くなさらないで下さい。何時もはあんなではないんですがねえ。
一流大学を出てこの世界に飛び込んで来たんですが、ここまで過激な事をするとは思いもよりませんでした。
ソードさんのファンだとは聞き及んでいたのですが、あはははは、参りましたね。大丈夫ですよ、ここいらの
所は全部カット致しますので」
晩秋はソードが怒っていると思ったらしい。
「ああ、いや、気になさらずに。教会の方にも時々過激な女子が飛び込んで来て、皆を困らせることがあります
ので、こんな事を言ってはあれですが、多少は慣れておりますから」
ソードは本当の事を言った。特にメグミやアザミが付き人になってからは、自分も付き人になると言って聞か
ない女子が毎日の様に押しかけて来ていたのである。
「それでは本題に戻りましょう。どうぞ飲み物を飲みながらお聞き下さい。さっきまでのお話では、勝ち組、負け
組、それは下らない事だ、という結論でしたが、ではどの様に人生は生きたら宜しいでしょうか。ああ、やっと、
宗教家をお迎えした甲斐のある話題になって参りましたね。先ずはソードさんどうでしょうか?」
「はい。人を愛し、又自分も人に愛される人生がベストだと思います。ただそれと関連するのですが、愛には大
きく分ければ二通りあります。愚かな愛と賢い愛の二通りです。愚かな愛は悲しい。愛は賢くなければならない
と思っています」
「愚かな愛と賢い愛ですか? 絶対に賢い愛で無ければならないのですか? 信念さんはどう思われますか?」
晩秋はやや意外だという顔で言った。
「はい、なかなか難しい所ではあります。賢さだけを追求すると、頭でっかちな愛になってしまう恐れが御座いま
す。例えば親子の情愛です。
本来的に親は子供を愛しております。しかし子供の将来を考えて、良い大学に入れようとする事は、ある意
味賢い選択でしょう。ところがそれが行き過ぎるとろくな事にはなりません。
親が考えに考えた末の賢い結論であったとしても、子供にとっては大変な負担になる場合があります。これ
は不幸の始まりになるかも知れません」
信念は昨今の過熱気味な教育事情を暗に批判した。
「はははは、それは賢い愛ではありませんよ。そういうのを私は愚かな愛と呼んでいます。例えばこんな事があ
ります。ある雑誌に、私が当時読んでいた週刊少年漫画誌でしたが、一流と呼ばれる大学の教授が子供達へ
のメッセージを寄せた事がありました。
それは勉強の大切さを述べていたと思うのですが、私は意外な事に気が付きました。子供の頃、親に強制さ
れて勉強した事の辛さが書かれていたのです。
問題なのはその行間から滲み出て来る、呻き声でした。『苦しい、苦しい、誰か助けてくれ!』そんな声が聞
こえて来た気がしたのです」
「えっ、ほ、本当ですか?」
晩秋はビックリして聞き返した。
「はい。私は二、三度文章を読み返してみましたが、何度読んでもその様に感じられるのです。普通ならば、
あの時は苦しかったが、今となっては良い思い出だ、位に書くでしょう。
しかし彼はその様な書き方はしていませんでした。辛かった、辛かった、そういう風に書いているばかりなの
です。つまり彼は未だに苦しんでいるのですよ。
彼の周囲、特に親は満足でしょう。一流大学の教授にまで登りつめたのですから。ですが彼は少しも幸福で
はありません。
これが私の言う愚かな愛の正体なのです。私の言い方をもう少し補正するならば、『真に賢い愛』で無ければ
ならないという事です」
「ふーーーむ、真に賢い愛ですか。いや、恐れ入りました。ただ、なかなか難しいのではありませんか? 理屈
は分かっていても、実現は厳しいと思いますが」
信念は現実的な考えを示した。
「はい、個人で実現する事は相当に困難でしょう。真に賢い愛に基づく教育を実現する為には、国家レベルの
プロジェクトが必要だと思います。しかも上に立つ者がそのことに目覚めていなければなりません。
私は教団の中ではこんな風に、食べ物を例にとって言っております。『どんなに美味しく栄養のある食べ物
であったとしても、食べたい時に食べるのでなければ、滋養にはならない。いや、仮に滋養になったとしても、
精神的には有害である』
と。
私達は今ここでコーヒーなどを飲んでいますよね。かつてコーヒーは健康を害するものと思われていました
が、最近では特別な病気の場合は別として、むしろ多量に飲んだ方が健康に良いことが知られて来ています。
ですが、幾ら健康に良いからと言って、もし何がなんでもこの場で直ぐに五杯飲みなさい、と言われたらどう
でしょうか?」
「それはとてもきついですね。ちょっと無理と言いますか、飲みたくありませんね」
信念にもソードの考えが分かり掛けて来た。
「つまりそれが詰め込み教育です。一、二杯で十分なのに、四杯も五杯も飲ませようとする。これでは精神的
に有害である事は明白です。
この国では、精神的に有害である事を軽視する傾向がありますが、それはとんでもない間違いです。子供
の頃に受けた心の傷は、一生不幸な傷跡として残り、歪んだ行動を引き起す原因になると私は考えています。
先ほど言った教授は、その文章の中で、お前達にも、この苦しみを味わわせてやる、そういうニュアンスに
受け取れる箇所があって、ぞっとしました。
大学教授が問題を起す事がしばしばあるのは、その様な場合も少なくないのではないか、と私は思っている
のですが、違いましょうか?」
ソードの話に晩秋も信念も暫し沈黙してしまった。
「うーーーん、確かにその通りではありますが、テストの点が低いという事になると、気が気ではないのも事実
でしょう。その点はどうするのですか?」
晩秋はより現実的な指摘をした。
「そこで私達SH教団は一つの提言をしています。一人一人に異なった教育をする。その為の個々の発達深度
を表にしたもの、私共はそれを『教育カルテ』と呼んでいます。教師はそれを基にして教育を施すのですが、人
によっては極端な内容のカルテもあるでしょう。その様な場合には集団生活は無理です。
病気に例えるならば、症状の軽い患者と、重い患者とを一緒に治療する事が出来ないことは誰にでも分か
るでしょう。その様なきめ細やかな教育を私共は主張しているのです。
ただご承知の通り私共SH教団は一部の者の暴走とはいえ、多大なご迷惑を皆様にお掛けしたので、なか
なか提言を受け付けて貰えません。ですからこの様な場をお借りして、こうして広報に努めている訳です」
ソードはそこでアイスコーヒーをストローで飲み干した。さり気無く見せ掛けていたが、内心では何時もの様
にほっとしていた。
「理想は分かりましたが、本当にそれで教育が上手く行くのでしょうか? 例えば学校経営上の問題がありま
す。私共信念教では、具体的に言うと、一流と言われる大学にかなり高い確率で進学させる事が出来ており
ます。理想ばかり追い掛けて、学校が潰れてしまったのでは元も子もないと思いますが、どうでしょうか?」
信念はソードの言う事ももっともだと思いつつも、現実はなかなかそうも行かない事を、実体験している様で
ある。厳しい批判をせざるを得なかった。
「はい、そこで私共は、新しい教育方法を取り入れた学園を作ろうとしたのですが、許可が下りません。現在の
教育制度とは馴染(なじ)まないというのが主な理由なのですが、理想は我々の方にこそあります。
そこで日本という枠を跳び越して、海外に学校を作り、日本の一流大学に入学する率を飛躍的に高めてご覧
に入れようと、現在準備している段階なのです。
ただ相変わらずの石頭の文科省では、学力があっても大学入学すら許可しないかも知れませんから、先ず
海外での実績を作ることも視野に入れております。
本当は一流大学に入学する率を競い合うなど馬鹿馬鹿しいのですが、一度はやってみせないと信用されま
せんから仕方がありません」
ソードはSH教の新しい事業について初めて公表したのである。
「ええっ、学校を作るのですか? 初耳ですな。何処に作るのですか?」
晩秋は興味深々で聞いた。
「アメリカ合衆国のマッサーズ州です。ご承知の通り、マッサーズ工科大学という、理科系では世界最高峰の
大学があります。ここに入れる日本人は現役では年間数名程度です。超超難関校と言って良いでしょう。
幸いな事にここの州では、いや、他の州でもそうなのですが、アメリカには日本の様に厳格に学年制度を守
るという発想そのものがありません。従って、人によっては数学は高校一年、物理は中学二年、英語は大学
三年等という場合すらあるのです。我々が目指しているのは正にその様な学校です。
一応日本的に言えば小、中、高一貫教育の学校を目指し、実質的には連続十五年間の教育にしようと考え
ております」
「連続十五年? 小、中、高全部で十二年です。三年長いと思いますが?」
信念は首を傾げた。
「はははは、能力のあるものは四、五才から入りますし、長くじっくりと学習する必要のある者は、二十位までい
て貰う予定なのですよ。その様な教育方法で、マッサーズ工科大学に、年間十人程度の合格者を出そうと考え
ているのです」
ソードの考え方に、晩秋も信念も付いて行けない気がして来ていた。