夏 休 み 未 来 教 室 


                                              春 野 夢 男

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「しかし綺麗なものですね。ソード選手、いつ背面跳びを覚えたのでしょうか?」
 米吉は不思議そうに言った。
「それは是非ご本人に聞いてみたいものです。兎に角資料らしい資料が全くありませんからねえ。尚これは念
の為なのですが、SH教に入ったとしましても、ソード先生に直接お会い出来る訳ではありません。
 SH教の中では、彼は正に雲の上の人で御座います。といって偉ぶっている訳ではありません。何しろこの
人気で御座います。先生への面会申し込みが毎日数百件ほども御座います。
 とても対応出来るものではありません。ただ先生を唸らせる様な、何かこう素晴しいアイデアとか特に優れた
技量とかをお持ちの方ならば、お会い出来るチャンスはあるようです。
 残念ながら私にはその様なものが御座いませんので、なかなか直接お目にかかってお話をするという訳に
はいきません。ああ、ちょっとこれは私事に過ぎました。どうも申し訳御座いませんでした」
 アナウンサーは言い過ぎたと思って謝罪した。

「さて、今度のバーの高さは二メーター八十センチ。一気に十センチアップです。ここいらは日本の男子のトッ
ププレーヤーなら問題はないでしょう。大半はパスするか、肩慣らしの為にジャンプするようです。
 ソード選手はここはパスするようです。……挑戦したのは数名に止まりました。もうあっという間に、バーの
高さは一メーター九十センチ。
 さあ、最初はソード選手。ほんの五、六歩の助走をしただけで、……あっけなくクリアです。その度に大声援
です。
 しかし余りの声援にソード選手、何か苦笑いをしているようです。彼の性格は大変に温厚だと聞き及んでおり
ます。
 恐らくは彼への声援が、他の競技の妨げになっている事を、心苦しく思っているのではないでしょうか。ソード・
月岡選手は、そういう気配りの出来る素敵なお方で御座います」
 アナウンサーは何気にべた誉めしていた。

「ソード選手は軽く跳んでおりましたが、何人か失敗していますね。うーむ、二メートル未満で失敗する様では
苦しいですね。男子の場合、勝負は二メートルを超えてからなんですからね……」
 米吉は苦言を呈した。

「決勝に残るのは、上位八名のみ。次の高さはいよいよ二メートルです。これを飛んでおけば、決勝に残るこ
とはほぼ間違いありません。
 流石にこれは厳しい高さなので、ほぼ全員が挑戦します。しかし例年成功するのは五、六名です。尚次の高
さは二メーター五センチと決っていて、二メーターをパスした者は、二メーター五センチに挑戦しなければなり
ません。情報によりますと、現在ただ一人ソード選手のみがエントリーしています」
 アナウンサーは早くソードの勇姿を見たかったが、大会規定があって、勝手にやる訳には行かないのである。

「決勝の高さはもう一度二メーター五センチからやる事になるようですね。これは冗談ですがもしかして、ソード
選手が二メーター五センチを跳んで、他の者が全員失敗すればソード選手の優勝ということになる」
 米吉もアナウンサー同様、他の選手のことなど眼中に無く、そんな戯言を言って退屈を凌いでいたのである。

「さーっ、ここまでで、二メーター越えに成功した者はほぼ予想通り六名のみ。いよいよソード選手の二メーター
五センチのハイジャンプが見れます。
 助走に入りました。正確な、本当に正確なャンプです。全く大きく余裕を持って軽々と飛び越しました。これで
ソード選手は決勝進出決定です。ここから暫く休憩時間に入ります。次の競技は……」
 ソードが暫く競技場に姿を見せない時間帯なので、場内も気の抜けた様な感じでざわつきっぱなしになった。

「場内のお客様に申し上げます。出来るだけご静粛にお願い致します。競技に無関係にお話などされますと、
選手の方々が集中出来ません。選手の方の競技の状況に合わせて、ご声援をお願い致します。なにとぞ宜し
くお願い致します」
 穏やかな女性の声で丁寧に、しかし、異例の厳しい内容のアナウンスとなった。通常は行われることのない
アナウンスだったのである。

「ああ、とうとう注意されてしまいました。いやーっ、ちょっとマナーが悪いですね。まあ、気持は分かりますがね
え、私語はいけません。
 特に大声で関係の無い話をしては選手に対して失礼です。ここは自重して頂きたいですね、まあ、私も含め
てなんですがね。どうもソード選手ばかりが気に掛かりましてねえ。いけませんねえ、私とした事が……」
 米吉は会場のお客に対しても、また自分自身に対しても苦言を呈したのだった。

「申し訳御座いません。私も実はそうなんです。いやー、アナウンサー失格ですね。皆さん、ここは一つ自重致
しましょう。いや、参りました。ああ、暑い、暑い!」
 アナウンサーは恥ずかしさで顔が火照っている様である。両手の平で自分の頬を暫く扇いでいた。

「さて次第に日が沈み掛けて参りました。気を引き締め直して、中継を続けます。……おおっと、ソード選手が
登場して参りました。
 厳しいアナウンスのお陰で、やや沈んでいました会場が生き返りました。物凄い声援です。まだ跳躍する前
にして、この声援です。
 ……ええと、高跳びの方に出場するようですね。バーの高さは現在二メーター十五センチ、現在まで残って
いる選手は、ソード選手を含めて四名です。
 いよいよサバイバルレース開始です。ここまででノーミスなのはソード選手ただ一人。……さあ助走です。全
く危なげなく綺麗なフォームでの背面跳び。まるで機械の様に正確なジャンプです」
 アナウンサーは感嘆して言った。

「そうですねえ、しかしこの様に正確なジャンプは恐らく大変な練習の賜物でしょう。人知れず努力しているの
ですよ、このソード・月岡選手は!」
 米吉も感動しながら言った。

「結局、二メーター十五センチをクリアしたのは三人のみ。次は二メーター二十センチ! ここでしかしソード
選手はパスですよ。このまま試技をしなくても三位以上は確定ですが、そんなケチな事を考えるソード選手で
はありますまい。
 ……やはり出て参りました、さあいよいよ今度はソード選手、走り幅跳びの決勝に出場です。試技三回のうち
二回ともパスしております。
 九メートル超えのジャンプで既に優勝は決っておりますが、ここで更に記録を伸ばす積りだと思われます。し
かしそう上手く行くでしょうか? 
 既に他の競技者の試技は終っております。おおお、場内はシーンと静まり返りました。人類の歴史を変える
ほどの大ジャンプが見られるでしょうか?
 さあ、助走です。速い、速い、本当に夢の様に速い!! 飛んだ!! 鳥の様に飛んだ!! 更に更に遠く
へ遠くへ飛んだ!!
 旗は白か赤か、あああ、協議中です。踏み切り盤ギリギリで飛んだ模様です。スロービデオで見てみましょう。
大丈夫なようです。ほんの一ミリ程度ですが内側に入っております。……、白だ! 正式の判定が出ました、
セーフです! 明らかに前回よりも飛んでいます!!
 踏み切り盤ギリギリの分、より遠くへ飛べたようです。風も味方したようです。先ほどは殆ど無風でしたが、
今回は追い風約1.5メートル。2メートル以上では、追い風参考記録になるのですが、1.5メートルなら正式
記録になります。計測結果が待ち遠しい!」
  私情を抑える筈だったが、やっぱり私情を挟んでしまうアナウンサーだった。

「オオオオオオオオオーーーーーーーーーーーッ!!!!」
 地鳴りの様な声が会場を埋め尽くした。
「九メーター、五、五十センチ! 想像を絶する記録です! あああ、私は夢を見ているのでしょうか? いい
え、これは夢ではありません。紛れも無い現実です。何と言うのか、生きていて良かった、うううう、本当に嬉し
い限りです。ああああ……」
 アナウンサーは感激して暫し声が出なかった。
「あはははは、私も彼にあやかりたい。何だかSH教に入りたくなって来ましたよ」
 米吉も私情を吐露してしまったのだった。

「ほ、本当に、私情ばかりで申し訳御座いません。全く申し訳御座いません。あっと、ソード選手は勝利者インタ
ビューも断りました。次の走り高跳びに直ぐ挑戦する為のようです。
 たった今、二メーター三十センチに挑んだ二人共が失敗した所です。記録は二メーター二十五センチで終了
しました。
 しかし大変な事になりましたよ。この場合、ソード選手は更に上の記録に挑まなくてはなりません。この試技
をソード選手はパスしておりますから、大会規定では一センチでも上にしなければなりません。ここはソード選
手の自己申告になりますが、果たして何センチを要求するのでしょうか?」
 アナウンサーは謝りっぱなしだったが、何とか気を取り直して放送を続けた。

「いや、本当に申し訳ない。何しろ世紀の瞬間に立ち会った感動で、我を忘れまして。はあ、何センチですか?
 えええっ! 二、二メーター五十センチ! 世界新記録を狙うのですか?
 一メートル七十センチを少し超える程度の身長では普通は有り得ないのですが、彼ならやるでしょう。きっと
跳びます!」
 米吉は反省しながら、しかし、またしても私情を曝(さら)け出してしまった。

「ああ、ソード選手、人差し指を一本立てております。どうやら、試技は一回限りということらしいですよ。もう相
当に疲れていると思いますから、無理もありません」
 アナウンサーもすっかりソードびいきを露(あらわ)にしていた。

「助走前、場内は静まり返りました。しかし二メートル五十センチ! 私が思いっきりジャンプしてもやっと指先
が届くかどうかの高さです。その上を跳び越します。本当に高いです。
 天を仰いで集中力を高めます。ブツブツと何か呪文の様なものを唱えている様にも思えます。何を言ってい
るのでしょうか? さあ、助走に入りました!!」
 アナウンサーは興奮して叫んだのだった。

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