夏 休 み 未 来 教 室
春 野 夢 男
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「それでは皆さん失礼致します。また近い内に何処かでお話が出来れば良いですね」
番組の収録時間が若干オーバーした為、ソードはそう言うのが精一杯だった。分刻みのハードなスケジュー
ルは情け容赦が無い。
男三人女二人の付き人のうち、最近は男二人に女一人の付き人が順次交替して、常時正に付きそっていた。
残りの二人は車の手配や、種々の切符の手配、着て行く衣装の手配、行く先々のアポイントメントを取る事な
どで忙しかった。
今日はこれからかねてから約束していた、アハーラ拳法の東京支部道場に行って、正式の入門手続きを取
る事になっていた。
ソードはいまや超有名人であり、騒ぎになる事を恐れて、極秘の内に訪問する予定である。今日の日を選ん
だのは、カスミが映画のロケで不在であるからでもあった。
『彼女がいると何かと面倒だからな。夕方には戻って来るそうだから、それまでには退散しよう』
そんな企みがあった。その後直ぐ北本部教会に戻って、体のパートの交換などをして、陸上競技、全国大会
への出場準備に取り掛からなければならない。
ソードは若川原和寿の運転する車で、他の付き人と共に支部道場に向かった。後ろの座席に助乃川栄太郎
と並んで座った。決して女子の隣には座らなかった。
付き人の女性達にとってはそれは不満な事だったが、男の付き人達にとってはむしろ当然だった。
『先生には、それ相応の女性でなければならない!』
そんな妙な配慮をしていたのである。彼等は彼等なりにソードに相応しい女性を密かに捜していたのであった。
『多少なりとも綺麗な女の隣に座りたいのだけど、情欲の処理が不可能な状況では、何かと危険だからな』
ソードは本当はそう思っていたのだ。ソードの女子の付き人の、アザミとメグミはこの所一段と色っぽさを増
して来ていて、与えられた仕事をきっちりこなしながらも、何とかソードに気に入られ様としていたのだった。
『二人とも以前とは比べ物にならないほど綺麗になったな。拙いよそれじゃ。迂闊に首にも出来ないけど、困る
んだよな』
ソードは魅力的になった二人の付き人を持て余し気味だったのだ。だから車に乗る時も、電車に乗る時も、レ
ストランで食事をする時も、決して彼女達とは並ばなかったし、なるべく離れる様に気を配っていたのである。
しかもさり気無く。
「ソード先生、どうしても道場に入門されなければならないのですか?」
車の助手席に乗っていた何時もは従順な大橋メグミが珍しく疑問を呈した。
「ああ、格闘技というものに少々興味があってね。それに本部がアメリカのマッサーズ州にあるというのも何か
の縁だろう。うちで作る学校に近い様だしね。
カスミさんがオーナーというのも、彼女は北本部教会のある街の出身者だし、何かと都合が良いというか、
話があいそうだしね」
「そのう、カスミさんが個人的に好きなのではありませんか?」
メグミは自分と常に距離を置くソードにイライラを募らせていたのだ。絶対者としてソードを崇める者としては、
大胆過ぎる発言だった。
「メグミさん。その様な事は、ソード先生に対して失礼でしょう。仮にそれが本当の事だったとしても、私達はそ
れを批判する立場には無い筈ですが!」
和寿は車を運転しながらも、厳しくメグミをたしなめた。
「そうですよ、そんな事は言うべきじゃありません」
栄太郎も同調した。
「す、済みません。ただ、そのう、女としてはとても辛いものがあります。ほんの少しでも情けを掛けて下されば
良いのに、指一本触れないのですから。とても苦しいのです。せめて優しいお言葉の一つでも掛けて下され
ば……」
メグミは思い切って、本音を吐露した。
「申し訳ないのだが、それは出来ない相談だ。それから念の為に言って置くが、カスミさんに関しては、如何な
る感情も持っていない。彼女が魅力的である事は認めます。
しかし何度も言うように、彼女は私にとっては過去の人です。だから今急いで行くのも彼女に会わない為なの
です。それは言った筈ですが」
ソードは困り果ててもいた。メグミやアザミの他にも、今日の番組の収録時に激しい感情をぶつけて来た、
菊野池という女性の様な者達が、大勢いるからである。
「わ、分かりました。本当に失礼致しました。ううううっ、あの、どうか、付き人を辞めさせないで下さい。お願い
します、うううっ」
メグミは後ろを振り返って、ソードに半分べそをかきながら謝ったのだった。
「ああ、別に首にはしないから。さてそろそろ道場ですね」
平日だったせいか、比較的道路は空いていて、ほぼ予定通り、車は、『アハーラ拳法東京支部道場』の駐車
場に着いたのだった。
道場も駐車場も真新しい、頗る立派なものだった。道場建設の為の莫大な資金は、主にカスミが出した様で
ある。
「お待ちしておりましたわ、どうぞこちらへ」
ソード一行は、出迎えた女性を見て驚いた。留守の筈のカスミがそこで先頭に立って出迎えたからである。
かなり怒っている顔つきだった。
「どうして私を避けるのですか?」
道場に入って行って、真っ先に言ったカスミの言葉がそれだった。
「いや、たまたま留守だっただけです。この時間しか空きがありませんので」
ソードは汗を掻いて説明した。
「それはおかしいですわ。それだったらどうして私に連絡しないのですか? 私がいない間にこそこそと、ここ
に来るなんて、絶対変です。
……私がそれ程嫌いなのですか。嫌いなら嫌いとはっきり仰って下さい。どうなんですか。覚悟を決めました
から。どうぞ遠慮なさらずに仰って下さい!」
カスミは恐ろしい形相でソードに迫った。嫌いだと言われたら死んでしまいそうな、そんな雰囲気だった。ソー
ドは困ってしまった。
『下手な言い逃れはもう出来ないな!』
そう思って、一つの覚悟を言う事にした。
「それなら言いますが、私は女色(にょしょく)を断っているのです。また食欲の充足も必要最低限度に抑えて
おります。それが実現出来ているからこそ、世界記録を幾つも持つことが出来たのだったと思っています。
それと、石淵信念さんの信念教の戒律風に考えると、私の場合はそれらの二つと、陸上競技の百メートル
競走で、世界新記録を達成する事。
それが自分に課した戒律なのです。ただカスミさんは魅力的過ぎるので、なるべく会わない様にしていたの
ですよ。気持がぐらつきますからね。それだけの事です」
ソードは如何にも宗教者風な言い方をした。
『女色を断つ等と心にも無い事を! しかし上手い言い逃れだな』
咄嗟に思い付いた言い訳をソードは披露してしまったのである。
「女色断ちっ! そうだったんですか」
そう言ったのは、メグミだった。そう言われて救われた気がしたのである。
「ああ、そうなんですか。分かりました。そういう修行ならば仕方がありませんね。私が嫌いな訳ではないんで
すね」
カスミは、念を押した。
「はい、全くその様な事はありませんから」
「あーっ、本当に良かった。はははは、馬鹿ねえ私って。私の部下が、いいえ、ハヤブサの様子がおかしいの
で、問い詰めましたら、ソードさんが来られる事を白状したんです。私に秘密にしていると聞いたので、もう、
頭に血が上って、ロケの撮影を延期して貰って、新幹線で取るものもとりあえず、こうしてやって来ました。
真相を聞きだそうとカッカしながら待ち構えていたのですわ。ふふふふ、馬鹿みたいですわね私って。でも私
だけではないみたいですわね、少なくともそこにもう一人おられますわね、うふふふふ」
カスミは安心したのか、べらべらと喋り捲ったのだった。
「わ、わ、私は何もその、あの、何でもありません」
メグミは大慌てで否定し、俯いてしまった。どうやら、事は上手く行きそうである。
「それじゃあ、入門手続きの方をお願いします」
ソードは型通り、受付で入門手続きを取ると、そこで購入したばかりの道着に着替えて、早速、一時間ほど
ハヤブサに初歩的な拳法の型等を教わった。
『女色断ち』
の一言が効いて、ソードの練習にはカスミやメグミや他の道場生も女子は遠慮した。数人の男子の門下生と
だけ一緒に練習したのである。
実戦の組み手試合などは無かったのだが、二人向き合っての練習の時に、間違って相手の拳が、ソードの
心臓の辺りにやや強く触れた時にはドキリとした。
『ふう、これが有段者の本気の一撃だったら、一たまりも無いな。今のが金森田の一撃だったらお仕舞だ!
研究者達を騙すのは気が引けるけど、何としてでも出来るだけ早く、衝撃に強い体を作って貰わなければ!』
練習に汗しながら、ソードは強い決心をしていたのだった。
「いやあ、ソード先生、なかなか筋が宜しい。この調子なら、一年も掛らずに黒帯びになれますよ」
「はははは、そんなお世辞を言わないで下さいよ。本気にしちゃいますよ」
ハヤブサがべた誉めすると、ソードは冗談として受け答えた。
「お世辞ではありません。たった一時間で、ここまで上達した人を初めて見ました。いや、これは驚きました。
さすがですね」
どうやらハヤブサは本心で言った様である。
「そ、そうですか。じゃあ、その気になっちゃいますからね。後であれは冗談だったなんて言わないで下さいよ」
ソードも何と無くその気になって、約二時間の特訓は終った。
『恐ろしい上達振りだ。これはただ事ではない!』
ハヤブサはソードの異常な上達スピードに戦慄すら覚えたのだった。