夏 休 み 未 来 教 室
春 野 夢 男
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「あのう、今日が初めてなんですよね?」
ハヤブサはソードの動きが初心者に思えなくて、改めて聞いてみた。
「はい、正式に教わったのは今日が初めてですが、ただネットで調べてみたり、本を読むなりして、自己流で
練習とかはしていましたから」
「あはははは、そ、そうですよね。まさか全くの初めてな筈が無いですよね」
ハヤブサは安心して言った。
「それではそろそろこれで……」
時間に追われるソードは暇乞(いとまご)いをしたが、
「ああ、あのう、受付でこの次に来られる時は、青色の帯を購入して下さい。ソードさんを五級と認定いたしま
す」
「ええっ、いきなり五級ですか?」
ソードは面食らった。普通は八級位からである。
「はい、当道場では入門と同時に、十級と認定します。白帯はその十級だけで、以下九、八、七級は黄帯。六、
五、四級は青帯。三、二、一級は茶帯。初段以上が黒帯となっておりますので」
ハヤブサは簡単に説明した。
「成る程。しかしいきなり五級というのは、ちょっと気が引けるのですが」
ソードは自分が特別扱いされている様で嫌だった。
「そうですねえ、じゃあ、手間は取らせませんから、パンチ力だけ測定して行って下さい。あそこに機械があり
ます。簡易グラブを着けて、手首に負担が掛らない程度に一発殴るんですよ。一分で出来ますから。
パンチ力が全てではありませんが、一応の目安になります。気軽に一発殴ってから帰っても宜しいでしょう?
なおこの機械で私のパンチ力は500kgと測定されました。機械によって測定値は随分違うらしいのですが、
同じ機械を使うことに意味があるそうです」
ハヤブサはソードのパワーも知りたかった様である。
「じゃあ、まあ、怪我をしない程度に軽く殴ってから、帰りましょう」
ソードはハヤブサの他にソードの付き人や四、五人の道場生達が見守る中、ちょっと照れ臭そうに、ボクシン
グのストレート打ちの感じでパンチングマシーンを軽く殴った。
「バンッ!!」
その割には大きな音がして、直ぐ測定値が出た。
「ええっ!! な、七百!!」
道場生の一人が大声で叫んだ。無段者にしてはとんでもない数値が出たのである。
「故障じゃあないんですか?」
別の道場生が言った。
「済みません、ちょっと私が……」
ハヤブサは道場主の意地に懸けてソードから簡易グラブを借りると、早速打ってみた。
「故障じゃあないと思いますけどねえ」
「バンッ!!」
言いながら真剣に打つと、凄い音がして、測定値が出た。
「五百三十! 故障じゃないな」
また別の道場生が言った。彼は黒帯である。
「じゃあ、念の為に俺もやってみましょう。自慢じゃあないが、パンチ力だけだったら、この道場ではナンバーワ
ンなんですからね」
「バンッ!!」
やはり相当の音がした。しかし数値は六百キロ止まりだった。
「ソードさん、本当に申し訳ないが、もう一度やって貰えませんか?」
納得出来ないという顔のハヤブサが、しかし自ら申し訳無さそうに言った。
「はははは、じゃあ、これが本当に最後ですよ。グラブを貸して下さい」
「バーーーンッ!!」
さっきより更に大きな音がした。少し打ち慣れて来たのだ。しかもソードは随分力を抜いている。
『万一怪我をしたら、医者でも呼ばれたら、人間じゃないことが分かって大変な事になるからな』
そう思うと全力で打ち込む事など出来る訳が無い。しかし結果は物凄いことになった。
「オオオーーーッ!!」
ほぼ全員が叫んだ。
「九百五十キロ! キック力に匹敵する! まともに当ったら即死だ!」
先ほどの黒帯の男が怯える様に言った。
「いや、これは、失礼しました。五、五級は取り消します。そ、そうですね、初段になるのには試験に合格する
必要がありますので、一級ということでご容赦願いたいのですが。従って帯の色は茶色ということで我慢して
頂きたいのですが、どうでしょうか?」
ハヤブサは恐れを感じながら言った。
『やっぱり只者ではない! パワーだけならひょっとすると世界一かも知れない! キック力はどうなんだろう?』
そう思って、
「本当に最後の最後なんですが、一回だけ蹴って行って下さい。後それで本当に終りにしましょう」
ハヤブサの顔は引き攣りそうだった。
「いい加減にして貰えませんか? もう時間ギリギリです。そろそろ新幹線の駅に行かないと、拙いんですけど
ね」
思い余って、助乃川栄太郎が言った。
「ははははは、じゃあ、着替えは車の中か、列車の中ということで、三回蹴ってから帰りますから、それで良い
ですよね?」
「はい、それでお願い致します」
何時の間にか寄って来ていた、女子が言った。『女色断ち』の宣言があって遠慮していたのだが、もう帰る寸
前なので構わないと思ったのだろう。
「そりゃ!」
「バンッ!!」
一発目は千七百キロ。
「おりゃっ!!」
二発目は二千百キロ。
「はりゃーーーっ!!」
三発目は二千五百キロだった。それどころか機械が壊れかかっている。
「ウオオオオーーーーッ!!!」
気が付いてみると、道場のほぼ全員が集まって来ていた。カスミの姿が無いのは、既にロケ地に帰ったのだ
ろう。
「す、凄い!! 世界のトップレベルよ!! いいえ、世界一だわ!!」
もう遠慮なく側に来ていた、何人かの女子の、特に黒帯の道場生達が口々に叫んだのだった。
「ま、参りました。この次来られる時は、段位認定試験を行いますから、その積りで来て下さい。型と実戦です
が、防具を付けての実戦になります。型はそこそこで良いのですが、実戦は茶帯五人抜きの必要があります。
別に宜しいですよね?」
ハヤブサは何かに憑かれた様な目をして言った。
「ああ、そうですか、次に何時来れるかは未定なのですが、付き人に連絡させますから、その時は宜しく。じゃあ
このままで失礼します」
ソードは着替えの時間すらなかったので、道着を着たまま慌ててアハーラ拳法の道場を後にしたのだった。
勿論、ソードのローブは付き人の一人大橋メグミがカバンに入れて持って一緒に帰った。
何とか新幹線に間に合って、ソードは何時もの様に和寿の隣、窓際の席に座った。向かいには栄太郎が、
斜め向かいにメグミが座った。
「じゃあ、トイレで着替えて来るから」
ソードはそう言うと、メグミから着替えの入った鞄を受け取り、トイレに入った。間も無く何時ものローブ姿に
なって戻って来た。
「いやあ、しかし今日は疲れました。申し訳ないが、眠らせて貰うよ。食事は銘々で取ってくれないか。私は要
らないからね」
言うが早いかソードは数分ですっかり寝入ってしまった。パンチ力やキック力の測定という思い掛けない作
業は初めてでもあり、怪我をするかも知れないという恐怖心もあって、精神的に相当くたびれたのだった。
「だけど先生には参りました。格闘技のセンスもずば抜けているとはね」
和寿は得意気に言った。
「でも女色断ちには参ったわ。そんな事を言わずに一杯愛を下されば良いのに。何時まで女色断ちを続ける
積りなのかしらねえ……」
メグミは如何にも残念そうに言った。
「なかなか皆と一緒に食事をしないと思ったら、食事も制限されていたんだ。お辛いだろうに、大変な努力を人
知れずされていたんだなあ、ああ、頭が下がるよ」
栄太郎は寝入っているソードを見ながら、軽く目を閉じて、頭を下げ、心密かに祈りを捧げたのだった。
三人三様の思いを乗せて、新幹線は教会のある北の街に向かって行った。ソードは到着までの数時間、
結局一度も目を覚まさなかった。例によって和寿が起した。
「ああ、良く眠りました。もう着いたのですね?」
ソードは目覚めると、さり気無く、手や足などがおかしな格好をしていないか確認して、それから立ち上がった。
「それにしても熟睡されましたね。おなかは空きませんか?」
メグミはほとばしりそうになる情愛をじっと堪えて言った。
「はははは、良く眠ったら少しおなかが空きましたが、前にも言った様に、食事も制限しているのです。勿論必
要最小限度の量は確保していますから心配は要りませんよ」
ソードは優しい感じで言った。メグミの気持ちが嬉しくもあった。勿論空腹は嘘である。サイボーグになって
以来空腹感は全く無いのだ。
教会には、出迎えた大山田宗徳の運転する車で帰った。今度はソードが助手席に乗った。後ろの席に和寿、
メグミ、栄太郎が乗った。ここでも『女色断ち』に対する配慮はしっかりなされたのである。
車の中ではソードがパンチングマシーンで凄い記録を出した事が、大いに話題になったが、相も変らずソード
は眠っていた。否、今回は眠った振りをしてあれこれと考えていたのだった。
『女色断ちとは我ながら上手い事を言ったものだな。これで当分は女性陣の攻勢は何とか凌げるだろう。しか
し何時まで続くか……。
でもあの時に、女色断ちや節食のお陰で、世界記録を出したと言ったのは、つい口からの出任せだったけ
ど、ひょっとすると本当なのかも知れない。研究員の人達に話してみよう。そんな事があるのかどうなのか。
しかしあの記録には参ったぞ。パンチングマシーンのあの凄い記録は全く予想外だった。ひょっとすると金
森田玄斎を倒せるかも知れない」
ソードの心の中に激しい殺意が湧き起こって来ていたのだった。