夏 休 み 未 来 教 室 


                                              春 野 夢 男

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「美しいフォームでのジャンプ!! あああっ!! 少しバーに触れた!! バーが揺れているが……、バー
は落ちない!! ……せ、世界新記録達成です!! 場内も一瞬、ほぼ全員が冷や汗を掻いたのでしょう。
静まり返ってからじわじわと歓声が上がり始めました!!」
「ウウウオオオオオワワワワワワーーーーーーーーーーッ!!!!」
「物凄い歓声です!! ここ野外に設置されております放送席では殆ど話声が聞こえません。勝利者インタ
ビューが始まっていますが、余りの声援に何を言っているのか分かりません。
 ソード選手はインタビューを早目に終えて、ああ、もう手を振って会場を歩いて去って行きました。まだ他の
競技が御座います。恐らくはそのことに配慮しての事で御座いましょう。
 しかし会場の興奮状態はまだまだずっと続いております。ああ、一部に万歳が始まりました。ああ、それが
ウェーブとなって会場を回って行きます。
 気持は分かります。分かりますがまだ棒高跳びなどの競技が続いておりますので、もう少し静粛にして頂き
たい。本当に、本当にお願いします!!」
 珍しく放送席では興奮を早く鎮める様に異例のお願いをしたのだった。アナウンサーも解説者も一緒になっ
て頭を下げたのである。
 テレビの放送は競技場内でもケータイなどで見ている者も多く、それから幾らもしないうちに、観客の興奮は
スーッと収まって行ったのだった。

「いや、本当に有難う御座います。さて棒高跳びの決勝が佳境に入って来ました……」
 競技はまだ暫くは続くのだが、観客はどんどん帰って行った。棒高跳びなどは日本のレベルが世界に遠く及
ばず、余り関心を持たれていなかったからでもある。
 その他の競技も同様だった。殆どの観客の関心は翌日のマラソンへと移っていた。勿論ソードが出場するか
らでもあるが、それがソードの最後の競技になるかも知れないという噂が、しきりに流れていたからでもあった。

「ソード先生、走り高跳びは少々危ぶのう御座いましたね。バーが落ちるのではないかとハラハラ致しました」
 付き人の一人白金アザミが言った。
「はははは、まあ、少し疲れてもいたし、それに他の競技者に迷惑が掛ると思ったので、一発で世界記録を出
そうとちょっと焦ったからね。しかし明日のマラソンに備えて今日はもう休ませて貰うよ」
 ホテルに戻ると、早速ソードはスイートルームの一室で休養を取る事にした。何時ものごとく、夕食は部屋で
適当に食べるといって、カットした。

 翌日はソードにとっても相当にハードである。部品交換無しで走らなければならないし、しかも世間は世界記
録を望んでいる。勿論それが金森田の要求でもあった。
『今迄で一番きついだろうな。金森田は一体何を考えているのだ? 世界記録を出す事は不可能ではないけ
ど、厄介なのは水分補給だ。いや、水分補給の振りだ。
 まあ、何とか誤魔化す方法も考えてあるけど、いい加減にして貰いたいものだな。まあ、これが終ったら当分
休みを貰えたから良いけどね……』
 ソードはベットの中で、時折目覚めると、そんな事を考えていた。金森田の仕打ちにもう我慢の限界を感じて
いたのである。

『いつ、金森田を殺すか、それが問題だな。なるべくなら、事故死してくれれば良いし、殺すのだったら完全犯
罪にしたい。あああ、俺もついに犯罪者の仲間入りか。ううむ、何か良い方法が無いものかな……』
 ソードの殺意は最早確定的になっていた。後は時期とその方法である。

『もしかして神のマシンに乗れるのだったら、出来れば犯罪者としてではなく乗り込みたいものだな。神のマシ
ンは性欲も充足出来る。製作を急ぐ都合上今回は食欲の充足は後回しになるようだけど、それもやれれば
完璧だ。
 食欲の充足は追々やって貰うとして、神のマシンに乗れて、不都合が無ければ、林果に詳しく訳を話して彼
女と息子の昇一と一緒にずっと暮らして行ければ……』
 ソードはそんな甘い夢も見始めていた。

「今日は良く晴れました。絶好のマラソン日和で御座います。全日本陸上競技選手権は今日が最終日です。
そして皆様お待ちかねの、ソード選手のこれが当分見納めになるであろう、言わば最後の挑戦で御座います」
 アナウンサーは猛烈に張り切っていた。

「しかしあれですねえ、勿体無いですねえ、今日で引退というのは。噂は本当だったのですか?」
 解説者の米吉が念を押して聞いた。
「はい、今朝方、ソード選手のお付の方に確認したところ、相当に疲労が溜っているとのことで、当分は休み
たいとのことでした。
 また宗教家としての活動が疎(おろそ)かになっているので、やっぱり一応引退するということは、間違い無い
ようで御座います」
 アナウンサーはほぼ断定した。

「いやー、残念ですねえ。まあ、ご本人の強い希望とあらば仕方が無いのですが、ああ、ちょっと私事ですが、
SH教の信者に私もなりましたので、宜しく。
 ああ、いや、これは番組には関係御座いませんでしたね。いやいや、どうも申し訳御座いません。はははは、
何か口が滑ってしまって……」
 米吉はSH教に入信した事が嬉しいらしく、ついつい口を滑らせたようであった。結局アナウンサー共々SH
教の信者になってしまったのであるが、ソードの活躍によって、SH教は完全に息を吹き返し、新たな信者が
激増していたのであった。

「さあ、間も無く正午。スタートは諸般の事情から、十二時十五分からとなっております。続々と現在選手が集
まって来ております。
 まだスタートラインには立つことは許されておりませんが、ああ、競技場の中に何人かの付き人の方々と一
緒にソード選手の姿も見えます。
 例によって、長袖シャツに丈の長い細身のズボンを穿いております。しかしあれで走り難くは無いのでしょう
か。常識的に考えますれば、暑くて大変でしょうし、汗を掻くと、水分を吸い込んでかなり服が重くなるのでは
無いでしょうか? 解説の伊丸岡さん、その点はどうなのでしょうか?」
 スタートまでの少しの時間を稼ぐ為に、もうすっかりお馴染みになった、ソードの服装について、アナウンサー
は改めて聞いてみた。

「はい、それは、私も是非彼に聞いてみたい事の一つです。短距離や昨日の走り幅跳びや高跳びならば、差
し障りが御座いませんが、マラソンとなるとねえ。
 しかしあの格好で驚異的な世界新記録を出した訳ですからね。彼にとってはあれがベストなのでしょう。是非
お話をお伺いしたいものですね、あれで苦しくないのかどうか、どんな具合なのかねえ」
 米吉も解説に困った。常識的に言えば有り得ない服装なのである。

「さて、いよいよ、スタート三分前です。スタートライン上に選手が並び始めました。選手は総勢百五十名です。
そのうち例によって四人が、全体を先導する、ペースメーカーです。
 但し今回は、ソード選手のみ別格です。彼を先頭にペースメーカーがその後について行きます。もしソード選
手にペースメーカーの人達がついて行けない場合には、無理をせずに、それこそペースを守って走る事になっ
ております。
 勿論これはソード選手が好調である場合ですが、果たしてこの間の様な記録が出ますかどうか、大変楽しみ
で御座います」
 アナウンサーは相変わらず張り切っている。もう好記録が出る事に決っている様な口振りだった。

「それにしてもペースメーカーの前に選手が居るというのは本当に前代未聞ですねえ。いや、今後も有り得ない
でしょう。何ともはや不思議な光景ですねえ。まるでペースメーカーが五人居る様な感じだ」
 米吉もまた密かにソードの好タイムを期待していたのだった。ただマラソンの場合、好タイムが出るかどうか
は、その時の天候や特に風向きと、コースの良し悪しと関係がある。好タイムの出易いコースが確かにあるの
である。

「パーーーーンッ!」
 十二時十五分に、号砲一発、全日本陸上競技選手権、男子マラソンが始まった。同じコースを十五分遅れ
で女子も走る。道路事情の関係で、今年からそうなった。
 例年ならば記録のはかばかしくない男子よりも、世界のトップレベルにある女子が中心になるのだが、今
年は事情が違った。ソードが出場する男子に注目が集まったのである。
 勿論、予め決められた女子のテレビ放送は変更も出来ないので、一応予定通りなのだが、報道陣の数は男
子の方が倍増したのだった。

「さあ、ソード選手は猛スピードで走っております。ペースメーカーの人達も困惑気味です。速い、こんなに速く
て大丈夫なのでしょうか?」
 確かにソードの走りは前回のマラソンの時よりも更に早く、ペースメーカーの連中も早々とついていく事を諦
めてしまったほどである。

「いやあ、本当に心配になって来ましたよ。大丈夫なんでしょうか? もう私の理解を遥かに超えた走りです。
この走りは長距離というよりは、中距離というべきでしょう。
 まだ十分かそこいらで、もう既に二位以下を百メートルも引き離しています。何か頭がクラクラして来ました。
いや、本当に、途中でバテないかと心配になりますよ」
 米吉は今回のコースではそれ程の好タイムが出るとは思っていない。悪い訳ではないが、特に良いタイムの
出るコースではない。ただ、何よりもソードのスピードの出し過ぎが気になっていた。

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