夏 休 み 未 来 教 室 


                                              春 野 夢 男

                               93


「ところで、もっと肉体の防御レベルを上げて貰えませんかねえ」
 夜のプライベートタイムにソードは研究員の一人にそれと無く言った。この時間になると付き人と言えども、
ソードと一緒には居られない。勿論それは秘密の地下研究所に出入りする為の口実でもある。

「防御レベルを上げますと、頑強な素材を使いますので、どうしても体重が増えてしまいますが、それでも宜し
いですか?」
 ソードを少しも疑わない、彼に帰依したと自称する三十代の男性研究員、明日葉唯心(あしたばゆいしん)は
事実だけを言った。理由は全く聞かなかった。

「どの程度だ?」
「はい、強度にもよるのですが、一トンに耐えられる強度ならば約五キログラム、二トンなら約十キログラムで
す。ちなみに現在は約五百キロの瞬間的圧力に耐えられます。それ以上だと壊れます」
「ふむ、もし二トンに強化したら、走る速度はどの位になる? 百メートルの短距離走なんだが。勿論全力疾
走の場合だ」
「はい、少々お待ち下さい。シミュレートしてみましょう」
 唯心は暫くパソコンをいじっていたが、一応の結果が出ると、画面をソードに見せながら説明を始めた。

「画面にもグラフで表示されておりますが、五キロオーバーだとコンマ一秒、十キロオーバーだとコンマ三秒程
遅れます。但しこれは無風の場合です。
 追い風一メートルならば五キロオーバーで±ゼロ、十キロオーバーの時でもコンマ二秒遅れで済みます。た
だ、ボディ製作に少し時間が掛りますが、筋力強化も一緒にやれば、十キロオーバーでも全く遅れない様に作
ることは可能です」
 ソードの役に立ちたい、いや役に立てそうだ、そう思う純真な目で、唯心の目はきらきらと輝いていた。

「ふーむ成る程。二トンに耐えられる筋力強化ボディを作るのにどの位時間が掛る?」
 ソードは純真な唯心の目の光に、良心の痛みを感じながらも、平静さを装って言った。
「はい、最高の水準ならば三ヶ月で出来ます」
「最高の水準と言うと?」
「はい、地下研究員全員で全力を挙げた場合です。ただこの場合、金森田大先生の神のマシン計画に支障が
出ますが……」
「それは拙いな。出来れば極秘にしたいのだが。私に帰依している者達だけで出来れば研究して欲しいのだ
が。どうだろう?」
 ソードは思い切って言ってみた。

「その場合だと、一年は掛ります。オープンなら半年位で出来ると思うのですが、極秘の場合はそれなりのリス
クが生じますので、早くて一年、場合によっては二年ほど掛ると思います」
「うーん、二年は待てないな。筋力強化無しなら極秘でどの位掛る?」
「はい、それだったら、半年で十分で御座います。金森田先生に知られない様にするのですね?」
「そうだ。だったらそれで頼む事にする。今のままでは何かと不安でね。何時転びはしないかとびくびくしながら
何時も歩いているので、精神的にくたびれて仕方が無いのでね」
「はい、承知しました。それでは、今回のパートの交換に移ります。あのう、お疲れでしたら、お眠りになっても
宜しいですよ」
 唯心はソードの体のパートの交換も、何か楽しそうだった。ソードに触れていられる事が嬉しくて仕方が無い
様である。

「ところで、今日、ふと思ったのだけど、性欲や食欲の充足が無い事が、競争欲の充足を増加させている様に
感じたんだけどね。
 走ったり、泳いだりする時に、予想以上に頑張ってしまうのは、その為なんじゃないかと思うんだけど違うのか
な? 自分で自分を止められなくなるんだよね」
 ソードは『女色断ち』から類推した、異様な位の頑張りの正体を、自分なりに推理した結果を言ってみた。

「あああ、成る程ねえ、それは全く考え付きませんでした。ソード様の場合、食欲は完全に断ち切る事が出来
ました。脳の一部に食欲コントロールのスイッチの場所があって、そこを簡易手術する事で、食欲をゼロにして
空腹感を無くする事が出来ました。
 ところが性欲はもっと遥かに複雑で、結局何も出来ませんでした。本当に申し訳なく思っております。神のマ
シンならば情欲の充足もほぼ完璧に体現出来ます。勃起も快感も絶頂もありますので」
「ほほう、それは素晴しい。ところで神のマシン計画の方は、今現在どうなっているのかな?」
「設計図はほぼ完成しております。最終点検の後に年内にも製作を始める模様です。最高レベルでも一年は
掛るでしょう。ただ……」
「ただ何かな?」
 珍しく言い難そうな唯心にソードは優しげに声を掛けた。
『多分金森田に関わる事だろう。俺と金森田と、表面上は主従の関係だが、実際にはライバル関係にあるらし
い事を、研究員達も察知している様だからな』
 そう思っていた。

「どういう訳か、神のマシンの製作は極秘らしいのです。特にソード様に知られない様にと、金森田大先生から
の強い指示があったと聞き及んでおります。
 しかし大半の研究員達は既にソード様にほぼ帰依致しております。ごく一部の金森田先生に帰依している研
究員達は少々困っているようです。我々ソード派の協力が無ければ、神のマシンの完成はおぼつか無いので
すから」
「ふーん、成る程ねえ。だったら唯心、神のマシン計画に研究員達を割り振ってくれないか? 私用の防御力
アップのボディの製作と神のマシンの製作とを同時進行させる事は可能かな?」
 ソードは半信半疑で言ってみた。

「はい、それは十分可能です。防御力をアップするだけのパートだったら、技術的な問題点は殆どありません。
超超ハイレベルな神のマシンとは比較になりません。その方針で行って宜しいですか?」
 唯心はベットに横たわるソードの体のパーツを、新しい物と取り替えながら言った。

「ああそうしてくれ。ただ、神のマシンの製作状況については、逐一報告してくれないか? 場合によっては私
が神のマシンに乗り込む事になるかも知れないからね」
 ソードはついに禁断の言葉を言ってしまった。
『金森田が聞いたら、激怒して直ぐ俺を殺しに来るだろうな』
 そう思ったが、それでも言わずにはいられなかった。

「はい、私も、いいえ、研究員のソード派達は、恐らく皆そう思っております。ソード先生こそ、神のマシンに乗り
込むのに最も相応しいお方だと!」
 唯心は熱情を持って言った。
「ははは、有難う。何だか段々その気になって来たな。兎に角今言った方針で宜しく頼むよ。私は暫く休むから
ね、頼んだよ」
「はいっ!! 仰せの通りに致しますので、ごゆっくりお休み下さい」
 唯心は張り切って言った。
「お休み……」
 もうソードは眠っていた。

「……位置について、……用意、……パンッ!!」
 それから何日かが過ぎ、全日本の陸上競技選手権が始まった。最も注目されたのは、やはりソードだった。
十月下旬のその日は快晴の、正に陸上競技日和だった。今、男子百メートルの一次予選が始まった所である。

「皆様今日は、今日はいよいよ注目のソード・月岡選手の出場する、男子百メートル徒競走が御座います。
たった今その注目の競技が始まりました。
 会場は国立中央競技場。最大収容人員十万人のこの巨大な競技場が、国内の大会にしては珍しく満員に
なりました。
 その訳はもう皆様よくご存知の、ソード・月岡選手の記録を見たいが為であります。私も見たいです。解説は
男子百メートル徒競走において、輝かしい戦績を残されました、伊丸岡米吉(いまるおかよねきち)さんです。
どうぞ宜しく」
「こちらこそ宜しく」
 伊丸岡米吉は百メートル10秒00の記録を持つ、何人かの日本人の一人だった。ソード・月岡に批判的な
予定されていた解説者は番組から降板させられ、好意的な発言の目立つ彼が解説者として急遽抜擢された
のである。

「さて、早速ですが、注目の選手は何と言っても、ソード・月岡選手ですが、どう思われますかねえ、伊丸岡さん」
「ええ、彼は、恐らく期待通りの走りを見せてくれると思いますよ。今日は天気も良いですし、それに追い風なん
ですよ。
 緩いですけどね。緩いからこそ期待が持てます。追い風が強いと、参考記録になってしまいますからね。その
点今日はバッチリですよ」
「バッチリですか?」
「はい、バッチリです」
 二人の会話はその後も殆どソード・月岡に関してばかりだったが、それでも大してクレームは付かなかった。
ソード・月岡選手の活躍には、日本中が期待を寄せていたからだった。

「さあ、一次予選第三組にいよいよ注目のソード選手が登場です。ここは軽く流すと思うのですが、どうでしょう
か?」
「確かに軽く流すと思いますが、それでも、かなりの記録を出すと私は睨んでおりますがねえ」
 米吉は早くも期待を寄せていた。

「用意、……パンッ!!」
「綺麗なスタートです。早くもソード選手、二位以下に大きく差を付けた。速い、速い、速い、速いですよこれは、
9秒98!! いきなり出ました、十秒切り!! 場内大歓声が湧き起こっております!!」
 解説者の言った通り、いきなり圧倒的なタイムで一次予選を突破した。十秒の壁を破ったのは勿論ソード唯
一人だった。十万人の観客がソードの記録に酔いしれた。
『あああ、やっぱり見に来て良かった!!』
 大半の観客はそう感じたのだった。

          前 へ       次 へ       目 次 へ        ホーム へ